なぜわたしたちは部族主義に抗う必要があるのか?:コインチェック問題とヒラリー・クリントン

公開日 2018/01/31 00:22,

更新日 2020/10/10 19:48

無料記事 / オピニオン / 編集長より

  • 目次
  • 部族主義とは何か?
  • 部族主義の誘惑
  • 部族主義に抗う

先日、現代ビジネスに「仮想通貨580億円流出事件で露呈したメディアとテック業界の深い溝」という記事を寄稿した。すると、とある友人から「なぜわざわざ火の粉が飛んできそうなトピックについて書くのか?」という疑問の声をもらった。

記事自体は概ね好評で、今のところ火の粉は飛んできていないが、たしかに何故このタイミングで、メディアからもテクノロジー業界からも嫌われるようなことを書く必要があるのだろうか。

同じタイミングで、たまたま以下のようなつぶやきをした。

ヒラリー・クリントン、グラミー賞祭典でトランプ暴露本を朗読。非常に無意味で愚かしい行為だと思う。ハリウッド全体が、トランプに反対しないとダメという空気に支配されていて、そのコード(規範)から外れたらアウトという雰囲気を生んでいる。 https://t.co/L0k9vjvf95

— 石田 健(donc, いしけん) (@ishiken_bot) January 29, 2018

 

こちらも大きな反響を生んだが、友人の疑問と、ヒラリーの行動は似たような枠組みで語れる気がしている。

それは、部族主義だ。

部族主義とは何か?

部族主義
部族主義

部族主義とはなんだろうか。簡単に言うならば、自身の所属する集団(部族)の道徳的信念が最も正しいと信じ、その衝突によって他部族との深刻な対立が生まれる様子だ。

部族主義は、道徳哲学以外にも脳科学や進化生物学など、幅広い分野の知見を取り入れて議論されているが、ジョシュア・D.グリーン『モラル・トライブズ』は、この分野の最もよく知られた意欲的な著作の1つである。

グリーンは、トロッコに轢かれそうな3人を助けるために1人を犠牲にするべきか?という哲学者にはおなじみのトロッコ問題を例に出しながら、人間が倫理を考える時には、理性と感情の2つを天秤にかけていると言う。(ダニエル・カールマンやピーター・シンガーで同じみの二重過程論だ)

例えば、3人を助けるために線路のレバーを引いて1人を犠牲にすることは倫理的に許容できると感じるが、1人を歩道橋から突き落としてトロッコを止め、3人を助けることは直観的に許しがたいと考える人が多い。

人間が理性と感情の2つを天秤にかけながら生きているからこそ、わたしたちは異なる道徳的価値が衝突した時、その解決策を見つけられない。人は部族内では協調行動を取ろうとするが、異なる道徳の中で生きている部族同士は、対立を避けがたいのだ。

人種差別と部族主義

部族主義で興味深いのは、こんな実験だ。

バスケットボール・プレイヤーが言い争いをしている様子を見せ、そのあと選手の写真とセリフを組み合わせる記憶力テストをする。

被験者は、選手の所属チームを示すわかりやすい情報がない状態では選手の人種に注目しがちで、選手が所属チームをあらわすTシャツを着ると、所属チームに注目する。

これは、人間には生来的に差別的感情が備わっているか?という問いに対して、非常に興味深い材料を与えている。わたしたちは、集団の構成員をあらわす恣意的な目印によって、簡単に人を特徴づけようとする。

そして数々の実験は、わたしたちが人に恣意的な目印をつけることで「わたしたち」か「かれら」かを分類し、内集団をひいきする傾向があることを教えてくれる。

部族主義の誘惑

部族主義の問題は根深い
部族主義の問題は根深い

話を戻すと、現代ビジネスの記事もヒラリーの話も、根本的には部族主義の問題だと言うことができる。

例えば現代ビジネスの記事で扱った例あれば、テクノロジー業界における一部の人々は「新しいテクノロジーや会社には不当な批判が多い」という規範(コード)の中で生きている。

若い会社のメンバーや投資家たちは友人同士であり、文字通り狭いコミュニティであることから、部族主義が生まれやすい環境だ。

一方のメディアは、社会にとって不正なものは徹底的に追求する責任がある、というコードの中にある。あるいは、情報公開が不透明な企業や一般消費者が知り得る情報は、すべて引き出すべきという規範の中で生きている。

両者の規範について、どちらが優れているかという判断をくだすことは出来ない。もちろん一般社会の利益に資するのはどちらか?という問いは可能だが、少なくとも規範そのものは主観的な構成物だ。

ヒラリー・クリントンのパフォーマンスについても、社会の分断を加速する一方的な規範を披露しているだけに見える。

人種主義や性差別主義はもちろん批判されるべきだが、トランプに投票した全ての人が、性差別や人種差別に好意的だからこそ、トランプを支持したとは限らない。彼らの中には、ヒラリー・クリントンに嫌悪感を持つ者もいるだろうし、民主党の政策に不満を持つ者や、アメリカから取り残されたと感じている白人男性もいるだろう。

こうした人を一緒くたにトランプ主義者とまとめあげ、グラミー賞で笑いものにすることは、「トランプを批判しない人は、不正である」という規範(コード)を押し付ける試みだ。

強力な誘惑

反トランプというコードがハリウッドや一部のエリートを覆うことは、社会の分断を加速するだけに思えるが、いずれにしても我々は、常に部族主義の誘惑にさらされている。

部族主義の誘惑は、なぜ強力なのだろうか?

それは我々が社会的な生き物だからだ。グリーンらが指摘するように、わたしたちは社会的構成員として、日々コミュニティの維持に腐心している。それは会社かもしれないし、家族や学校のクラスかもしれない。

部族の道徳規範に従い、そこから逸脱するものを罰することは、集団を維持するためのインセンティブとして我々に深く刻み込まれている。

逆に言うならば、部族主義に抗う時、我々は大いなる批判にさらされるリスクを抱えている。なぜなら、いかなる部族にも所属していない人は存在せず、部族主義を批判することは、自身のコミュニティが攻撃されていると感じる人々を生み出すからだ。

部族主義に抗う

しかしそれでもなお、わたしたちは部族主義に抗う必要がある。

それは決して、自身の部族のコードを破ったり、反旗を翻すべきだと言っているのではない。わたしたちが、多様な部族に所属する生き物であることを理解するべきなのだ。

わたしたちは、あるコミュニティに所属していながら、同時に異なるコミュニティの構成員でもある。偏狭な部族主義が外部の部族を攻撃しようとしている時、その対象は、あなたが関わる他の部族かもしれない。

先進国を覆っている社会的分断は、この部族主義が迷走した結果だ。

部族主義が高まっている時、それがたとえ自身の所属するコミュニティであったとしても、批判的に検討する必要がある。自身の中に、「わたしたち」と「彼ら」というフレームが生まれた時、その枠組みが何らかの分断を強要するものではないかを真剣に見直す必要がある。

それが結果的に、おおきなコミュニティを維持するための最適な手段なのだから。

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著者
The HEADLINE編集長
1989年東京都生まれ。2015年、起業した会社を東証一部上場企業に売却後、2020年に本誌立ち上げ。早稲田大学政治学研究科 修士課程修了(政治学)。Abema TV『ABEMAヒルズ』、日テレ系『スッキリ』、現代ビジネス、TBS系『サンデー・ジャポン』などでもニュース解説をおこなう。関心領域は、メディアや政治思想、近代東アジア、テクノロジー時代の倫理と政治など。
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