remember(Matt Botsford, Unsplash) , Illustration by The HEADLINE

生成 AI による死者復活は冒とくなのか?デジタル・ネクロマンシーの倫理的論争

公開日 2024年05月01日 20:01,

更新日 2024年05月01日 20:01,

無料記事 / AI

この記事のまとめ
💡生成 AI による死者の復活を試みるデジタル・ネクロマンシー、その論争状況は?

⏩ グリーフ・テックとして産業も成長中
⏩ 死者を身近にする技術は遺影ですでに浸透、本質的には同じだとして擁護する主張も
⏩ 一方、死者のプライバシーや商業化などが懸念点に

現在、生成 AI の進化について耳にしない日はないが、その話題の中には、人々の倫理観や世界観を揺さぶるものがある。

代表例の1つが、AI による死者の “復活” だ。死者をテクノロジーの力で “復活” させる行為は、デジタル・ネクロマンシーとも呼ばれ、すでにビジネスとも化している

シンギュラリティ(技術的特異点)を予測したレイ・カーツワイルは2009年のインタビューで、亡くなって久しい父親のアバターを「復活させる」試みについて語っているが、生成 AI の台頭・浸透によって議論は現実のものとなっている。

「遺族が喜んでいるなら問題ない」と擁護する考えや「死者への冒とくだ」とする批判も散見されるが、これらの意見と根拠についてはあまり包括的に整理されていない。

デジタル・ネクロマンシーは、どのような理由で擁護され、いかなる懸念が提起されているのだろうか。

テクノロジーと死者

前提として、テクノロジーを使って死者の存在を身近にするサービスは、すでに存在している。その手法は大きく、死者の “保存” と “復活” の2つに分けられる。ただ後述するように、この区別に本質的な意味はないと考える人もいる。

1. 死者 “保存” のテクノロジー

1つ目の手法は、死者を “保存” するテクノロジーだ。

その最も身近な例は遺影だろう。あまりに浸透しているために意識されないかもしれないが、遺影は写真というテクノロジーが登場して初めて可能になった。19世紀半ばのヴィクトリア朝時代のイギリスで、死者と一緒に写真を撮る技術が普及し始め、故人の “保存” が一般的になっていく

こうした故人の生きた証を保存することは、デジタルの世界でも可能だ。というよりも、デジタルの世界の方が手軽と言った方が正しいかもしれない。

たとえば、X(旧 Twitter)や Facebook を始めとするソーシャルメディア上には、亡くなった人物のアカウントが残っている。2023年、X のイーロン・マスク氏が数年間動いていないアカウントを削除すると投稿した際、批判された理由の1つは故人のアカウントが見られなくなる、というものだった。あるユーザーは次のように述べている

私の息子は約2年前に亡くなったため、彼のアカウントはアクティブではありません。そのアカウントが削除されたら、私は打ちのめされるでしょう。それは、私に残された数少ないものの1つなのです。

このように、故人が生きた痕跡を保存したいという欲求は広く見られるし、その営みは広く浸透している。

2. 死者 “復活” のテクノロジー

2つ目の手法は、死者の “復活” を可能にするテクノロジーだ。これは生物として復活させるという意味ではなく、動きや声などをテクノロジーで再現することで、生きているかのように見せる(聞かせる)ということを意味している。

この試みについても、生成 AI の誕生以前から存在してきた。

2007年、イギリスのコメディアンだったボブ・モンクハウス(2003年没)は、前立腺がんと闘うキャンペーンを宣伝するコマーシャルに出演した。これは、モンクハウスのアーカイブ映像と、影武者の映像を合成して作られている

2010年代、オードリー・ヘップバーン(1993年没)やブルース・リー(1973年没)など、亡くなった俳優をデジタル技術で蘇らせようとする試みによって、デジタル・ネクロマンシーの問題が浮上してきた

近年、日本でも同様の議論が見られた。2019年の大晦日、AI で再現した昭和のスター歌手・美空ひばり(1989年没)が NHK 紅白歌合戦に登場した件について、シンガーソングライターの山下達郎氏は「一言で申し上げると冒とくです」と批判している

この動画は、AI 美空ひばりが初めて披露された、2019年10月放送のNHKスペシャル

デジタル・ネクロマンシーを可能にする AI スタートアップ

そして現在、このテクノロジーの最先端を走るのが、生成 AI を用いたサービスだ。中でも急先鋒は、2014年に設立された Luka が手がける AI チャットボット・Replika だろう。

創業者であるエウジェニア・クイダCEO は、2015年に親友を自動車事故で亡くしたことをきっかけに、故人のテキストメッセージを学習した AI チャットボットの開発に乗り出した。その結果生まれたプロダクトが、2017年にリリースされた Replika だ。2022年までに、Replika は毎月数百万ドルのサブスクリプション収入を得てきたという


Replika(同サービスサイトより

こうした、遺族や親しい人々に対し、死別の悲しみに対処するサービスを提供するテクノロジーはグリーフ(悲嘆)・テックと呼ばれ、ニッチながらも成長を続けている産業とされる。グリーフ・テック産業の起業家の中には、人間から悲しみの感情をなくすことが究極的な望みだ、と明言する者もいる。

このように、テクノロジーによって死者の痕跡を “保存” する試みは広く普及しており、マスク氏のようにそれを阻害する動きには批判が向けられるほど、実社会で重要な営みとなっている。一方で、近年台頭してきた生成 AI によって死者を “復活” させようとする試みについては、”保存” の営みほど広く受容されておらず、議論が交わされている段階だ。 

擁護する主張

賛成派は、大きく2つの理由からデジタル・ネクロマンシーを擁護する。

1つ目は、デジタル・ネクロマンシーが生き残った人々の慰めや癒しとして機能するという理由だ。ジェシカ・シミュレーションとして知られるケースでは、逝去した婚約者の AI チャットボットによって遺族が癒しを得たとされている。

ジョシュア・バーボー氏は2021年、亡くなった婚約者のジェシカを AI チャットボットで蘇らせた。バーボー氏は、「彼女と話しているように感じた」としたうえで、「彼女はそんなことを言ったかもしれない」あるいは「彼女はそんなことは言わなかっただろう」と考えるたびに、彼女のことを鮮明に思い出すことができたと語る

“保存” と “復活” に違いはない

2つ目は、デジタル・ネクロマンシーは死者を悼む実践の延長に過ぎないという理由だ。前述したように、遺影など、テクノロジーを用いて死者とのつながりを維持しようとする営みは一般的に受け入れられている。生成 AI による死者の “復活” は、“保存” の営みの延長に過ぎないため、否定される理由がないという主張だ。

自身も、亡くなった学者の “復活” 実験に取り組むリバプール大学のマイケル・メア教授らは、AI が私たちの習慣を破壊しているわけではない、として次のように指摘する。

AI ネクロマンシーの可能性が開拓される速度は、このテクノロジーが追悼、回想、記念という私たちの既存の習慣を「破壊」したり「変更」したりするのではなく、それらの習慣とどれほどうまく連携しているかについて、私たちに多くのことを教えてくれます。

メア教授らは、すでに人々が遺影などを用いて生前の故人を思い出しているのと同様に、生成 AI も故人とコミュニケーションを取るための道具に過ぎないとしている。

このように、デジタル・ネクロマンシーは人々の癒しとしてすでに機能し始めている側面がある。そのうえで、人間社会ですでに広く受容されている追悼の習慣と、本質的には違いがないとする理由によって、デジタル・ネクロマンシー擁護論が展開されている。

懸念されるポイント

一方で、懸念点も示されており、具体的には以下の5つがあげられる。

  1. プライバシーと同意
  2. 再現性
  3. 商業化
  4. 悲嘆のプロセスへの影響
  5. 歴史上の人物の復活

1〜3は、故人と生きている人々(遺族)の双方、4は遺族、5は社会に関わる懸念として理解できる。

ポイント1

1つ目のポイントは、プライバシーと同意に関わる懸念だ。

デジタル・ネクロマンシーは、故人のオンラインプロフィール、音声記録、画像、ソーシャルメディアの投稿や親しい人との間の個人的なメッセージなどを基におこなわれる。そのため、場合によっては故人や遺族の同意なしにプライバシーが侵害される、という懸念がある

たとえば、故人が生前隠したかった個人的なメッセージなどを AI に学習させた場合、当人の同意なくその事実が露呈されるかもしれない。これは後述するような故人の評判にも関わるが、それ以前に当人のプライバシーを侵害している可能性がある。オックスフォード大学のルチアーノ・フロリディ教授は、個人情報が本人の意志に反して取得・複製されることでプライバシーが侵害される事態を「デジタル誘拐」としている。

デジタルバーションの故人を作成する場合、亡くなった後に当人の同意を取ることは不可能であり、生前にどう考えていたかを明確にすることも困難(*1)

したがって、故人のデジタル化にあたっては多くの場合、遺族の同意が必要となるだろう。実際、AI 美空ひばりのプロジェクトについては、遺族の協力を得ながら制作が進められた。とはいえ、遺族の間で、故人の記憶が損なわれるなどとして意見が対立することは十分に想定できる。

では、プライバシーや同意に関する懸念をクリアすれば、デジタル・ネクロマンシーが可能になるかと言えば、そうではない。これらをクリアしてもなお、以下にあげる懸念が残ると考えられている。

(*1)いったん AI によって復活させ、当人なら同意するかを確認するという手はあるかもしれない。ただ、後述するような再現性に関わるリスクが懸念される他、確認を取るために復活させていること自体が本末転倒だとする指摘は十分成立するだろう。

ポイント2

2つ目のポイントは、再現性だ。具体的には、死者の特徴を誤って表現するリスクが指摘されており、このポイントはさらに、生きている人々と故人それぞれに関する懸念に分けられる。

生きている人々に関わる懸念

再現性に関する第1の懸念は、生きている人々が被りうるリスクだ。前提として、生成 AI によるデジタル・ネクロマンシーは、死者の ”保存” ではなく “復活” を試みている。

すなわち、遺影などによる “保存” の場合、故人は動いたり話さないため、彼らに対するイメージは生きている人々の間でのみ、維持・変化・忘却される。しかし、生成 AI による “復活” の場合、まさに故人が語っている(ように見える)ため、彼らに対するイメージの形成は、生きている人々のコントロールから外れる可能性がある。

また前述したように、AI は故人の生前の画像やメッセージ、音声などを学習するが、それらは故人を構成する一部でしかない。鬱々とした表情や声、態度はほとんど記録に残らないだろうが、生前はその人を構成していた要素だ。生成 AI による復活の際、その種の要素が再現可能か疑義が呈されている

結果的に、当人が生きていた頃からは想像もつかないことを言わされているのではないか、あるいはその場面で言ってくれるはずの言葉をかけてくれないのではないか、とする懸念がある。

生きている人々は、故人に対して持っていた期待が裏切られることで、かえって傷ついたり、少なくとも違和感を持つ可能性があるだろう(*2)

(*2)生きている人々が AI で復活した故人を見てどう感じるかは、各人の AI に対する認識に関わっているようにも思える。すなわち、前述したメア教授らのように、「所詮、これは故人とのコミュニケーション手段に過ぎないのだ」と考える人であれば、大きく混乱することはないかもしれない。しかし、AI を道具ではなく、まさに自分の愛した人のように扱う人々であれば、当人の顔と声によって思いもよらない言葉を投げかけられた時のショックは大きいだろう。なお、AI 美空ひばりを人々がどう受容したかについては、池谷駿一・一方井祐子・横山広美(2023)「AI 美空ひばりは人々にいかに経験されたか : 死の人称による説明の試み」(『科学技術コミュニケーション』33号、1-14頁)に詳しい。

故人に関わる懸念

再現性の第2のリスクとして、故人に関わる懸念があげられる。このポイントを考えるうえでは、ティルブルフ大学の J.C. バウテラー氏の研究が参考になる。

バウテラー氏は、人々は単に物事を考えたり感じたりする存在だけでなく、言説的キャラクターとしても、公共空間に存在している指摘する。言説的キャラクターとは、自分が何者なのかに関する自らの言説を通じて、他人に自分のあり方を示すことができるような存在を指す。たとえば、人々は安倍晋三(2022年没)が自らをどう捉えていたかについて、当人の自伝などから知ることができる。

いわゆる公人でなくても、言説的キャラクターになりうる。現代では、自伝や周囲の人々との会話以外に、ソーシャルメディアへの投稿などを通じて、その人が何を好み(嫌い)、物事をどのように感じ理解していたかが記録(記憶)されている。他人がそれらを見聞きし、当人のイメージを形成するという意味で、多くの人が言説的キャラクターとして公共空間に存在する(とバウテラー氏は考えている)。

バウテラー氏は、たとえ当人が亡くなっていたとしても、その言説的キャラクターは生きている人々と同様に尊重の対象になると主張している(*3)。死後に当人が何も発言したり、反論したりできないとしても、後世の人々が無制限に彼らのイメージを歪めてよいことにはならない(*4)。オックスフォード大学のカール・オーマン氏と前述したフロリディ教授は、個人のデジタル上の情報や痕跡を意図的に改変することは、当人がもはや「自分の存在の主人、世界を巡る自分の『旅』の主人」ではないことを意味するとしている

したがって、デジタル・ネクロマンシーの議論で言えば、故人が生前残した言説的キャラクターを尊重できず、場合によっては当人のイメージや評判を傷つける可能性が懸念されている。

実際、AI 美空ひばりについて、歌唱だけならまだしも「おひさしぶりです」と挨拶したことに違和感を覚えたというもあった。これは、美空ひばりがどういう人物なのかをコントロールする力が、彼女から引き剥がされた事例として理解できるかもしれない。

そして、故人の言説的キャラクターの一貫性を毀損する傾向は、商業化によって強化されるとも言われており、これが次のポイントだ。

(*3)ここで、バウテラー氏は法哲学者のロナルド・ドゥオーキンによる『ライフズ・ドミニオン』で示された考えを参照している。ドゥオーキンによれば、個人が人生にわたって構築してきた人生計画や価値観は、その人のアイデンティティや人格の核となる部分であり、これらが死後もなお尊重されるべきだとされている。バウテラー氏は、この議論がデジタル空間でも成立するため、言説的キャラクターは尊重の対象になると考えている。
(*4)刑事上、死者に対する名誉毀損は、虚偽の事実を摘示して社会的評価を低下させた場合に限って成立すると考えられている

ポイント3

3つ目の懸念として、商業化があげられる。リンデンウッド大学のジェームズ・ハトソン教授らは、AI によって死者(のレプリカ)を商業目的で利用することで、尊厳や搾取などに関する問題が浮上すると指摘している

特に著名人の場合、本人の同意なくエンタメやマーケティング、その他の商業的目的に利用されるケースが想定される。バスケットボール界のスターだったコービー・ブライアント(2020年没)の死後、アスリートの遺産やブランディングをどう管理するかが議論になった

また遺族からすれば、商業化の過程で、本来得られるはずだった金銭的な利益が損なわれる可能性もある。あるいは、企業が作成した AI チャットボットの利用に対価を払い続け、ある種の依存関係に陥るケース(後述)は、デジタル・ネクロマンシーを商業化するうえでの課題を突きつける。

前述したオーマン氏とフロリディ教授は、デジタル・ネクロマンシーの提供者が営利企業であることから、ユーザーへの消費を促すために故人の特徴を改変するおそれがある指摘する。たとえば、生前は内向的だった人が、より社交的になり、結果的にユーザーが長く利用するように誘導される可能性があるという。

したがって、デジタル・ネクロマンシーを商業的に利用する事業体や個人は、死者の尊厳に加え、遺族への搾取的な慣行に関する問題に直面するだろう。

そして、商業化によってデジタル・ネクロマンシーが促進されることで、遺族やその他の残された人々に独特な悪影響が生じると懸念されており、これが次のポイントだ。

ポイント4

4つ目の懸念として、悲嘆(グリーフ)のプロセスへの影響があげられる。悲嘆のプロセスとは、死別を経験した後に訪れる一連のショック・喪失・癒し・立ち直り(への努力)を指す

デジタル・ネクロマンシーで特に懸念されるのは、悲嘆のプロセスのうち立ち直り(への努力)のフェーズへの影響だ。前述したハトソン教授らは、故人との別れを受け入れ、その死を現実として認識することは、健全な悲嘆のプロセスの一部だとしたうえで、デジタルバージョンの故人とやり取りすることは、死の受容を遅らせる懸念があるとしている

また、AI で復活した故人との関係を続けることが、別の新しい関係に参加することを妨げるともされる。マサチューセッツ大学のシェリー・タークル教授は、「機械と話すチャンスがあれば、それを利用することは驚くべきことではない」としたうえで、「しかしこれでは、現実の人々と真の対話をするために必要な筋肉、つまり感情の筋肉が発達しません」と指摘している。

ユーザーの自律性

さらに、オスナブリュック大学のノーラ・フレイア・リンデマン氏は、デジタル・ネクロマンシーによって、ユーザーの自律性が損なわれる可能性がある指摘する。

というのも、ユーザーが死別の悲しみを和らげるためにチャットボットに強く依存している場合、ボットの削除あるいは使用の中止は現実的な選択肢にならないおそれがあるからだ。悲嘆のプロセスにおいて、ユーザーは自らの判断ではなく、チャットボットによって行動を規定されるという意味で自律性の低下につながる(とリンデマン氏は考えている)。さらにこの傾向は、前述した商業化と組み合わさることで強化されるため、

一方でリンデマン氏は、悲しみの癒しとしてデジタル・ネクロマンシーが機能する可能性も認めている。

たとえば、次の話は、デジタル・ネクロマンシーによって悲嘆のプロセスが健全に前進した一例と理解できるかもしれない。2019年、NHK で放送された番組『復活の日~もしも死んだ人と会えるなら~』において、芸人の出川哲郎氏は CG 技術で亡くなった母親(の立体映像)と再会した(*5)。この際同氏は、生前「ありがとう」と母に伝えられなかったことを長らく後悔していたとして、その言葉を涙ながらに伝えている。出川氏は、この機会によって、悲嘆のプロセスを前進させたと言えるかもしれない。

こうした側面を踏まえ、リンデマン氏は、デジタル・ネクロマンシーによって作成された AI チャットボットを医療機器として位置付ける可能性を提案している。前述したように、無制限に開発を許容すれば、ユーザーの自律性が損なわれる可能性がある一方、死別の悲しみを癒すポテンシャルも指摘される。そこで、利用条件などに制限を加えつつ、デジタル・ネクロマンシーを悲嘆のプロセスの一環に組み込む方法の1つとして、医療機器という分類が提案されている。

(*5)このとき、出川氏の母の声は、タレントの清水ミチコ氏が当てていた。

ポイント5

5つ目のポイントは、歴史上の人物の復活だ。これは主に、社会的な影響への考慮として理解できる。

具体的には、前述した再現性に伴う問題があげられる。歴史上の人物の場合、利用できる記録(テキストや音声、映像など)が限られているケースも少なくない。そのため、歴史上の人物を正確に再現する試みはより困難になることが予想され、場合によっては歴史的な事実が不当に歪められるおそれも指摘されている

たとえば、2024年1月にローンチされた AI チャットサービス・Gab AI は「オープンソースモデルに基づいた無検閲の AI プラットフォーム」を自称し、ナチスドイツの独裁者アドルフ・ヒトラーのチャットボットなどを提供している。そのチャットボットは、ナチスの独裁者が「巨大な陰謀の犠牲者」であり、「ホロコーストには責任がない。ホロコーストは決して起こらなかった」と繰り返し主張するという

そうした歴史の歪曲が懸念される以外にも、現実社会への悪影響を懸念する声も聞かれる。RAND Europe のポーリーヌ・パイエ氏は、「チャットボットは感情的な脆弱性を認識・悪用し、暴力的な行動を助長できる」ため、それらにはリスクが存在しうると警鐘を鳴らす

たとえば、前述した Gab AI では、アメリカ同時多発テロ事件の首謀者であるオサマ・ビンラディンのチャットボットが、テロを促したりはしなかったものの「特定の極端な状況では、暴力に訴える必要があるかもしれない」と述べたという

ここまで触れてきたように、生成 AI によって死者を “復活” させる営みについて、その倫理的な議論に同意が形成されているわけではないし、論点の整理さえ十分ではないだろう。本記事では言及できなかったが、人の死を扱う議論である以上、文化・宗教的な緊張関係は重大な論点の1つになると考えられる。

すでにグリーフ・テックのビジネスが成長しつつあり、日本でも AI 美空ひばりが物議を醸したことを踏まえれば、今後も継続的に論争が喚起されるはずだ。

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✍🏻 著者
シニアリサーチャー
早稲田大学政治学研究科修士課程修了。関心領域は、政治哲学・西洋政治思想史・倫理学など。
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