これまでに何度も現れ、そして消えていった「シルバーデモクラシー」論が、Brexit(イギリスのEU離脱)に伴って再燃しています。
「シルバーデモクラシー」論は、主にインターネットにおける著名人を中心として、しばしば散見される議論ですが、そこには幾つかの問題と大きな危険性が含まれています。具体的には、その議論が持っている事実としての誤りと、人類が歴史を通じて獲得してきた政治的平等に対する否定です。
ここでは前半部分において、一般的な「シルバーデモクラシー」論における幾つかの誤りを提示します。その上で後半部分では、「シルバーデモクラシー」論から引き出される、政治的平等を否定する危険な論調について、強い異議を主張していきます。
前提
大きな前提として、「シルバーデモクラシー」は現在、多様な意味によって使われています。
しかし少なくとも、2015年5月に実施された大阪都構想や今回のBrexitに合わせて指摘される「シルバーデモクラシー」の意味としては、「70代以上の高齢者層の政治的選択が、その人口比を原因として、有利な状況になること」を指すといえるでしょう。
具体的には、以下のような主張が見られます。
やはり世代別の得票率が印象的。30代、40代を中心に「賛成」票が集まったのに対し、70代を筆頭とするシニア世代の「反対」票に押し切られた格好。(新田哲史「「大阪」で日本のシルバーデモクラシーが完成」BLOGOS,2015年05月17日
他のすべての世代の投票結果で過半数を得た意見が70代以上の投票で覆された事実は「シルバーデモクラシー」と言うべき(
おときた駿「投票に行かない若者が悪いだけ」という言説の恐ろしさ」BLOGOS,2015年05月18日)
また今回のBrexitにおいても、以下のような指摘が見られました。
こうした若者たちの不満の背景には、比較的恵まれた戦後のベビーブーム世代への反発もある。若者の犠牲のうえに高齢者が得をするというシルバーデモクラシーだ。(溝呂木佐季「【EU離脱】高齢者に怒り、悲痛な声をあげる若者たち なぜ?」BuzzFeed,2016年06月25日)
歴史を動かしたのは65+のシニア世代。18-24才との差。 pic.twitter.com/TZstC2FK7Q
— ハリー杉山 (@harrysugiyama) June 24, 2016
完全にシルバーデモクラシーだな
— 堀江貴文(Takafumi Horie) (@takapon_jp) June 27, 2016
【EU離脱】高齢者に怒り、悲痛な声をあげる若者たち なぜ? (BuzzFeed) - https://t.co/pUZVaw81iY
また、昨年の大阪都構想の住民投票とBrexitを比較して、どこの国でも「シルバーデモクラシー」が生じているという主張も、すでに散見されます。(例えば、永江一石「イギリスの国民投票と大阪市の住民投票の共通点」など)
「シルバーデモクラシー」論の誤謬
具体的に「シルバーデモクラシー」の存在をデータから主張する八代尚宏氏は、以下のように述べています。
ここで注目されるのは、特別区に再編される現行の大阪市の二十四区別に見た投票数のうち、大阪都構想に賛成する者の比率が、各区の高齢者人口比率と逆相関の関係にあることである。現行の大阪市を通じた所得移転に依存する高齢者ほど、現行制度の改革に伴い生じ得るリスクを避ける保守的な傾向が見られた。これは、シルバー民主主義の特徴が、大阪都構想という単一の争点で明確に示されたものといえる。(『シルバー民主主義-高齢者優遇をどう克服するか』中公新書、2016年、p.17)
しかしながら一方で、同じくデータから「シルバーデモクラシー」論を否定する人は少なくありません。
大阪都構想における「シルバーデモクラシー」論に対する具体的な批判としては、「大阪”都構想”についての一考察―”シルバーデモクラシー”とリスクコミュニケーションの壁―」(瀬尾佳美『青山国際政経論集』95号,2015年11月)や、「「大阪市における特別区の設置についての投票」に関するあれこれ」(不破雷蔵,Yahoo!Japanニュース,2015年5月20日)などがあります。
いずれの論でも、(1)70代以上の人口が22%程度と突出して多いわけではない点(2)開票直後に「シルバーデモクラシー」の論拠となった出口調査が正確ではなかった点などが指摘されていることが特徴です。
その上で瀬尾氏は、「特別区設置住民投票における年齢別投票行動集計表」から、大阪各区の有権者における高齢者の割合と都構想への反対を投じた割合の相関関係を調べています。
それによれば、決定係数R2=0.28となっており、「弱い相関」は認められるため、「確かにまるで相関がないとはいえないが、高い相関があると主張する根拠にはらない」と説明。
「若い人の意思を高齢者が押し潰したというのは、やや言いすぎ」であると結論付けています。
ただし瀬尾氏が、各区における有権者全体における反対に投じた人の割合を扱っている点に注意する必要があります。瀬尾氏は、
また、「押しつぶす高齢者、押しつぶされる若者」という図を検証するのであれば、投票者のなかでの賛否の割合ではなく、有権者のなかで賛否を表明した人の割合を見るのが妥当であろう。
と述べ、有権者における賛否の割合をデータとして採用していますが、投票者における賛否の割合を考えた場合、結果が異なるからです。
両者を比較すると、以下のような違いが生まれます。
[有権者の賛否の割合と高齢有権者の割合(瀬尾論文)]
決定係数(R2) 0.2838
相関係数(R) 0.5327
[投票者の賛否の割合と高齢有権者の割合(筆者作成)]
決定係数(R2) 0.5413
相関係数(R) 0.7357
後者の場合は、決定係数R2=0.54となり、瀬尾論文よりも強い相関が認められるのです。
たしかに投票行動の結果としては、八代氏が述べるように高齢者と都構想への賛成に逆相関(反対との相関)を生みましたが、それは投票者の賛否に絞った場合になります。
有権者全体の賛否割合で言えば、(主に若者において)投票を棄権している割合が多いことを踏まえても、両者の間に強い相関があるとは言えないのです。
不正確な出口調査
また実際のデータは、「シルバーデモクラシー」の論拠となった出口調査が不正確であったことを明確に示しています。
たとえば前述のおときた氏は、ブログで以下のように述べています。
70代以上「以外」のすべての層で、過半数を超える人たちが賛成しているようです。
特に30代では、7割近くが賛成票を投じているのがわかります。しかしながら…年代による「人口の差」は埋めがたいものがありました。(「シルバーデモクラシーに敗れた大阪都構想に、それでも私は希望の灯を見たい」2015年5月17日)
しかしこれは明らかに誤りです。ブログの論拠となっているNHKの出口調査を実際の票数と照らし合わせれば、結果は事実と真逆になってしまうからです。(筆者作成)
これはすなわち、出口調査の結果が正確ではなかったことを表します。同様の現象は、朝日新聞の出口調査でも生じています。
出口調査は一般的に、期日前投票が含まれていなかったり統計的な補正がされていないなど、不正確なデータであることが知られています。
そのデータのみから投票結果を分析したことで、「シルバーデモクラシー」という誤った結論が導き出されてしまったことが容易に想像できます。
Brexitでは?
では今回のBrexitにおいてはどうでしょうか?
まず、大阪都構想における「シルバーデモクラシー」論の誤りを考えた時、「大阪都構想と同じ」という言説については棄却されるべきでしょう。
仮にBrexitで「高齢者層の政治的選択が、その人口比を原因として、有利な状況になる現象」があったとしても、大阪都構想との類似性という観点で語るべきではありません。
たしかにYouGov世論調査によれば、若者の75%はEUへの「残留」を希望しており、英上院議員アシュクロフト卿の当日調査でも18-24歳の若者の間では「残留」が73%にのぼったことが明らかになっています。
EU referendum by age group — 75% of voters aged 24 and under voted against Brexit https://t.co/eQci0vNffx pic.twitter.com/UADq1NaL8v
— POLITICO Europe (@POLITICOEurope) June 24, 2016
しかし同時に、この世代は投票率が低かったのではないかと示唆されています。
BBCは2011年の調査を示しながら、若者が多い地域では投票率が低いことを指摘。今回の国民投票でも若者が多い地域では投票率が低かったと述べています。
またSkyNewsが示している暫定データも、若者世代の投票率が低いことを表しています。
% who got through our final #EUref poll turnout filter by age group:
— Sky Data (@SkyData) June 25, 2016
18-24: 36%
25-34: 58%
35-44: 72%
45-54: 75%
55-64: 81%
65+: 83%
(ただし、このデータについては、暫定的な推計に過ぎないという批判もあります)
同様の内容は、インディペンデント紙などいくつかのメディアでも指摘されており、「シルバーデモクラシー」や「若者の意思が高齢者によって潰された」という見方に対しては、慎重になっているようです。
すでに見てきたように、大阪都構想の際には出口調査の結果が不正確であったことから、「シルバーデモクラシー」という誤謬が生まれる一因となりました。
今回も、正確な調査や研究者による分析が深まっていない段階で、「若者vs高齢者」という構図をつくり出して解釈を行おうという姿勢は、安易であるとしか言えません。
その他の要因も
あくまで補足となりますが、現時点でBrexitの解釈として、学位保有者や収入などが因子として挙げられています。これは決して「離脱派は、低学歴の低収入の高齢者だった」ことを意味するのではなく、「単純な世代間対立として解釈することはできない」という事実を示しています。
以上のような点を総合して考えると、正確なローデータが出ていない段階で、Brexitを「シルバーデモクラシー」の所産だと結論付けるのは不正確であると言えますし、こうした態度は大阪都構想における誤りを考えても、慎重になるべきです。
このことは決して、シルバーデモクラシー(民主主義)が存在しない、と主張しているわけではありません。今後少子高齢化が進む中で、政策に対する各アクターの利害が対立することは容易に想像できます。
しかし根拠が薄弱な状態で、いたずらに問題を「シルバーデモクラシー」と一括りにしてしまうことは、冷静な政策議論を妨げてしまう可能性があるのです。
「シルバーデモクラシー」論の危険性
では、そもそも事実とは異なるという点以外に、「シルバーデモクラシー」論は何が問題なのでしょうか?
前述のおときた氏は、以下のように指摘しています。
「一人一票は憲法で規定された人権だ」
「高齢者の参政権を制限することはできない」まったくその通りですけど、そこで思考停止をしていていいんでしょうか。国がなくなるその日まで、「選挙に行かなかった若者が悪い」と言い続けるんでしょうか。
(おときた「投票に行かない若者が悪いだけ」という言説の恐ろしさ」2015年)
こうした指摘は珍しくなく、「シルバーデモクラシー」論と関係して、以下のようなつぶやきもみられます。
票の価値を平均余命とリンクさせるべきだよね。
— ちきりん (@InsideCHIKIRIN) May 17, 2015
すなわち、「シルバーデモクラシーがあるため1票の価値を調整するべきだ」という主張です。
これは明らかに、長い歴史を通じて人類が獲得してきた普遍的な自由・人権・平等など諸観念に対して、否定的な姿勢であると言えるでしょう。
おときた氏は、「一人一票は憲法で規定された人権だ」と述べていますが、人間であれば年齢や学歴、財産に関係なく、平等な政治的主張を述べることができるというのは、日本国憲法のみに立脚された問題ではなく、幾重もの血を流しながら人類が獲得した政治的平等という普遍的な理念なのです。
現代政治哲学の泰斗であるジョン・ロールズの第一原理であれ、近代政治思想の基礎付けをおこなったジョン・ロックやジャン=ジャック・ルソーであれ、近代以降の思想は、自由で平等である人間が、いかにして互いの権利を最大化することが可能か、という問いへの応答であり続けてきました。
もしこの前提を揺るがすのであれば、例えばおときた氏やちきりん氏の1票は筆者の1票よりも軽くなるでしょうし、わずか1歳でも、極論1日でも生まれた日が異なるのであれば、その票の重みは変わってしまうことになります。
そのことが直観的に公正でないことは明らかに思えますが、その言説は、人種や性別、あるいは健常者か否か、思想や学歴などで政治的平等に重み付けをする欲望へと、一直線に伸びているのです。
合理的選択
もちろん、これ以外にも論点は存在します。例えば、宇野常寛氏は以下のように述べています。
今に始まったことではないけど、選挙とは情弱高齢者をいかに騙すかで決まるゲームになってしまってるのだな、と改めて痛感した次第です。はい。
— 宇野常寛 (@wakusei2nd) May 17, 2015
この発言が侮蔑的なものであることはさておき、この前提にあるのは、ある政治的判断を行った人が合理的選択をおこなっていないという前提です。
自らの政治的主張と異なる選択をおこなった相手を「合理的でない」と揶揄することは、現実政治や政局においてしばしば見られますが、分析においては”合理的”ではありません。
個々のアクターが合理的に行動したことの帰結として、ある政治現象が生じたと考えることは社会科学においてよく見られますが、少なくとも、「その選択がなぜ、(一見不合理に見えたとして)当人にとっては合理的に映ったのか?」という前提から出発しない限りは、不毛な揶揄が続いていくでしょう。
そもそも、なぜ高齢者が「社会にとって非合理的な選択」をするのか?というのも、決して合理的な説明がされているとは言えません。
「高齢者は余命が少ないために、社会の将来的な利益よりも個人の利益を優先する」という定式が成立するのであれば、一般的に平均年齢の高い職業である政治家は、自己の利益のみを優先するはずです。(実際そうじゃないか!というツッコミはなしで)
あるいは、平均年齢がしばしば高い国際社会のリーダーたちが、国家を超えて、国際社会全体のために尽力することについても、説明がつきません。
反対にすべての若者が、自己の利益よりも、社会全体の将来的な利益を考えて行動するという想定も、疑わしいように思います。
このように、そもそも高齢者が非合理的な選択をするはずだという前提は、「シルバーデモクラシー」論が向き合うべき難題であるように思います。
おわりに
以上のように、「シルバーデモクラシー」論には、議論としていくつかの誤謬を抱えているとともに、我々が公正な社会を構想していく上で、危険な論理を持っている側面があります。
だからこそ我々は、Brexitを機に再燃したこの議論について、丁寧に扱っていく必要があります。
もちろん投票システムや制度の不備、そして人口動態によって生じる問題などは解決していく必要があります。しかしその解決策は、断固として、自由や平等に基づいた公正な社会を脅かすことのない方法であるべきです。
我々は長い歴史の中で、年齢や性別、資本、あるいは思想を問わず、自由に、そして平等に政治的主張をおこなえる権利を獲得しました。
「シルバーデモクラシー」という曖昧な概念が、少しでもその歴史に疑義を投げかけるのであれば、我々はそこに、公正な社会を脅かす危険な契機が存在することを注意深く観察する責務があるのです。