石田健『なぜ、それは不適切なのか』徹底解説 / 部下に『髪を切った?』はハラスメント? / 女性の外見を褒めることは問題? / 人権/コンプラ/ポリコレの新しい教科書
概要
石田健 株式会社リバースタジオ代表取締役。日テレ系『DayDay.』コメンテーター、フジテレビ系『Mr.サンデー』、TBS系『Nスタ』『サンデー・ジャポン』、テレ朝系『ビートたけしのTVタックル』など出演。近著に『カウンターエリート』... 続きを読む 閉じる
石田健
株式会社リバースタジオ代表取締役。日テレ系『DayDay.』コメンテーター、フジテレビ系『Mr.サンデー』、TBS系『Nスタ』『サンデー・ジャポン』、テレ朝系『ビートたけしのTVタックル』など出演。近著に『カウンターエリート』(文藝春秋、2025年)。早稲田大学政治学研究科修了(政治学)。
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出演 - 石田健・金子侑輝
企画/構成 - 石田健
撮影/編集 - 株式会社リバースタジオ
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#ニュース解説 #イシケン #ニュース
トランスクリプト
※ 音声をもとに読みやすく整えた内容のため、発言とテキストが完全に一致しない場合があります。こんにちは。ヘッドラインの石田です。
こんにちは、金子です。
はい、ということで今日はですね、石田の新刊『なぜそれは不適切なのか』人権、コンプラ、ポリコレの新しい教科書が発売されたということで、その内容の紹介をしていきたいなと思っています。
何でも聞いてください。
これまずどうでしたか?書き上げてみて。
そうですね、あの裏コンセプトがみんなが気になっていることだけど、誰も書きたくない本を書こうということだったので。
もちろんこの本が必要だと思って書いたんですけれども、当然ながらね、こういう話はあんまり触れたくないと思ってる人が多いですし、自分自身もその、もちろんね、お話しいただいたのはありがたいものの、書くことによる不利益というか、デメリットも多いなと思っていたので、まあそういう意味では少しこう後ろめたい気持ちもありながら書いたという感じですね。
なるほど。じゃあその後ろめたいとか、なんかこれ書いたら何か言われるんじゃないかみたいなところっていうのが、具体的にどういうイメージなのかっていうのを。
そうですね。あの-
中身触れながらって感じです。
冒頭で書いてる通り、例えば昔その大学生の時とかに、酒飲んでない奴に対して「酒飲めよ」みたいなこと言ったりとか、あとはその自分の家に来たその女性に対してなんか「え、何もしないの?」みたいな感じになったりとか、そういう振る舞いって今考えたら当然良くないと思うし、しないだろうというふうな気持ちという過去の話もあれば、まああとは当然会社の中でも、なんかその、自分が金子さんの場合、俺は上司で部下でみたいな関係性になった時に、なんかああいう言い方良くなかったなとかっていうのは今もあるような話で。
その、そういうことって当然その俺もそうだし、その今実際会社でビジネスマン、ビジネスパーソンやってる人たちも日々感じてると思うんだよね。
うんうん。
だけど、じゃあそれが全くないですと。私はもう本当に日々一生懸命こういう問題に気をつけて配慮をして完璧な振る舞いをしてますという人じゃないと、こういう本を書けないのだとすれば、それはもう誰もこの本を書けなくなっちゃうなということで、あの、まあ昨今、フジテレビ、旧ジャニーズの問題から始まり、最近でもわかってTVとか、それからホンダ、東大の本田先生の発言だったり、いろんな問題がある中で、誰もこの問題に触れないと、本当に臭いものに蓋をしようという風になると、それはそれで良くないなということで、誰かがやるべきだと思って書いたっていうところが後ろめたさの方ですかね。
あともう一個だけ一応補足をしておくと、やっぱりジェンダーとか、それから人種、それから自由、平等、人権っていう、本当にこれ一冊の本がそれぞれできるようなトピックで、で、これ多分おそらく専門家の人は当然書きたくないというか、書きづらいと思うんだよね。そのジェンダーの専門家が、例えばじゃあ人種の話を書いたら当然穴もあるだろうなとか、この問題なんで触れてないんだとか、これはミスリードじゃないか。で、当然俺の本にも今後そういった批判は来ると思うんだけれども、でもじゃあその研究書、あるいは研究者で、もう本当に博覧強記の人しかこれができないってなると、それはまあもちろんそういう方、素晴らしい方いっぱいいると思うけれども、これは時間がもっともっとかかってしまうというところで、そういうところでも後ろめたさはもちろんありながら書いたという感じですね。
なるほど。これ人権、コンプラ、ポリコレの新しい教科書っていう、あの副題がね、ついてますけど、やっぱりこの辺が昨今キーワードというか、それこそさっきビジネスパーソンの話ありましたけど、僕はまだ全然会社の中でも若手の方なんで、そのあんまり何て言うんでしょうね、まあ最近だとその部下から上司へのなんかそれはハラスメントではみたいな話とかもあったりはしますけど、よく言われるのはその上司側が部下にどう接していいかわかんないとか、なんかその緊張感を解くためのコミュニケーションのつもりが、なんかハラスメントに認定されてしまって、なんかどうやって話しかけていいかわかんないみたいな話あると思うんですけど、そういうのとも関係してるっていう、そんなイメージなんですかね。
そうですね。まああのね、金子さんは中身を読んでもらったら、いや、中身読んでもらったから、謝辞にも名前が出てますけど、あの、そういう意味で言うと、よく中身を知ってるからこそわかると思うけど、そういう本じゃ実はないっていうのがミソだよね。あの、一見するとね、そういう教科書ってなってて、今はこんなことやっちゃいけませんとか、今髪切ったっていうのNGです、綺麗だねとか言うのNGですみたいな、なんかそういうこう、すごく表層的な本じゃないっていうところで、本当に読者の人に負担をかけて申し訳ないけれども、最初から人権が来て、で、樹山先生の人権の哲学でも扱われているような、そもそも人権ってなんだっけ?っていうところからスタートしているので、そういう本を期待して読んでくださる方、手に取ってくださる方はもちろんすごく嬉しいし、その答えも当然入ってくるんだけれども、やっぱり最初そこじゃないところからいこうぜっていうところが一番の特徴かもしれない。我々がすごく関心がある倫理学、政治哲学が扱ってきたような、じゃあ部下が何人かいたら平等に扱わなくちゃいけないって言った時、あれ、平等ってそもそも何だっけ?みたいな。成果の平等なのか、あるいは仕事で言ったら時間ごとに労働、時間給でこの平等が担保されているのか。じゃあ男女平等って言ったら、じゃあ同じように扱えばいいじゃん。あれ、それって平等なんだっけ?みたいな。本当にその学術的な関心で言われてたような話が。まあそのままね、その実務に扱い、実務に適用できるかっていうとそうじゃない側面もあるけれども、できる限りそれを切り離さず、その、まあよくこの本で何度も繰り返してるけど、その意識をアップデートしたら対応できますみたいな、そういうナイーブなアプローチはもうとにかく取りたくないっていうところが。
やっぱりあったので、そういうところをなんかこう、そこが難しさでもあるんだけど、その面白さを読者の人にも楽しんでもらいたいなっていうのが本当に偽らざるところですよね。
なるほど。なんかそのルールブック的な、こういうルールの表で、なんかこんな今後喋るようにしましょうとかっていうことではなくてってことですよね。
そうだね。でもこれもまたそのね、この本ややこしくしてるところでもあるんだけど、そのそういった普遍的なアイデアとこの本で呼んでる人権、平等、自由みたいなものをもちろん大事にしつつ、ただ同時に、じゃあそのルールブックって馬鹿馬鹿しいよねっていうことにもしてない。実際、最後、本の一番終わりの部分ですかね。そのルールブックっていうのも場合によっては大事。なぜなら、この社会がすごく暫定的な、そのルールに基づいてやっぱり運用されてる側面もあるし、それが必要になる時もあるからっていうことで、人権ってこういうもんだよね、差別ってこういうことだよね、ポリコラ、ポリコレ、コンプラはこうだよね、で、最後謝罪するにはこうしたらっていうつつのね、ルールブックを書いてるんだけれども、逆になんかもうもう四の五の言わずそれだけ教えてくれっていう人も、最後逆にそっちを読んでもらって、ふーん、じゃあこれどういうことなんだろうっていう入り方をしてもらってもいいなっていうとこあるよね。
だから逆に言うと、今だからそのつつのルールブックなんかをちょっとご紹介しちゃうと、そのP三百二十七ページ。「人権は一人一人が価値ある人生を追求し、社会の一員としての地位が認められるための最低限の条件だ。あなたの振る舞いは、誰かの価値ある人生を阻害していないだろうか」この話なんかは、特にその人権があれもこれも人権として適用されてしまう、いわゆる人権のインフレーション、人権のインフレ問題に対してのちょっと答えにもなっていて、その反コンプラ、反ポリコレの人からすると、最近何でもコンプラポリコレうるせえなって思ってる人がいて、それに対してやっぱ人権とかを擁護する人っていや違うんです、人権って本当に大事で、あなたのほら、そういう振る舞いだって人権を侵害してるじゃないですか、あれもほら、人権ですっていうふうになって、それは必要はもちろん局面もあるんだけれども、でも実は真摯な研究者もそのことを危惧していて、これはちょっと驚きの人もね、いるかもしれないけど、そのインフレ化していくことは良くないと。例えばスーダン以南のアフリカ、あるいは中東、南アジア、そういった国で非常に明白な人権侵害を行われていて、そして国連やPKOが介入しなくちゃいけない、そういった非常に極限的な状態を人権侵害というふうに言うべきであって、例えば、部下にお前仕事できねえな、本当にバカかって言ったり、女性にブスって言ったり、男性に不細工って言ったり、そういうことを人権侵害というふうにも一緒くたに見なしてしまった場合、それは国家の介入が必要な人権の問題を実は相対的に軽くしてしまうんじゃないかっていう危惧も出てくるわけだよね。
で、これをやっぱりどう考えるかっていうのは、すごく人権を大事にしてる人たちにもやっぱり問いかけられていて。いやいや、同じぐらい大事じゃないですか。人が死んでるのとブスって言われるの同じぐらい重いんですよっていう人もいれば、直感的にさすがにそこは線引きされるんじゃないかと。まあ俺はどっちかっていうとそっちの立場だけれども、そうなった時に、じゃあ何かテストとか線引きのためのルールみたいなのが必要なんじゃないの?ということで、そういった議論をなんだろうな、参照することで、この一つ目のルールブックに繋がってると。
で、二つ目。あ、ごめん。
専門家の人たちでもそういう議論って蓄積があったと思うんですけど、なんかそういう形でこう、今まで世に出てこなかったっていうのは、やっぱ先ほどのその、そういうのを書くと、いや、あんたもそういう振る舞いしてるでしょというふうに言われてしまうというところがなんかあったりするんですか?その、なんでこういうのが誰も書いて存在してないのかっていう。
なんでだと思う?いや、俺これが結構その普通にもう今YOUTUBEになってて、ここまで見てくれた人は、あの、いつものノリをね、そろそろ求め始めてんじゃないかなと思うからあれだけど、今個目のこの人権のルールブックあたりから普通にカンナさんにも聞いていきたいんだけど、あと二個目、三個目、四個目は見ていくとして、なんでだと思います?
うーん、まあよく言われる直感的に思いつく一つの理由としては、専門家の人にとってはやっぱりインセンティブが低いですよね。一般向けの、これ、あの人権本というよりは、広く一般の研究者の動きとして、一般向けの人に書く研究者の方たち、たくさん本を書いてらっしゃいますけど、まああまりそのご自身のキャリアにとってはプラスにならないこともまあまああると。
今っていうのは、その、あんまりご存知ない方のために説明しておくと、学術論文、いわゆるジャーナルとか雑誌とかの論文にどれだけクオリティの高いものを出せるかっていうのが、結構その評価の基準、自分のキャリアにとってのプラスになるかどうかっていうところの基準に一つなっているので、そういうものが。なので、こういう新書とか一般向けの本っていうのは、出してもあまりその自分の業績として、その高い評価の業績としてカウントされにくいっていうのが大学の中の仕組みとしてちょっとあったりはするので。なのでこういうものを出したりとか、YOUTUBEに動画に出たりとかっていうのは、あの業績になりにくいことに加え、出たら出たでさっきみたいに、その、「いや、あんたも何かそういう言い方はどうなんだ」とか「不適切じゃないか」って言われて、逆に叩かれることもある。そうなってくると、なんかマイナスの方がむしろ大きいのではみたいなことを考えると、なかなか表にも出しにくいし。
っていうのが直感的にこういう本が生まれにくい理由の一つかなと思うんです。
あのプラス俺がやっぱ思ってるのが、その、もちろん俺はそういった先生たちの業績とか研究は素晴らしいし、その巨人の方の上に乗ってできてる本だから、それが優れた学術書、一般書も含めてあるっていう前提だけど。その同時に思うのは、やっぱりこれはこれでなんか一つプロフェッショナルな仕事かなって思ってる側面もあって。っていうのが、やっぱりこう、これを身近な例で書くとか、それから、まあかなりその試みが成功してるかどうかは、ぜひ読者の方の判断に委ねたいけど、その、まあなんとなく直感的に理解できるみたいなところにやっぱり翻訳するみたいな作業は、まあこれはやっぱりコメンテーターっていう仕事がほとんど価値がないとか、いらないって言われてる、まあそういう主張に俺は八割ぐらい同意するんだけれども、ただやっぱり二割ぐらい、これはまあやっぱり自分たち、それは俺もそうだし、金子さんもそうだけど、やっぱりそういうふうなことを俺たちここで一年ぐらい、特に金子さんもここ一年ぐらいやっぱり出てきて、重々ですね、わかったと思うけど、この言い方じゃ伝わらないなとか、これはちょっと話をややこしくしてるだけだな。で、しかもそういうフィードバックって社内でもいっぱいあるじゃん、これ伝わらないよねみたいな。で、そういうことをやっぱりやってる、専門にやってるっていう意味では、まあある種のその本来メディアってそういうものだよね、こう真ん中にいて、翻訳媒介者であるっていうところを考えると、その仕事を、じゃあメディアの人、研究者じゃない人がやるべきだと思っていて。そういう意味でもプレーヤーが少ないっていうのも理由かもしれないよね。
なるほど。届けるっていう、そこのプロセスを考えた時に。
どういう言葉を使った方がいいのかとか、どういう例を使ってその話を、専門的な話をどういう例を使って説明した方が一般の人たちにとっても受け取りやすいのか。
そうだね。そう。
そういう視点があるってことですね。
まあちょっとこれはね、あの、ポジネガ両方あると思うけど、例えばここの帯、これちなみに面白くて、一見するとね、帯が貼ってあるように見えて、実はこの表紙にそのまま印刷されてるっていうので、これ裏話をしとくと、こっちの方がちょっとこうね、コストが抑えられるっていう。
そうですね、紙を巻かない分。
巻かない分、別のね、印刷が必要ない分ってあるんだけど、この顔がね、載ってるのが、あの、ポジティブな面、もちろん知ってくれてる人もいるってポジティブな面もあるんだけど、こう、中高年の、特に男性のビジネスパーソンがもしかしたら抵抗があるんじゃないかなと思ってて。こういうなんか若いよくわからんやつの本を買うっていうのが。
金髪ですし。
金髪ですし。そう、だからちょっと次の十版がかかったらちっちゃくして、他の人に誰か帯のコメント書いてもらおうかなと思ってて。これね、ちょっと相談してるんですよ。
だから今この版を実は買える人はすごいレアだし。
逆に第二版で、もしそれが出たら、こういう意図なんだなっていう、そういう楽しみ方も実はできるんだけど。
本もあれですね、この狭いスペースでいろいろ。
考えられてるんです。
で、まあそれはさておき、ここに書いてあるような部下の髪切ったはNGとか、不倫は不道徳、不適切な振る舞いかとか、なんかこういうのってさ、ちょっとこう、せっかくね、その研究者が書いた最前線の地からすると、ちょっとなんかこう、身近すぎるというか、なんかしょうもねえ例を書きやがってって思う、もしかしたら研究者もいるかもしれなくて。
ものによっては下世話だなんて言われちゃかもしれないですよ。
だけど、そこをこう、まあいい意味で気にしないでやろうっていうのは、今回書くときに決めていて。まあそういうことの両立をしたがるというか、許容できる人っていうのももしかしたら少ないだから。本としては少ないのかもね。
そんな話があって。一個目がね、人権の話で。
ちなみに緑色なのは何か理由があるんですか?
これなんでだろうね。あのー、わかんない。でもね、すげえ良かった。あの、出版社じゃない、本屋さんにサイン本を書くために、大阪、東京で、この後福岡、多分名古屋も回らせてもらうんだけど。
まだ福岡と名古屋もあるんですね。
あるんですよ。ぜひ皆さんサイン本がね、紀伊国屋さんとか丸善さんとかジュンク堂さんで出てるんで。あと蔦屋さんもぜひ手に入れて。この、この扉のところにサインが書いてあるので、ぜひ見ていただきたいんですけど。あのー、目立つ。緑目立つ。
めちゃくちゃ。
確かに緑の本ってあんまり。
あんまりないよね。
それはなんかこういう本だからさ。なんかもっとおどろおどろしい本にした方が何か良さそうじゃん。
赤い。
そう、不適切本とか言って。まあでも緑だからこそなんか偉い並んでんな、積まれてんなみたいな感じで、これは存在感は。
そう、存在感。
はい。ということで、さっきのルールブック、人権が一個目ね。で、二個目。差別とは、単に属性を理由とした不利益だけでなく、社会構造などによる抑圧も含む問題だ。女性、マイノリティ、外国人などは歴史的、社会的な背景によって構造的不正義に直面している可能性がある。ここだけね、聞くとね、構造的不正義って何?とか、なんか社会構造、抑圧って何?とか、クエスチョンも多い人もいるかもしれないけど、通読してもらうと意味もよくわかるし、やっぱりこう、それは差別だとか女性差別だとかっていうのって、すごく日常的にももう使われてるし、なんかこう、自分が差別されてる側であるや、差別をした後糾弾される側ってなる局面も多いけど。じゃあ例えば外国人お断りっていう張り紙がポンって貼ってあったら、これは差別だなって思う人多いと思うんだけど、じゃあもうちょっと最近だと抑圧っていう概念が問題化されて、で、その抑圧っていう概念に紐付いたその差別の形っていうのが、特にこう、ちょっと専門的な議論の中では割とメインになってきてる気もしていて。って思うと、やっぱり単にその差別だ、いやこれは差別じゃないっていうのをずっとこうレッテル、レッテル貼りをしてるのもすごくもったいないなと思っていて。それで二個目、こういう定義にしてる。なので、なんかこう、ちょっと抑圧って何?とか構造的不正義って何?って人はぜひ目次を見て、その単語とかその辺のキーワードを押さえてもらうと。あ、なんかこういう振る舞いもダメなのかもなとか、こういう考え方しようとか。あとは逆差別っていうね、最近よく男性の方が不運を被ってるんだっていうところも、引き続きそう思う人もいるかもしれないけれども、あ、この視点を入れた上で逆差別について考えたいなとなる思ってもらうと嬉しいなと。
はい、なるほど。そうするとあれですかね、なんか最近その逆差別的な文脈でいうと、大学の入試の枠、男女の枠とかっていうのもあった。
Affirmative Action問題ね。はい。
あの辺に関心がある人とかも良さそうですよね。
そうだね、あの日本だと、まあアメリカだとね、当然バッキ裁判とかがあって、北人白人の問題だけど、日本で皆さんにとって身近なのは女女子枠、女性女子生徒枠っていう言い方が多いのかな。まああの、例えば東大だったり。
医学部とか。
医学部とか。で、これを逆差別だというところでいろんな議論をしてるんだけれども、やっぱり考えておきたいのが、その差別の議論っていうのが、今のこの瞬間をスナップショットのように切り取った話なのか、つまり百あるうちの点数が多少低かったとしても、絶対にこの二十の枠っていうのは女性のために確保しますっていう風な、もしルールを敷いた時に、この二十によって席を奪われている男性がいるじゃないかっていうのは、その一年だけの試験結果でいうとそうであると。ただ、そこまでに蓄積されてきた、その構造的不正義という、まさにその概念だけど、例えば十年で見た時に、それは男性が下駄を履いてきたのだとすれば、ここで調整せざるを得ないよねという、そういう話が出てくると。ただ、そうすると当然出てくるのが、いや、なんで過去十年の過ちの責任を自分が背負わなくちゃいけないのかっていう話で。ここは実はいやいや、お前、じゃあそんなこと言うってことは、女性差別、なんだ、女性差別論者かって怒られるかもしれないけど、実はこの問題はすごく大事で。
その、例えば国家において、過去の戦争責任に自分に責任があるのかとか、じゃあ過去別に男性とその過去の男性と俺は全然無関係だけれども、なんでそのある種のこう、罰を自分が払わなくちゃいけないのかっていうところはすごく大事な問題だったりもするので、そこを考えましょうよっていう議論もされてる。
だから女子枠は最高とか女子枠は絶対必要だのワンサイドじゃないっていうところも難しいところでもあるけどね。それは真摯に考えたいなとも思いますよね。
なるほど。うん。急に難しそうな話に聞こえてきたんですけど。
やべえよ。ダメだ。これはここで説明して本を売らなくちゃいけないから。
でもこれに関してでもそうとしかちょっと言えないよね。どう思います?
まあ、それは中身を読んでいただくしかないっていう感じですけど。でも逆に言うと、そういう話を考える時に、やっぱりすぐ今Xでしか話さないじゃないですか。
確かにね。
こういうものを使って、ある種これを土台に、別にこれを批判しちゃいけないとかっていう話では全くないと思うので。
まさにまさに。
これを使ってそういう話をXですればいいんじゃないかなって。
うんうん。それは本当にそうだよね。なんかこう、確かに抑圧にの話に至るためにすっごい経由するんだよね。やっぱ読んだ人もすごい疲れました、ぐったりしましたっていう感想が来て。で、ぐったりしたものを読ませてしまってごめんって思う反面、やっぱりね、特に差別、人権、ポリコレはもう本当に石を投げ合う感じで、一旦通読してみようっていうのがもう難しい時代に来てると思っていて。もちろんそれをやった上でね、女子枠なんてくだらんとか、けしからんって思う人がいてもいいと思うんだけど、この単語、その議論する上での土台になる用語を揃えておきたいっていうのはあるよね。
その差別だとかって言った時に、結構違う意味でそれ使ってないかとかっていうことですかね、今のは。
そうだね、そうだね。
だから。
まあこれちょっと難しい話に一瞬なっちゃうけど、その差別、ヘルマンっていう法学者が出てきて、ヘルマンはその貶める人を貶めることが差別だって言ってて。それだからある人が他の人よりも道徳的に価値が低い人だってランク付けするような態度を差別だって言ってるんだけど、多分Xの議論で、その、そういう、その変化、それは変化してるって、変化っていうのは変を貶めるで、価値の価で変化なんだけど、Xの議論でそれは変化だねみたいなのってないじゃないです。でもそれを知ってることで、あなたは差別をそういう定義で使ってるんだねとか、その、いや、僕はそうじゃなくて、明確な不利益が別に貶めてるかどうかは個人の感情の問題で、明確な不利益が生まれない限りは自分は差別だと思わないんだけど、ここはね、その、まずまずここでの対立があるねって確認できるじゃない。
なるほどなるほど。
やっぱそういうことをやりたいよね。
なるほど。うん。
大変だね。
体力が要りそうで。
体力がいるね。うん。でもまあ年に一回ぐらい体力いる本をぜひね、ちょっと読んでもらうといいかなと思いますね。はい。はい。それが二個目で。で、三つ目がポリコレやコンプラは暫定的ルールに過ぎない。これちょっとね、過ぎないって言っちゃうとね、その反発する人もいるかもしれないけど過ぎない。しかし、毎回普遍的アイデアを踏まえて議論するコストは高く、コミュニティごとのローカルルールを押さえておくことに損はないっていう、ちょっと後ろ向きなというか、なるほど消去法的な言い方をしてるんだけど、俺結構これは好きで。あのポリコレについては、例えば実際にそのポリコレに関しての本が出ていて、で、研究者の中でもその立場が分かれてるっていう、この本の中でも紹介してる三者三様の議論があるんだけど、だからポリコレをくだらんって思う人もいれば、いや可能性がるんだって人もいて、で。俺は両方ともわかる。で、両方ともわかる上で、ただ間違いなく言えることは、ポリコレとかコンプラっていうのは別に法によって決まってるものでもないし、その人権のように一方通行な、ずっと成長していくアイデアでもないから、おそらく揺り戻しもあるだろうということを考えた時に、所詮ローカルルールじゃんって思う人もいれば、やっぱりその所詮っていうのが当たってる側面もあると思うんだよね。だけど、それを踏まえて考えるのは大事だよっていうことで、これ具体的に何かっていうと、この中での例出してるんだけど、サマーズね、ハーバード大の学長のサマーズさんがいて、昔ハーバード大。
有名な経済学者ですね。
そうですね、職を追われた人で、彼はその女性の方が数学に向いてないんじゃないかみたいなことを講演で発言したら、女性差別的だと言ってクビになったんだけど。
なんかIQの表みたいなやつを出したんですよね。
そうそうそう。で、これ両方あって、やっぱりもし生物学だったり、あるいは何らかの教育学でも何でもいいんだけど、の研究をしている中で、これは男性に向いてるね、これは女性に向いてるねっていう、もし学術的なしっかりとした証拠が出るんだったら、それは遠慮なく俺発表するべきだと思う。
論文として。
で、それに対してちゃんと論文として反証するべきだと思う。それが科学的な手続きに則ってる限りにおいては、それは絶対に冒すべきじゃないと思う。で、一方で、例えばその女性のSTEM教育をサポートする、日本でいうと例えばヤマト慎太郎財団のような、そういう取り組みがあった時に、そこの人たちにいきなり「女性は理系向いてないんだよ」とか言うと、それはやっぱり全く、それがもし例えば一本の論文を読んで、その論文に書いてあったことを紹介することであったとしても、それはその目的に適ってない、その財団とかNPOの目的に適ってないし、そのことが逆に女性をエンパワーメントしなくなる可能性があるから、やっぱりそういう議論をする時は配慮するべきだと思う。で、こういった形で学術コミュニティにおいては、そういった学術的な振る舞いを、何かエンパワーメントしたり、社会的に強烈なメッセージを与える場合は、そこに配慮した議論をっていう、言ってみりゃ当たり前のことなんだけれども、なんかそういうことをちゃんと切り分けてごっちゃにしないようにしようぜっていう議論。
はここでしていて。これも別に俺のオリジナルの議論というわけではなく、実際にアメリカの政治学者で、これはね、何かブログに書いてたから、へーって思ったんだけど、ブログに書いてちょっとしたこう、ペーパーにも出してたんだけど、そういう主張は、俺もこれはね、見るまでは何かあんまりピンと来てなかったというか、そういうもんだよな、確かにみたいな。で、その、その辺の人たちが例によく出してるのが、なんか大学って自由な学問の真理の探求の場だって言われてるけど、その、それ何かっていうと、例えばじゃあ教室でそうやって勉強して、ゼミで研究して勉強して、で、でも寮とかに帰って、なんかリラックスして酒飲んでる時に、なんか、その、いやなんか君の、なんか、その時に例えばその女性は、じゃあ例えば数学に向いてないってポロっと言った時に、お前はそれはなんか科学的な態度なのかとか、逆にそれは何か配慮してるのかみたいなことをなんかネチネチ言われたら、それは心休まんないじゃんって。その大学っていうのは、その、いい仲間を作って、コミュニティとしての価値と、学術的な真理探求としての価値が両方あって、それをなんか両方大事にするべきだみたいなこと言ってて、確かにみたいな。
なるほどなるほど。
そう、だからなんかその、そのコミュニティのところにいきなり学術的な議論をずっとやってる奴がいたらシンプルに迷惑だし、逆に学術的な議論を真摯にやってるのに、なんか反対みたいな、急に何かプラカードを持って押し寄せてきたら、それはそれで迷惑だったりするから、そういうことをちゃんと考えようぜっていう意味での暫定的ルールに過ぎないっていう言い方を。
なるほど、なるほど。ちょっとそのコミュニティとかっていうのがどんぐらいの規模なのかなとかっていうのは気になるかなって思うんですけど、その、例えば今の話だと、大学の中とか、あるいはそれはもしかしたら会社の中とか、なんか同じサークルとかクラブとかかもしれないですけど、それじゃあなんか地域とか、もうちょっと言うと日本とか、日本だってコミュニティの一つじゃんみたいな言い方の時に、まあこれ今ちょっと念頭にあるのは外国人問題とか、この外国人問題っていう言い方についても、ちょっとポリコレ的な話とか、外人って呼ぶのはやめましょうとかって話あったりするじゃないですか。そのコミュニティの大きさみたいなところに関しては何かありますか?
一応この本の中では何か表みたいのを書いてて、やっぱり国とか地域みたいな広い場合は、やっぱりより受け取り手というのもたくさんいるから、より穏当なポリコレのルールをやっときやしょうと。で、そのちっちゃいコミュニティとかにおいては、いろんな考え方とか真理探求とかがあっていいんじゃないの?みたいな。割と穏当といえば穏当な結論を出してるんだけど。
ただでもね、俺結構これ本の中では別に直接書いてないんだけど、その、すごく頭にあったのは、やっぱりそのアソシエーション、中間団体とか社団みたいな、まあなんかね、その18世紀で言うとさ、そのコーヒーハウス的なところで公共圏だとかってみんなが議論していた、ああいう中間団体が必要だみたいなことは、あの、ちょっと前からずっと今までよく言われてるような話ではあるんだけど、やっぱそういうの大事なんだろうなってすごい思ったのよ。
今ってやっぱその人にとっての暫定的なルールを一気にネットに放出して、で、炎上して、それについて話せなくなるみたいな。まさにその、そういうことが起きてるわけじゃん。Xで。で、その公共圏でなんかみんながこの辺は穏当のないんだから守ろうよみたいなのがあるからこそ、その。
超エッジの効いた議論ができたりとか、その極端な立場であっても、それをそれをその立場を愛する仲間と共に何かこう議論ができたりする、その喜びとか面白さもあるわけじゃん。だからすごい極端な話、すごい差別的な考えとか、あるいは別に差別的じゃなくても、日本がすごい大好きで、日本語のなんかその拡張性みたいなものを俺は好きなんだと。で、そういうのを愛しててみたいな人たちって、別にその人たちでさ、議論したりさ、それやって日本を良くしていこうって考えてくれるのも別にいいわけじゃない。
で、なんかそういうことと、でも公共の場でのルールっていうのをこう折り合うことはないけれども、でも緩やかにそいつら、お前、俺にお前はその言ってることはよくわからんけど、でもお前がそう言うのをすごい信じてることはわかるみたいな。
なるほどなるほど。
いう社会が俺は来たらいいなと思っていて。だからこそ、その、それを架橋するような本にもしたいなと思ったし、なんかそんなことを念頭に、その多元的な暫定的ルールって言ってるけれども、多元主義的な暫定的ルールって言ってるけど、なんかそういうことをすごい思ってるって感じかな。
なるほど。うん。
そうは言っても、そんなに差別的な発言をぶちまけてる人たちと一緒に話したくないって言ってる、思う人は多いんじゃないですか。
まあそうだね。だからそこはやっぱりこうね、別にコミュニティってその溶け合う自由もあれば溶け合わない自由もあるからっていうところだと思うんだけど、ただやっぱりそのね、まさに今そういうことを念頭に言ってくれたと思う、くれたのかもしれないけど、そうは言っても差別的な人と働く、喋らなくちゃいけないのが社会だよね。その、特に選挙とかなんかは最たるもので、全くもってその自分の思想信条だけで区割りが決まってりゃいいけど、そうじゃないと。同じ区の中に外国人は出ていけとか、外国人ルーツ、外国ルーツのやつは許さんとか、人もいて、この人たちと暮らしていかなくてはいけないみたいなのが民主主義だったりもするから、その言語がない、お互い通じ合う言語がないっていうところを、なんとかどうにかする共通言語をとりあえず手に入れる程度の本を用意しておきましたけど、どうですか?みたいな。
そんな感じはあるよね。はいはい。ということで、今のが3つ目でしょ。で、最後が4つ目で、それは何かというとですね、不適切な振る舞いをした場合、謝罪が求められる。謝罪とは、自分の責任を明確にしつつ、償いや補償を行う意思を示し、謝罪相手の尊厳の確保、回復を目指すところだ。うん。ここもね、ちょっと難しい単語がいっぱい出てくるんだけど。
で、やっぱこれは別にここの話細かく入るってよりは、謝罪ってむずいじゃん。
難しいです。
できりゃしたくないしさ。
したくないです。
でもさ、しなくちゃいけない時もあるじゃん。
あります。
まあ仕事のね、謝罪なんかはこう言っちゃなんだけど、適当にしといてもさ、まあ金と金の問題だったりするから、なんかごめんみたいな、なんか許さんみたいな。まあまあそれだけど、これやっぱ尊厳っていうところ一つポイントだと思っていて。そのやっぱさ、金銭的に回復できるさ、その補償ってさ、まあ嫌だよ、仕事でそういうこと起こりたくないけど、究極楽だよね。
まあ嫌な、本当に嫌な言い方すれば、まあ金で解決できる話です。
そうなんだよ。だけど、やっぱりこのいわゆる不適切な振る舞いって、尊厳という何かを傷つけると。で、尊厳って何ですか?って聞くと、人権のことだって。じゃあ人権って何ですか?って。尊厳ってなんか永遠にぐるぐるしてる問題をここでも書いてるけれども、少なくともそのこの本の中ではね、尊厳っていうのをちゃんと明確化してるし、その人の価値のある人生を阻害しない振る舞いが大事ですよみたいな話をずっとしてるんだけれども、その、そういうものが多分何かしらによってこう傷つけられたりとか、奪われた時に、それを回復するプロセスが謝罪であると言ってて。
だから、カオさんが大事にしてる花瓶を割った時に、その花瓶には例えば家族との思い出がすごく詰まってたという時に、ああ、これいくらだったの?3千円、あ、じゃあ3千円はいって言ったら、これはおそらくその思い出は回復されてないんだよね、きっと。だから、そういう意味での何かこう、尊厳を回復するプロセスが必要だみたいな話になってくるんだけど、なんかそうなると、その、とりあえず謝るとか、とりあえず処罰するとかっていう、今の人権とかの問題でよく出てくるような振る舞いも、ああ、これちょっと違うのかもなって思ってもらえるので、そういうところ含めて、本当にその何が問題なのかから、実際に謝罪をして、場合によっては償いをするっていうところまで考えましょうっていう、そんな一冊になってるかなと思いますね。はい。はい。もうこの解説するだけで疲れたね。
著者も疲れてるんです。
著者も疲れてみんな疲れてる。読んだっていう人も大変だったって言うし。
でも出してまだね、4日、1週間ぐらいしか経ってないから、よく1週間で読んでくれたなって思うしね。ありがたいですよね。
ありがたいです。
うん。どうですか?なんかコメントとかもね、してくれたし。どう思います?この本がどう売れたらいいなとか、こういうふうに読んでほしいなとかあります?なんか。
まあとりあえずわかんなかったとしても、全然目を通すっていうのはあると思う。
本当にそうだよね。うん。
なんかこういう、でもそれこそ本当にこれさっきの話に戻っちゃうかもしれないですけど、なんかやっぱりこういう話をした時に、やっぱその全部ちゃんと、それはすごいもう真摯な態度だと思うんですけど、全部ちゃんと読んで理解しないといけないっていうふうに。
思う読者の方もいると思うんですけど、まあ例もカジュアルなものを使ってるので、あの。
そのわかるところ。
うんうん。
から理解していくとか。
っていうのもあるかなっていうふうには思いますね。なんかやっぱ全部一回でやろうとすると結構大変だと。
大変だと思う。やめた方がいい。
僕はそのこういう議論に馴染みがあるんで、その頭から全部通して読んでも、あの、結構すんなり入ってくる方なんですけど、逆にそのぐらいの人じゃないと。
多分一発じゃ入ってこない話が多いんで。
でもなんか俺はすごいそれがいい話というか、大事だと思ってて。やっぱりこういう話ってすごい説教臭くなっちゃうような、なんか「あなたはアップデートしてません」とか、なんか「昭和のおじさんはダメ」みたいな、なんかそういう感じか、か、まあ反ポリコレみたいな話か、なんかか、もうなんか人それぞれだよねみたいな、気持ちが大事だよねみたいな。
どう思われ、言われた方がどう。
思うかみたいな。もうほんとそういう議論クソって思って俺は書いたわけですよね。
なんかおそらくこういう話をするときに、人それぞれとか気持ちとかじゃなくて、その研究者たちが積み上げてきた確かな議論があるんだと。
で、これ、もしその読み方とかが間違ってたら、それはもう全部百パーセント俺の責任なんだけど、これは後書きでもやっぱり言ってるし、俺は強く思ってんだけど、でもそういう確かな議論ってやっぱ面白いんだよね。
うーん。
で、その別に面白さだけでこの本を読んでほしいと思わないんだけれども、あ、なんか人権って何?ポリコレって何?尊厳って何?でふわっとしたことばっかりに聞こえるんだけど、これは押さえた方がいいよねっていうのが、なんかちょっと輪郭が見えてくると、それは多分良いし。なんか単純に面白かった、勉強になったじゃなくて、その、ああなんかこういうことだとわかるかもなっていうのがなんかうっすら見えてくれば、それは俺は一番嬉しい読み方というか。
そう、だから。でもそのうっすら見えてくるのって、多分本当に言ってくれたように、一回じゃ多分絶対ね、難しい部分もあって、それは俺のね、その力不足なところもたくさんあるけど、多々あるけど、でもなんかああこういう話ってなんか分かるなとか、これなんかちょっと雑に使ってたかもなっていうところがね、届くといいよね。
はいはい。
さあ、ということでね、ぜひこれをですね、皆さん買っていただいて、本当に紀伊国屋さんとかもう五面で展開してくれてて、平積みもあれば棚にも二個あったりとかして。で、それはジュンクさんも二面あったし、丸善さんなんかも一番いいとこに貼っといてくれて、もう本当にありがたいなと。で、その本屋さんの思いに応えるにはいっぱい売らなくちゃと思うし。し、しかもこれはだからやっぱ俺が本が売れてほしいっていう気持ちが、まあもちろん二十パーぐらいはあるんだけど、やっぱ八十パーぐらい、これは本当に思ってるんだけど、これなんか共同プロジェクトだなって思っていて、それは読者の人というか、これを買ってくれた人との共同プロジェクトだと思って。これは多分カウンターエリートの時より大きくて、やっぱこれが広まれば広まるほど、みんながそういう議論をまたするし、また不毛な議論が出てきた時に、いや、これにちょっと立ち返ろうぜっていう風になるかもしれないし。
参照点になる。
そう。逆にこれが不十分だと思う人は、それを乗り越えるような、ぜひ本とかもね、出してくる人が出てくるだろうし。だから多分みんなで作り上げるそのものだなっていう意識がすごく強くて。
なるほどなるほど。
だからこう、これを書いて読んだよっていう人はぜひ投稿してほしい。SNSとかに。
なんかそういうプロジェクトをみんなでやっていくと、もうこういう話をさ、ちょっと飽きちゃったよって人も結構いると思うの。俺もやっぱその部分あるし。
だからそれを一つ方向性を見つけるためにこそ、なんかこのプロジェクト一回みんなでやって、なんかもうもう同じ話はいいやと。それよりもっとこうしたらいいんじゃないの?っていう建設的な話につながるように、なんかこれをこうなんかみんなで盛り上げていくって感じになるといいなと思いますね。
はいはい。買ったら投稿すればいいですか?ぜひ写真付きですか?
写真付きでね。ハッシュタグなぜふてとともに。
なぜふて。
はい。投稿していただくと、俺もリプライしますし、リツイートもするし。まああと俺が喜ぶっていうのより、やっぱ本当にね、あの、俺もまだ不勉強だし。
なんだろう、この問題を語る資格があるのかっていうのは、やっぱ出した後もずっとね、思ってたりするから。それはやっぱみんなで少しずつ、なんかそれを気持ちをなんか背負ってってのは変だけど、なんか共有しながらやっていけるといいかなと。
思いますね。はい。ということで、今日は以上になります。ありがとうございました。