なぜ世界を理解しなくてはいけないのか、中田敦彦氏のYouTube問題(前編)

公開日 2020年01月16日 08:19,

更新日 2020年01月16日 08:54,

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YouTube上で、歴史や哲学などの「授業」をおこなっているタレント・中田敦彦氏が批判を集めている。

中田氏の是非はさておき、本件はメディアにおける構造的な問題を示唆している。コンテンツは

・生産(クリエイション)
・流通(ディストリビューション)

に分かれるが、ディストリビューションの領域に変化が起きており、既存メディアがそこに対応できていないという構造的な課題だ。すでにメディアがデジタルへと本格シフトしたことは言うまでもないが、その中でもテキストから画像、動画へとコンテンツのリッチ化が急速に進んでいる。

しかし新聞やTV局のようなマスメディアは、デジタル化も十分にままならないままに、動画の波にはほとんど対応できていない。YouTube以外にも、TikTokやInstagramなど動画を掲載できるプラットフォームは次々と増えており、若年層の可処分時間は確実にそれらメディアへと移行している。

つまり良質なクリエーションをおこなえる企業は、主流になりつつあるディストリビューションに対応できず、結果としてYouTuberのような個人のクリエイターのコンテンツが影響力を持って流通している現状が生じている。こうした影響力のある個人には、放送局のようなライセンスもなければ、ファクトチェックをおこなう体制も揃っていない。

中田氏のように複数人でチャンネルを運営しているチームであっても、事実確認のため専門家が入っているわけではない。いわば学校や塾の先生が古い情報や不確かな知識にもとづいて語ったことが、これまでにないほどの規模で拡散してしまっている状況だ。

誰がわるいのか?

ではこの問題は、責任感の薄く影響力の大きい個人が引き起こしている問題なのだろうか?結論から言うと、問題の位相は3つある。

1つは、そもそも旧来メディアであっても、厳密なファクトチェックには程遠いという事実がある。たとえば池上彰氏のようにお茶の間から信頼を得ている人物であっても、事実認識の誤りとそれに伴う訂正は何度もおこなわれている。YouTuberだからミスが多く、TVや新聞だから信頼できるという図式的は構図はそもそも当てはまらないだろう。

2つ目は、コスト構造や視聴環境の問題である。TVに比べて、YouTubeはコストが低いと思われがちだが、それはあくまでセットの豪華さやスタッフの数など制作サイドの話であって、ファクトチェックなど内容の品質に関するコストは本来的には両者で変わるべきではない。(なぜなら発信する責任は等価であるから)

しかし実態として、YouTubeにはTVのような潤沢な制作費が存在しないため、制作サイドに限らずコンテンツの品質にもムラが生まれてしまう。バラエティであれば問題ないかもしれないが、ニュースや教育番組のような領域では、NHKほどの制作費をYouTuberが持つことは難しく、結果として調査やチェック機能はおざなりになる。

加えてYouTubeは、TVと異なり次々とザッピングされる視聴環境にある。Youtubeでは喋りの間を次々と切る「ジェットカット」という手法が主流だが、これは少しでも間が空くと視聴者が飽きてしまうYouTubeならでは課題から生まれた編集手法だ。

お茶の間にすわってじっくりと眺めるTVとは異なり、YouTubeにはどうしても素早いテンポや捨象した構成が求められる。その結果として、情報の不正確さが際立ってしまうという。

そして3つ目として、プレイヤーが少ないため競争原理が働きづらいという問題がある。「中田氏は影響力が大きい芸能人だから、発信には注意すべきだ」という声があるが、そもそも芸能人が不確かな情報を発信しているケースは枚挙に暇がない。

その中でも特段中田氏が問題視されるのは、単純に「教育系」ジャンルにおいては専門家の目が厳しい割には、プレイヤーが少ないことも理由に挙げられる。

芸能人のなかには流行りに乗ってYouTubeに進出してきたものの、鳴かず飛ばずというプレイヤーも少なくないため、「芸能人=当然YouTubeで人気になる=だから発信に気を使うべき」という単純な構図は当てはまらず、教育系ジャンルという特異性が、中田氏への影響力と批判を最大化させている

筆者もYouTubeチャンネルを開設しているが、基本的にニュース解説をYouTubeでやっているプレイヤーはほとんどいない(いたとしても、特異な専門家が細々とやっているケースが多い)。これは学習コストに対して、マーケット規模が合っていないという要因も考えられるが、専門知識であればあるほど専門家の目も厳しく批判も強くなるため、多くの人が敬遠するという背景も大きい。

もしプレイヤーが多ければ、不確かな情報が発信され続けることで視聴者が別のYouTuberにスイッチして自然淘汰されていくが、現状で同ジャンルは中田氏の一人勝ち状態であるため、教育・学習系のニーズに対して供給が追いついていない

中田氏は糾弾されるべきか?

その上で個人的には、3つ目がもっとも大きな問題であると考える。というのも、中田氏は話術もあり、人を引き込む能力としては現状ピカイチであり、今後も専門家以上のアテンションを獲得すると思われるからだ。

2つ目の問題でも指摘したとおり、YouTubeは「正しい情報」が評価されるアルゴリズムではなく「アテンションを獲得した情報」が評価されるプラットフォームである。また話術や編集、難しい知識を一般層にわかりやすく噛み砕く能力が求められるため、中田氏を超えるプレイヤーは今後もほとんど出てこないだろう。

もっと言うならば、中田氏のYouTubeに対していくら専門家が批判したとしても、

1)高品質なコンテンツ・クリエイションをおこなえるプレイヤーが出てきて
2)彼以上の話術とタレント力を持ち得る人物が多数出てこない限り、
3)彼の動画は今後も見られ続けるだろう

というのが結論である。では、こうした点を踏まえて中田氏のYouTubeは強く糾弾されるべきなのだろうか?

筆者個人としては、明らかな事実関係は訂正するべきであるし、中田氏はその責任を負っているという当たり障りない結論を持っているが、むしろ問題としたいのは

間違いはあるものの、初学者向けコンテンツとして意義を持っている

という彼を擁護する言説についてだ。

中田氏が強い探究心と才能、そして良識を持った人物であることは間違いないと思うが、では「初学者向けコンテンツならば間違いがあっても許される」という言説がまかり通るならば、巷にあふれるヘイト本と彼のYouTubeはどのように区別されるのだろうか?その原理的な線引はどこにあるのだろうか?

後編では、この問題を考えていく。


 

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著者
編集長
1989年東京都生まれ。2015年、起業した会社を東証一部上場企業に売却後、2020年に本誌立ち上げ。早稲田大学政治学研究科 修士課程修了(政治学)。Abema TV『ABEMAヒルズ』、日テレ系『スッキリ』、現代ビジネス、TBS系『サンデー・ジャポン』などでもニュース解説をおこなう。関心領域は、メディアや政治思想、近代東アジア、テクノロジー時代の倫理と政治など。
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