近年、新彊が国際社会の注目を集めている。これは新疆を「安全保障」社会や「警察」社会、「監視」社会などと評するメディアや学者が登場したことによる(Rajagopalan 2018, Chin and Bürge 2017, Millward 2018)。中国当局がウイグルの少数民族を主な対象として実行した、様々な安全保障措置を指してのことである。
こうした措置に含まれるのは、この地域の警備を目的とした、数万人規模に及ぶ治安部隊の増強(Zenz and Leibold 2017)や、住民を監視するための生体認証システム導入(HRW 2017)、数十万ものウイグル族や、カザフ族などテュルク系のイスラム教徒少数民族が隔離され、教化、拷問、独房監禁などの不当な扱いを受ける強制収容所建設(Shih 2018)などである。
「テロリズム」や「過激な宗教思想」との戦いという大義名分のもと、新疆にこうした大規模な監視体制が出現したことには、9.11の同時多発テロ以降、中国政府が新彊を自国における「テロとの戦い」の最前線と位置付けたことが関連している。こうした動きは、2016年に陳全国が党委書記に就任した際や、その前任である張春賢が2014年に「人民戦争」を宣言したことで、より加速された。しかし、現在の安全保障措置のなかには今までにない性質や適用範囲のものがある一方で、新疆の「監視社会」化自体は新たな展開とは言い難い。これは9.11以前から続く、安全保障化プロセスの最新局面なのである(see Buzan et al. 1998)。このプロセスのなかで、中国政府はウイグルの文化やアイデンティティーの指標となるもの、とりわけ宗教を国家の統一性や安定を脅かす存在だとしてきた。
本論について説明するため、この記事では新疆の現代史において重要な、2つの変化に注目する。この2点は、新疆における中国共産党の支配を確立するために長く運用されてきた、安全保障指針の集大成としての「監視社会」を理解する手助けとなる。
1つ目の変化は、漸進主義として知られる、穏便な政策を放棄したことである。この漸進主義は、1980年代の改革開放初期における中国の少数民族政策を特徴づけるものである。漸進主義を放棄しつつ、中国当局はイスラム教を分離主義を広める、あるいは新彊の情勢を不安定にしている原因と見なしている。2つ目の変化は、1996年に発行された「中共中央七号文件」の指示内容である。この文書での指示により、現在の新疆で実行されている措置の大枠を形成する、新たな安全保障指針が定められた。
結論で述べるように、ウイグル人の生活の隅々まで入り込む監視体制は、こうした変化が自然にもたらす結果であり、表面的なものである。新彊における中国当局の安全保障指針が、同化政策と世俗化という方法でウイグルの民族的アイデンティティーに介入・教化し、再構築することを目的としており、数十年にわたって確立された型を持つことが明らかになった。新疆における安全保障化の進み具合は、国際社会における中国の地位向上と比例関係にあると言える。
1980年代における漸進主義から安全保障化への転換
新疆における「監視社会」の起源を説明するための出発点は、1980年代初頭、中国の「改革開放」初期段階である。この時代は、中国政府が少数民族に対して穏便な政策をとっており、現在の状況と正反対という意味で重要だといえる。
こうした穏便な姿勢の背景には、文化大革命(1966年~1976年)後、中国共産党がウイグル族をはじめとしたイスラム系民族からの信頼を回復しようとする試みがあった。この時代の動乱のなか、数百に及ぶモスクが閉鎖され、コーランなどイスラムの書物が焼かれ、ウイグル固有の言語は使用を禁止された。また、少数民族の中心人物や宗教指導者、知識人が粛清された(Bovingdon 2004, Millward 2007)。
こうした不平に加え、1949年の「平和的解放」後から続く漢族の大量入植や、ロプノールでの核実験なども、中国共産党による少数民族支配の正当性を傷つけることとなった。
文化大革命後、経済改革に必要な安定性を確立するため、中国共産党は新疆において「限られた寛容さと保護下にある自由」という政策を認めるようになった(McMillen 1984: 579)。この政策は「漸進主義」として知られ、中国政府の新疆に対する姿勢を、1950年代の中華人民共和国初期へと回帰させるものだった。北京政府は少数民族の同化よりも統合を優先し、思想的な必要性よりも経済的な実用性を優先した(Connor 1984)。当時実施された政策の中には、少数民族の中心層を体制側に迎え入れる、宗教的な自由を認める、文化や言語に一定の自主性を認めるなどの手段があり、ウイグルの人々に歓迎された(McMillen 1982)。1980年代初頭、中国政府は再度、こうした政策の実施を決定した。こうした決定の背景には、少数民族への融和政策が利益をもたらすと確信する、改革派の胡耀邦(Dillon 2004: 35)や、漸進主義者の先例である胡耀邦の在任中、1952年から1957年まで新疆ウイグル自治区委員会第一書記を務めた、ベテランの王恩茂らの存在があった。
再度、穏便な政策を実施したことで、1980年代はイスラム教など、ウイグルの民族的アイデンティティーを象徴するものが中国政府主導で復興され、少雨民族にとってある種の「黄金時代」となった。文化大革命の行き過ぎた行為を是正するため、中国当局は新たなモスクの建設を奨励した。1980年から1981年にかけて、新彊のイスラム共同体は1966年以前にもともと存在したモスクの2/3以上を復興あるいは修復した(Bovingdon 2004: 33)。中国政府はまた、イスラム式の婚礼やマドラサ(神学校)の開校、コーランをはじめとしたイスラム教書物の発行も許可した(Butterfield 1980, McMillen 1984)。さらに、ハッジ(イスラム教の聖地メッカへの巡礼)も再開され、1984年から1990年の間に1万人近いウイグル人巡礼者がメッカを訪問した(Gladney 1990, Xinhua 1990b)。
今日の監視社会のもと、表立って禁止されたり破壊されることはなくとも、イスラム教の習慣や集会所、用具などは厳しく調べられている(cf. OnIslam.net 2011, RFA 2017b, Bitter Winter 2018)。
宗教的な統制の緩和と並行して、中国政府はウイグル文化を復興させる自治法を承認した。これには、ウイグル人が「大漢民族主義」の現れと受け止めていたピンインに代わり、アラビア文字によるウイグル語表記を再導入するという内容も含まれている(Millward 2007: 236, McMillen 1984: 577)。ウイグル語は司法やメディア、通信を含む様々な分野に普及した(BBCMSAP 1984, Xinhua 1990a)。また、少数民族は進学に際しても優遇政策の恩恵を受けていた。1980年代の終わりには、少数民族教育で新彊が繁栄している、と中国メディアが報じるようになった(Xinhua 1989a)。
こうした環境下で、ウイグルの文化的アイデンティティーが花開いた。ウイグル人の学者や作家は歴史を研究する、あるいは小説や詩、エッセイを執筆することで、ウイグル人共通のアイデンティティー形成に貢献した(Rudelson 1997, Tursun 2008)。この時代に、ウイグル人は「メシュレプ」も復興させた。これは音楽や舞踊、民族芸能や演劇、軽業、そして口頭伝承からなる祭りで、「ウイグルの伝統文化を伝えるうえで最も重要なもの」である(UNESCO 2010)。
1980年代の自由化の象徴だったメシュレプは、1990年代半ばに禁止された。1997年のグルジャ事件に象徴されるように、穏便な政策が終わりを迎え、新彊における緊張が増大していることを示している(Dautcher 2004)。監視社会のもとで中国当局は、ウイグル人芸術家や学者、サッカー選手までも逮捕してきた。また当局は、宗教的か否かを問わずウイグル民族のアイデンティティーを主張したことを理由に、ウイグル人の中国に対する忠誠心の欠如を疑ってきた(RFA 2017c, 2018a, 2018b)。
結局、ウイグルの民族団体はウイグル人の権利拡大 (see Kumul 1998)や、新彊における学生のデモ、融和状態の証である中国人資本家への支援を決定した。中国当局はデモを支援しない一方、黙認してもいた。1985年、抗議活動の一環として、ウイグル人学生数百人が北京の天安門広場から中南海までを行進した。彼らはロプノールにおける核実験の中止やウイグル人の自治権保障、人口抑制政策(いわゆる一人っ子政策)の、少数民族への適用除外を要求した(UPI 1985)。中国政府は暴力的に制圧するどころか、学生たちを平和的に解散させることを選択した。現在、中国ではこうした団結や集会、デモの自由を認める権利は普通、考えられるものではない。まして新疆であればなおさらである。
新疆における融和政策の転換は、1980年代の終わりから始まった。今なお続き、激化さえしている新彊の弾圧は、この時代に端を発している。漸進主義放棄の姿勢は1987年、提唱者の一人である胡耀邦を中国共産党が排除した際にある程度明らかになった。胡耀邦の失脚によって、新彊軍管区の前司令官で新彊の規制強化を強く支持してきた王震が、穏便な少数民族政策に異を唱えるようになった(Dillon 2004: 36)。
漸進主義放棄のきっかけとなったもう1つのポイントが、こうした穏便な政策がウイグル人にエスノナショナリズムを芽生えさせたという、中国共産党の認識だった。抗議活動において、ウイグル人学生たちは民主主義や人権尊重を支持し、中国の文化的な影響や、ウイグルの歴史や文化の歪曲を受け入れなかった(Reuters 1988)。宗教的な側面では、イスラム諸国との経済交流の活性化はイスラム教への信仰心を回復させたばかりではなく(Gladney 1990)、新彊に原理主義が根付くきっかけともなった(Haider 2005)。
民族意識の高まりとイスラム教への信仰心との結びつきが、中国共産党内で否定的に捉えられた。新疆における王震の規制強化を支持するある漢族は、ウイグルについて「彼らに自治権を与えても、我々に感謝などせず、東トルキスタンの独立を図るだけだ」(Dillon 2004: 36より引用)と主張した。1980年代の終わりには、中国の指導者たちは新疆を、中国の統一を脅かす宗教や不安定性の元凶と認識するようになった。1988年には王恩茂が、新彊の「クズと裏切り者」が、「日陰に隠れて祖国の分裂を図る陰謀を計画している」(Roche 1988より引用)と警告している。
漸進主義からの方針転換は1988年から1990年の間に起こった。チベットでの暴動や、北京で鎮圧される以前の、全国的な民主化運動の広がりとともに、新彊の緊張も高まり、穏便な政策は放棄された。1990年4月にバリン郷事件が発生すると、モスクの閉鎖や人口抑制政策に対する数週間に及ぶ抗議が、宗教的な相違点と大規模な暴動を結びつけ、これを中国当局が「反革命的暴動」あるいは「聖戦」だと認識した(Rodríguez-Merino 2018)。
事件後、中国当局は新疆のイスラム教徒への規制を強化した。数百人のイスラム教指導者が取り調べを受け、追放されたほか、イスラム系の未登録学校が200以上閉鎖された。また聖職者の監視、宗教的な教育の制限や公共の場で宗教を扱う制限などを目的とした法案が成立した(Fu 1992, AI 1992)。1990年代までに、中国当局は宗教を、新彊における分離主義と反国家思想の温床になっているとし、国家の安全保障における新たな最優先事項と位置付けた。
新疆の安全保障指針「中共中央七号文件」(1996年)
新疆の安全保障化につながる第2の重要な変化は、1990年代、バリン郷事件後の機運に乗じて中国全土における宗教規制を目的として中国当局が一連の指示を出した際に起こった。その1つが、1996年に発表された「中共中央七号文件」である。これは新疆の状況について取り上げており、「分離主義や非合法宗教活動」を「国家安定の主たる脅威」に位置付けた(CPC 1996: 10-18)。
この七号文件にある内容に、監視社会の原型が見て取れる。モスクに対する「容赦のない」管理や、「非合法な宗教学校」の閉鎖、宗教学校の生徒に対する厳しい調査、そして「愛国的な宗教指導者」による宗教活動への著しい制限などが指示されている(CPC 1996: 11)。この目的のため、新彊南部に「高度な情報網」を隠密裏に構築するという指示が遠回しに出された(CPC 1996: 12)。
七号文件では、交換留学の制限や、教科書から宗教的あるいは「民族的分離主義」的な内容を削除すること、新彊についての公式な歴史見解を「ねじ曲げる」資料を没収することが命令されていた(CPC 1996: 12)。最終的には、漢族の共産党幹部を移住させる、さらに中国全土から漢族を中心とした「才能ある人々の移住」(CPC 1996: 11)という命令も下された。最後の命令は必然的に、中国政府が少数民族の指導層を復興し、共産党への融和を奨励した1980年代の政策と相反するものとなった(Xinhua 1989b)。
七号文件に従い、イスラム教の習慣は愛国的で非合法なものとされた。現在の監視社会を特徴づける安全保障措置の多くは、この七号文件の指示を起源としている。集会や聖職者の管理、ヴェールをまとう女性への迫害、ラマダン期間中の弾圧強化(今日の新疆では全て、反過激主義政策の象徴となっている)が、1990年代後半に進められた(BBCMSAP 1997a, BBCMSAP 1997b, BBCMSAP 1999)。
同様に、宗教を信じる、あるいは安全保障措置の実行に十分な熱意を示していない政府関係者の迫害も数年間続いた。このように、1996年に出された「非合法宗教活動に対峙する強さを欠いた」政府関係者を処罰する命令(BBCMSAP 1996)と、「二心を持つ」ウイグル人指導層を暴き、「一掃する」という今日の圧力(Reuters 2017)には類似点を見出すことができる。
また1990年代には、中国当局は検閲活動を強化したが、今日のように「過激」なコンテンツを求めてウイグルの人々のスマートフォンを監視する (Lam 2017)といったやり方ではなく、ラジオ放送を禁止する、雑誌やカセットテープを没収する(BBCMSAP 2000)というやり方をとっていた。同様に、七号文件の実行のなかで、中国当局は安全保障措置をウイグル人の家庭へも持ち込み、しばしば査察を行った(BBCMSAP 1998)。
今日の監視社会下では、家や住民たちが監視カメラで監視されているだけでなく、階級や宗教によって評価され、規制されている(Sun 2017)。こうした監査は宗教規制を伴い、新彊において暴力的な爆発を助長してきた(RFA 2013; Grammaticas 2013)。監視社会の最も過酷な側面、政治的な失敗を認める大集会の開催(RFA 2017a)は、1990年代後半を起源としている。それ以前、中国当局はウイグル人に反分離主義教育を目的とした集会を開催し、そこで人々は非合法活動に参加する親族の名前を当局に手渡していた(AFP 1997)。
七号文件に見られる最後の要素は、ウイグル人が外国で直面する圧力について説明する助けになる。トルコやカザフスタンをはじめとする国々に、「国内における分離主義者の勢力を制限し、弱体化させる」(CPC 1996: 13)ため、圧力をかけることを目的とした外交活動が指示されている。そのため七号文件では、中国はこれらの国々に対し、政治的優位を示す必要があると指摘されており、外交面では亡命ウイグル人を調査するという指示が出されている(CPC 1996: 13)。
こうした政策の直近における成果としては、1996年に軍事的信頼を深めるための機構として創設された(UN 1996)上海ファイブが、国内の不一致を抑える目的で運営される安全保障協力機構へと発展したことが挙げられる。2001年に、上海ファイブは上海協力機構(SCO)へと発展し、基本思想として「テロリズムや分離主義、過激派との戦い」を掲げてきた。中国国外のウイグル人コミュニティにとっては、1990年代後半には伝統的にウイグル文化および政治活動にとって安全地帯だったアルマトイやビシュケクなどが、中国の圧力に影響を受けやすい危険地帯へと変わったことを意味していた。
中央アジア諸国でウイグル人が逮捕される事例は、このとき最初に発生し、中にはSCOの活動下で調印された犯罪者の引き渡し条約に基づき、中国へ送還された者もいた(Peuch 2001)。七号文件の外交指針は、外国政府に対し、ウイグル人(彼らの多くは政治亡命を希望している)の強制送還を要求する、中国政府の習慣が長い歴史を持つことを明らかにした。今日では、カザフスタン、キルギスタン、ウズベキスタン、パキスタンに加え、カンボジア、タイ、ラオス、あるいはマレーシア、最近ではエジプトといった国々までが、中国国外のウイグル人にとっての「危険な避難先」リストに名を連ねるようになった。
おわりに
本記事では安全保障化、そしてイスラム教やウイグル族が中国の統一と安定を脅かす「テロリスト」と見なされるに至った初期の経緯について考察してきた。以下の分析から、2つの結論を導くことができる。1つは、今日の新疆で見られる安全保障措置の多くが、中国政府が「対テロ戦争」を掲げる以前から実行されていたもので、過去に実施された措置を、新たな技術的手段で発展させたものだという点である。監視社会の起源は、中国当局が弾圧を正当化してきた、いかなるテロリストの脅威よりも前にさかのぼって存在する。
もう1つは、新彊が常に監視社会を必要とする緊急事態下にあったわけではないという点である。1980年代の穏便な政策は、中国共産党が新彊やウイグル族に対して、現在とは異なる姿勢を取れるという証拠になる。近年、新彊の学者が「こうしたやり方である必要がない」と述べた通りである(Smith Finley 2018)。
近年の状況を評価・研究する学者は、中国当局が新彊でこうした方針を継続してきた理由(Cliff 2018)と、国際社会がこの問題に対して沈黙を守り、「モラルハザード」が引き起こされている理由(The Scholar Stage 2018)の2つに関して、疑問を抱いている。
1つ目の疑問に関して、歴代の中国指導層が新彊の弾圧継続を選択してきた、根本的な理由を理解することは難しい。この段階で可能なのは、1996年に発行された七号文件のロードマップが明示しているように、中国政府が新彊に対して行ってきた措置内容や期間を確認することである。ウイグル人に歓迎されていた穏便な政策が、ウイグル人を不当に苦しめる弾圧へと変わったのは意識的な決定であり、長く維持されてきたものである。中国当局が主張し続けているように、新彊における分離主義やテロリズム、過激な宗教思想との戦いは「長期化している」問題である。これは中国の安全保障に関する談話の中核をなす信条である。
1990年のバリン郷事件後、国営メディアは「分離主義との戦い」を「長期にわたる、複雑で困難なもの」と位置付けている(BBCMSAP 1990)。2009年ウイグル騒乱の後、ウルムチ市のジルラ・イサムディン市長は、「現在、そして今後も続く分離主義との戦い」(People’s Daily 2010より引用)を表明した。監視社会は終わりのない「戦い」において、抜本的ではあるが次なる段階への一歩にすぎない。
2つ目の疑問に関しては、新彊で緊張状態が持続していることについて「人道に関する罪」(Caster 2018)や、「南アフリカのアパルトヘイト同様の、組織だった人種差別政策」(Thum 2018)と批判されてきた。しかし、北京政府はこうした国際社会における批判を不快には感じていないようだ。弾圧の激しさはそのまま、国際社会における中国の自信を表しており、七号文件で「政治的優位」について言及されていた点を想起させる。
中国人民政治協商会議の民族宗教員会主任を務める朱維群の発言が、この勢いづいた立場をよく表している。朱維群は、中国は人権に関する外圧を無視し、ウイグルやチベット政策について「西側諸国が何を言おうと」相手にしてはならない(quoted in Thomas 2014)と主張している。北京政府が国際問題に深く関与するようになったことから、朱維群はいまが中国にとって弾圧の正当性を西側諸国に説いて納得させる好機だと強調した。ただし彼の分析で想定されていないのは、西側諸国がこの問題に関して、何の意見も持っていないという事実だ。西側諸国はこの問題について、イスラム諸国と同様に沈黙を貫いてきた。
パレスチナやロヒンギャ問題には批判をする国々は、ウイグル問題にはいまだ口をつぐんでいる。
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