三浦瑠麗氏による発言の何が問題なのか?:効果・リスク・アカウンタビリティ

国際政治学者・三浦瑠麗氏がフジテレビ系『ワイドナショー』に出演し、北朝鮮のテロリストは日本や韓国に潜んでおり、「いま大阪がヤバいと言われている」と発言した。

発言に対して多くの批判が寄せられているが、同時に三浦氏を擁護する声もある。例えば、同番組の司会者として共演した松本人志氏は、自身のTwitterで以下のように述べる。

また「北朝鮮の工作員が潜んでいるのは事実」といった指摘や、「在日朝鮮人への差別とは別」だという擁護の声もある。

三浦瑠麗氏の発言について、なにが問題でどのような論理で批判されるべきなのか、3つの視点から考えていく。

1. 事実と効果

北朝鮮の最高指導者・金正恩
北朝鮮の最高指導者・金正恩

1つ目の視点は、この問題には(1)発言が事実か否か、という次元と(2)発言がどのような効果を生むか、という2つの次元がある。

発言が事実であるかという検証はもちろん必要だが、すべての言説はその効果と不可分である。もちろんすべての効果を想定したり、それに責任を追うことは不可能だが、人は一定の効果を想定しながら発言をおこなうし、それに対するアカウンタビリティが求められることもある。

その意味で、今回の発言はまず、事実か否かではなく、その言説が生み出される効果とともに検討されるべきだろう。三浦氏があげた大阪は、もともと在日朝鮮人が多く在住しており、鶴橋などでヘイトスピーチ・デモが盛んにおこなわれている。こうしたコンテクストを考えると、「大阪に北朝鮮のテロリストが潜んでいる」ということを安易にメディアで語ることは、危険な効果につながる可能性がある。

同氏は、単なるタレントとしてではなく「国際政治学者」や「東京大学講師」という看板を背負って発言している。その発言は当然権威性を帯びるものであり、発言の効果もそのことを念頭に置く必要がある。

2.リスク、情報の扱い方

2つ目の視点は、リスクと情報の扱い方の問題だ。

事実レベルで発言の正誤を考えた時、北朝鮮のスリーパーセル(テロリスト)が日本にいる可能性は0ではない。むしろ、拉致事件が現実に起きており、当たり前だが北朝鮮の政府関係者が日本にいる中で、可能性を0だと考えるほうが不自然かもしれない。

三浦氏は、英国のタブロイド紙であるDaily Mail紙を引用しながら、その事実を主張しているが、北朝鮮が各国に工作員を送り込んでいたという話は、現在・過去を問わずにNew York Times紙やBBCなどでも報じられている。

(ちなみに、三浦氏がソースとしてDaily Mail紙を選んでいるのは、どういう意図があったのかは不明だが、批判の余地は大きい。デマや不正確な情報を平気で垂れ流す同紙をソースとするのは、メディアに携わる人間や国際政治学者としては、控え目に言って問題がある。)

事実レベルとして可能性があるにもかかわらず、なぜ三浦氏は非難されるべきなのだろうか?これには、大きく2つの方向性がある。

アメリカ国家安全保障局のヘッドクォーター
アメリカ国家安全保障局のヘッドクォーター

1つは、当該発言によって「大阪に住む在日朝鮮人の中からスリーパーセルを探す」意識が市民の間に生まれたり、それを正当化する危険性があるという点である。一般市民は当然のことながら、スリーパーセルが誰なのかはわからない。そうなれば、三浦氏が示唆した人種や国籍などの情報をもとに、警戒を抱くほかない。

実際、同氏は「スリーパーセルは存在する」と断言しながら、下記のようにエビデンスを明かすことはできないことを示唆している。

私自身、政治家や官僚との勉強会や、非公表と前提とする有識者との会合から得ている情報もあるので、すべての情報源を明らかにすることはできません

限られた情報の中で、スリーパーセルの存在が指摘されることは、ヘイト・スピーチ以上に、人種・宗教的敵意が生まれるリスクを孕んでいる。スリーパーセルが現実に存在することと、国籍や人種を想起させるような形でスリーパーセルと結びつける可能性を生む発言をすることは、全く別の次元にある。

もう1つは、スリーパーセルが存在することを知っていたとしても、情報の扱い方という点からも問題がある。

スリーパーセルの存在を突き止め、監視をおこなうのは治安機関やインテリジェンス機関の役目だが、上記のリスクを知っているからこそ、彼らは「大阪にスリーパーセルがいる」などと情報公開しない。こうしたリスク(だけではないが)を勘案して情報を扱うことこそ、インテリジェンスに関わる人間の基礎である。

戦時中の特高警察の例を出すまでもなく、国家権力は疑わしき人物を事前に摘発し、犯罪を未然に防ぎたいものだ。しかし、近代法はそれを許さないし、その代償があまりにも大きいことを理解している。だからこそ、テロリストの可能性が高い人物であっても、実際に罪を犯すまでは監視を強める他にない。

それはテロリストの潜伏がほぼ明白なアメリカやヨーロッパ諸国ですらそうであり、実際にこれらの国は、社会の分断と包摂が極限の状態でバランスを保っている。三浦氏はブログで、「人権保護と緊張関係があるからと言って、国家の安全にとって重要なリスクを国民に見える形で議論することを躊躇すべきとは思いません」と述べているが、問題なのは議論自体ではなく、手続き論やリスクに対して無自覚な姿勢である。

3. 「そういう見方を思いついてしまう人こそ差別主義者」

そして最後の視点は、三浦氏の専門家としてのアカウンタビリティーである。同紙を取材したハフィントンポストによれば、三浦氏は以下のように述べている。

私は番組中、在日コリアンがテロリストだなんて言っていません。逆にそういう見方を思いついてしまう人こそ差別主義者だと思います。

また同氏のブログでは、「このレベルの発言が難しいとなれば、この国でまともな安保論議をすることは不可能」ともしている。

そもそも前述の通り、三浦氏の発言は差別という観点だけから批判されているわけではない。もちろんそうした声もあるだろうが、それに対しては丁寧に応答していけば良いわけで、「差別の意図はなかった」というのは弁明の中でも非常に筋が悪いし、「逆にそういう見方を思いついてしまう人こそ差別主義者」という論理は、ネットでよく見かける幼稚な反証に見えてしまうことから、一層たちが悪いように感じる。

加えて、「このレベルの発言が難しいとなれば」というのも、三浦氏の発言は「なんでもかんでも差別と叫ぶ人たち」だけから批判を受けているわけではない。むしろ三浦氏は、番組のタレントではなく専門家として呼ばれているのだからこそ、なにが差別であり、なにが安全保障の議論であるかをエビデンスをもとに反証するべきだろう。

もちろん、公表不可能なソースもあるだろうが、これを契機に丁寧な議論をすることは、三浦氏の述べる「まともな安全保障の議論」にとっても有益なはずだ。

以上3つの観点から三浦氏の発言を考えると、やはり不適切なものだと言わざるをえないだろう。

三浦氏は、現在もっともメディアで注目を集める国際政治学者の1人である。筆者は、専門家がメディアで発言することの意味を何度か指摘しているが、三浦氏も例外ではない。社会に少なからず影響を与える専門家の1人として、三浦氏には本議論に対して誠実に応答することが求められるだろう。

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石田 健

石田 健

株式会社マイナースタジオ代表取締役CEO。同社を創業後、2015年に株式会社メンバーズ(東証一部)に企業売却。早稲田大学政治学研究科修士課程修了(政治学)。関心領域は、メディア論や政治思想など。Twitter : @ishiken_bot