Vladimir Putin(Kremlin, CC BY 4.0) , Illustration by The HEADLINE

経済制裁によりロシアの一般市民が苦しむことは、倫理的に認められるのか?

公開日 2022年03月12日 18:06,

更新日 2023年09月19日 14:09,

有料記事 / 政治 / 欧州

ロシアによるウクライナ侵攻を受けて、国際社会からの圧力が強まっている。 国際銀行間通信協会(SWIFT)の国際決済ネットワークからロシアの複数金融機関を排除する他、プーチン大統領やセルゲイ・ラブロフ外相らが経済制裁の対象となっている。

また民間企業のレベルにおいても、Shell や BP など大手エネルギー企業がロシアからの撤退を明らかにしている他、VISA や Mastercard などの大手カード会社も同国での事業停止を決定している。

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しかし経済制裁によって影響を受けるのは、プーチン大統領や軍関係者だけに限らない。ロシアでは、大規模な反戦デモが起こっており、既に5,000人近くが逮捕されている。同国内で戦争に反対する人も、歴史上稀に見る強力な経済制裁によって、生活への影響を被る可能性が高い。実際、今年のロシア経済は2%の成長予測から7%の減退へと見通しが引き下げられており、急激なインフレの予兆も現れている

経済制裁による打撃を被るのは、ロシア経済だけではない。サプライチェーンの混乱やエネルギー不足、穀物の輸出停滞などを通じて世界各国が痛みを伴うことが予想されている。経済制裁をおこなう側は、いわゆる「返り血」を浴びることが避けられないのだ。

ここで、1つの疑問が生まれてくる。経済制裁によって、プーチン大統領だけでなく反戦デモに参加しているロシア市民も壊滅的な影響を受けるならば、それは果たして倫理的に正当化できるのだろうか?プーチン大統領の責任を同国民も負う必要があるのだろうか?

経済制裁とはなにか

経済制裁とは、外交や安全保障などの政策的な目的のため、通常の貿易や金融取引などを停止することだ。大きく分けて、ある国家との包括的な経済活動を禁じるアプローチと、特定の企業や団体、個人との取引を遮断したり、資産を凍結するアプローチなどがある。

目的

経済制裁は、ある国家に対する「懲罰」として理解されることも多いが、実際には対象国の政策変更平和的な体制移行を目指して、政府や地域を支援するように設計されるケースも多い。たとえば EU は、自らの制限措置(制裁)について

EU による制限的措置は「制裁」という口語的名称にもかかわらず、懲罰的ではない。これは悪質な行為に関与したEU域外の国家や団体、個人を対象として、政策や活動に変化をもたらすことを目的としている

強調する。また、被制裁国(今回であればロシア)や第三国(たとえばロシアとの関係が近しいベラルーシや中国)に対して、メッセージ(シグナリング)を送る効果もある。具体的には、経済制裁は「欧米はロシアの行動を許さないし、ウクライナをサポートする」という明確なメッセージとなる。

あるいは以下のように、政策変更だけでなく体制転換を促す可能性もある。

相手国の経済活動や軍事活動に経済的な圧力をかけ、それが当該国内で政策に対する反対派や、政治指導者に不満を持つ反体制派の支援につながり、それぞれの政治過程の中で政策変更(場合によっては指導者の交代)に至る、というプロセスを想定する

今回のウクライナ侵攻であれば、ルーブル下落やインフレーション、日用品の入手困難に見舞われたロシア市民が、プーチン政権に対して反旗を翻すようなシナリオが考えられる。ただし過去の研究は、権威主義国家において経済制裁が政権の不安定化に繋がることは殆どないことを示唆しており、こうしたシナリオは現実的ではない。実際、プーチン大統領は反戦デモの参加者を次々と拘束してる他、メディアに対する報道規制も強化するなど、強権的な姿勢を加速させており、短期的に政権の不安定化が生じる可能性は低そうだ。

2014年のクリミア半島併合をめぐり国際社会から経済制裁を受けた際も、プーチン大統領は反対に自身の政治的支持に繋げたという研究もある。

主体

経済制裁を実行する主体は、大きく分けて ① 国連・安全保障理事会(安保理)による制裁② 国家および地域の決定による制裁に分けられる。

前者は、全ての常任理事国(中国・フランス・ロシア・英国・米国)に拒否権が行使されず、常任・非常任理事国15か国のうち計9か国以上が賛成した場合に採択される。今回のケースであれば、ロシアが常任理事国であるため、安保理による経済制裁は不可能となっている。

後者は、米国やEU、日本などによる個別の経済制裁だ。単独あるいは一部国家による経済制裁は、抜け駆けなどが生じやすいため実効性の低さを指摘する声もあるが、今回のように欧米各国らが足並みをそろえた包括的な経済制裁は「注目に値する」ものと理解されており、一定の効果を持ち得る。

効果

経済制裁が効果的なツールになり得るかは、これまで多くの研究が積み重ねられてきた。前述したように、経済制裁の「目的」は幅広く理解されており、経済制裁によって「ウクライナからの即時撤退」や「ロシアにおける体制転換(プーチン政権の崩壊)」など即時的な変化が起こるわけではない。国際社会は長きに渡って経済制裁を続けてきたが、北朝鮮に核兵器を放棄させることやイランの政策を根本的に変更させることに失敗している。その意味で「経済制裁は効果が薄い」という一般的な理解も、大きく間違っているわけではない。

しかし複数の研究によれば、国連などの国際機関を通じて経済制裁が実行された場合、効果的で大きな影響を生み出す可能性がある。経済への即時の影響が大きいことや多国間で制裁が実行されること、政権や指導者の交代という野心的な目標を達成するために制裁を用いないことなど、いくつかの条件下における経済制裁は、一定度の効果を発揮すると考えられている。

今回のケースで言えば、経済制裁の成功を「キーウ(訳注:ウクライナの首都キエフ)包囲の阻止と定義した場合、経済制裁は機能しないものの、それは今後のロシアによる意思決定に影響を与える可能性がある」と指摘されている。

経済制裁により苦しむ市民

経済制裁は、軍事介入を避けつつも外交交渉よりも強力なメッセージを遅れることから、過去数十年に渡って、重要なツールとして重宝されてきた。しかしそれは責任ある指導者や軍事的リーダー(有責者)に打撃をもたらすだけでなく、市民における人道的危機などの予期せぬリスクを生むことも繰り返し指摘されてきた。

イラク

たとえば1990年、イラクがクウェートに侵攻したことで生じた湾岸戦争に伴って発動された経済制裁では、同国における5歳未満児の死亡率(1990 - 1991年)が大幅に増加し、約50万人が死亡したと言われる。ただしこの数字については、イラクのサダム・フセイン政権が国際社会を欺くために調査データを改竄しており、信憑性が低いことも2017年に指摘されている。

データの信憑性はさておき、経済制裁が対象国における子どもや高齢者など脆弱な立場にある人々を脅かすという懸念は、この出来事によって国際社会で広く議論されることとなった。


イラクの子ども(Levi Clancy, Public Domain

旧セルビア・モンテネグロ

また1991年から1996年までの旧セルビア・モンテネグロに対する経済制裁についても、明確な出口戦略の不在と国際社会からの非現実的な要求が重なったことで、一般市民が苦しんだことが指摘されている。この経済制裁では、同国製品の包括的な禁輸が実行されたことで経済が疲弊した他、武器の禁輸措置によって一部の勢力のみが武器を入手できる状態が生まれてしまい、事態が悪化したという見方もある。

最近では、長年に渡って国際社会からの経済制裁を受けている北朝鮮について、新型コロナウイルスによる国境閉鎖と相まって、脆弱な立場にある人々が大規模な飢餓リスクに晒されているため、制裁を緩和することが国連によって提唱されている。

このように経済制裁については、効果的な手段となり得る場合があるものの、一般市民に対するネガティブな影響が大きいことが問題視されてきた。実際、経済制裁は対象国の経済成長を遅らせて、貧困を拡大する他、対象国の指導者よりも一般市民に影響を与えるという包括的な研究もある。

ロシアに対する「歴史上類を見ない規模」の経済制裁が、プーチン大統領や政治的リーダーのみならず、一般市民を苦しめることになるという予想は、決して的外れではないのだ。

スマート・サンクション

こうした懸念を念頭に置いて生まれたのが、スマート・サンクション(Targeted Sanctions とも)という概念だ。スマートサンクションとは「一般市民への損害を回避し、国際法違反に責任のある指導層への打撃を極大化する」経済制裁であり、2000年前後から問題意識の高まりおよび実践が進んできた。(*1)

たとえばアフリカ南西部に位置するアンゴラでは、反政府武装組織のアンゴラ全面独立民族同盟(UNITA)の資金源として、違法採掘されたダイヤモンドの存在が問題視されていた。そこで安保理は、同国産ダイヤモンドの全面的な取引禁止を決定し、金融制裁とあわせてスマート・サンクションを実行した。NGO による紛争ダイヤモンド問題の告発、国連による名指し非難(name and shame)とあわせて事態打開および制裁終了に繋がり、スマート・サンクションの成功事例として知られている。

今回のロシアに対する経済制裁に関しても、英国ニュージーランドEUなどが「Targeted Sanctions」という言葉を用いている。すなわち、現在の国際社会においてスマートサンクションをおこなうことは、重要な前提として理解されているのだ。

(*1)スマート・サンクションに関する包括的な日本語文献としては、本多美樹『国連による経済制裁と人道上の諸問題 サンクション・スマートの模索』(2013年、国際書院)。また関連する文献としては、千知岩正継「日本語で読める人道的介入・『保護する責任』の文献リスト」に詳しい。

スマート・サンクションの具体例

スマート・サンクションは、具体的な制裁項目を指すわけではないが、一般的には

  • 経済制裁からの食糧および医薬品などの除外
  • 武器禁輸
  • 対象を絞った旅行・移動の禁止
  • 政治的指導者などの個人資産の凍結

などが想定されている。

具体的には2001年、安保理が以下の指摘をおこなったことでスマートサンクションの重要性が国際的なコンセンサスとなっていく。

多くの国家および人道支援団体が、女性や子どもなど最も脆弱な立場にある人々に、制裁が悪影響を及ぼす可能性を懸念している。また制裁が、第三国の経済に与える悪影響についても懸念が表明されてきた。

(略)制裁の悪影響は、慎重に検討された人道的回避策を安保理決議に直接盛り込むか、制裁の対象をより明確にすることで軽減できる。民族よりも政治体制に圧力をかけ、人道的コストを削減しようとする、いわゆる「スマート・サンクション」は、現在多くの支持を集めている。 

その後、スイスやドイツなどで開催された(インターラーケン・プロセスやストックホルム・プロセスなど)国際会議において、ターゲットを絞った金融制裁や移動の禁止など制裁手法の意義および実践的なあり方が、研究者および実務家によってまとめられ、スマート・サンクションは「段階的に洗練されていった」とされる

東京大学の中谷和弘教授が指摘するように、近年の安保理決議に基づく経済制裁は ① 内戦なども「平和に対する脅威」として認定されるなど、制裁の原因となる行為が多様化するとともに、② 政府資産の凍結や送金禁止に限らず、個人資産についても同様の措置が取られるなど、対象・手法が多様化してきた。

このうち ② についてがスマートサンクションの確立と深く関係しており、一般市民や隣国などに被害が及ばない手法が追求される中で、この概念は2010年代にかけて実務的に確立していったのだ。

スマートサンクションの限界

ただしスマート・サンクションの限界も指摘されており、具体的には実行スキームや人道的影響、デュー・プロセス(適切手続き)および人権の問題などが挙げられている。

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ウクライナ侵攻を考える

✍🏻 著者
編集長 / 早稲田大学招聘講師
1989年東京都生まれ。2015年、起業した会社を東証一部上場企業に売却後、2020年に本誌立ち上げ。早稲田大学政治学研究科 修士課程修了(政治学)。日テレ系『DayDay.』火曜日コメンテーターの他、『スッキリ』(月曜日)、Abema TV『ABEMAヒルズ』、現代ビジネス、TBS系『サンデー・ジャポン』などでもニュース解説。関心領域は、メディアや政治思想、近代東アジアなど。
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