Denver Mayor Gavel(Tingey Injury Law Firm, Unsplash) , Illustration by The HEADLINE

なぜ最高裁は、夫婦同姓を「合憲」と判断したのか?

公開日 2021年06月24日 20:54,

更新日 2023年09月20日 12:11,

有料記事 / 社会問題・人権

[本記事のまとめ]
  • 「合憲」判断は、あくまで「民法と戸籍法の条文が憲法違反ではない」ということ。
  • 夫婦同姓の是非や具体的な制度については、国会で議論・判断されるべきとも指摘。
  • 特に憲法24条との関係で、法制度が婚姻を「制約」しているか? その制約は「合理的」か? がポイント。

23日、夫婦別姓(氏)を認めない民法および戸籍法について、最高裁大法廷が「合憲」と判断した。2015年にも同様に「合憲」判断がされており、それに続く決定となる。

選択的夫婦別姓については、今年3月の日本経済新聞社による世論調査で「賛成」67% ・「反対」26% となった他、同じく1月の時事通信による世論調査では「賛成」50.7% ・「反対」25.5% となるなど、国民の間で前向きな声が広がっている。

今回、こうした流れに水を指すように夫婦同姓を「合憲」とするかのような判断が出たことに、立憲民主党・安住淳国対委員長が「時代遅れ」と述べたり、国民審査での罷免を求める声が上がるなど批判の声も広がっている。東京新聞は、「夫婦別姓から逃げた?最高裁 『憲法の番人の役割果たさず』国会任せの姿勢に批判の声」と強い口調で非難している。

では一体なぜ、15人の裁判官のうち11人は「合憲」との意見を示したのだろうか?彼らが選択的夫婦別姓に反対する、時代遅れの裁判官で、夫婦別姓から逃げたからなのだろうか?

「合憲」判断の意味

まず重要なことは、今回の判断は「裁判官の選択的夫婦別姓に対する賛否」を問うものではなく、あくまで「民法と戸籍法が憲法違反であるか」を問うものだ。

すなわち「合憲」とした11人が夫婦同姓に賛成あるいは反対しているわけではない。ましてや、「婚姻率をあげるために夫婦別姓を認めるか」が争点なわけでも、裁判官が「女性差別を容認している」わけでも、夫婦別姓から「逃げた」からでもない。もちろん「合憲」判断は夫婦同姓について支持・推奨するものでもない

実際に決定文では「夫婦の氏についてどのような制度を採るのが立法政策として相当かという問題と、夫婦同氏制を定める現行法の規定が憲法24条に違反して無効であるか否かという憲法適合性の審査の問題とは、次元を異にするもの」(*1)だと明確に述べられている。

簡潔に言うならば「民法と戸籍法は合憲だが、夫婦同姓の是非や制度は、国会において議論・判断されるべき」という話なのだ。そこで2つの疑問が浮かんでくる。なぜ最高裁は「合憲」と判断したのだろうか?そして、なぜ夫婦の姓については国会で議論されるべきなのだろうか?

(*1)「姓」は条文において「氏」と表記される。本記事は判決文・決定文の引用なども多いため必要に応じて両者を用いる。

「合憲」の理由

まず今回、最高裁が「合憲」判断をおこなった理由は、次の一文に集約される。

民法750条の規定が憲法24条に違反するものでないことは、当裁判所の判例とするところであり(略)、上記規定を受けて夫婦が称する氏を婚姻届の必要的記載事項と定めた戸籍法74条1号の規定もまた憲法24条に違反するものでないことは、平成27年大法廷判決の趣旨に徴して明らかである。

ここで言う「判例」および「平成27年大法廷判決」とは、前述した2015年の判断であり、今回もそれが踏襲されたことになる。2015年から現在までは、

  • 女性の有業率の上昇
  • 管理職に占める女性の割合の増加
  • 選択的夫婦別氏制の導入に賛成する者の割合の増加
  • その他の国民の意識の変化

などの社会的変化も生じているが、これらの「諸事情等を踏まえても、平成27年大法廷判決の判断を変更すべきものとは認められない」ともされる。つまり、今回「合憲」判断がされた理由を理解するためには、2015年の判断(以下、平成27年大法廷判決)を見ていく必要がある。

争点

そもそも平成27年大法廷判決の争点は、民法750条が憲法13条・14条1項、24条1項および2項に違反するか?だった。それぞれを簡単に整理していこう。

まず民法750条は、以下のように夫婦同姓(夫婦同氏の原則)を定めている。これが憲法違反であるかが、大きく3つのポイントから争点となった。

夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。

憲法13条

まず憲法13条は以下の内容であり、いわゆる基本的人権について定めている。

すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

平成27年大法廷判決では、民法750条が13条で保障される人格権の一内容である「氏の変更を強制されない自由」を不当に侵害しているか?が争われた。

これに対して最高裁は「氏が、親子関係など一定の身分関係を反映し、婚姻を含めた身分関係の変動に伴って改められることがあり得ることは、その性質上予定されて」おり「婚姻の際に『氏の変更を強制されない自由』が憲法上の権利として保障される人格権の一内容であるとはいえない」として、「憲法13条に違反するものではない」と結論づけた。

姓(氏)は、個人のアイデンティティにとって重要な要素ではあるが、同時に「社会的にみれば、個人を他人から識別し特定する機能」を持っているため、それが結婚や養子など何らかの関係性の変化によって変更を求められるのは、予想された性質だということだ。

憲法14条

次に憲法14条は以下の内容であり、男女の平等が示されている。

すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。(略)

平成27年大法廷判決では、夫婦同姓の実態として96%以上の夫婦が夫の姓(氏)を選択しているため、女性のみに不利益が生じる性差別を生みだしているか?が争われた。

これに対して最高裁は、民法750条の文言そのものが「性別に基づく法的な差別的取扱いを定めているわけではなく」、それ自体に「男女間の形式的な不平等が存在するわけではない」として、「憲法14条に違反するものではない」と結論づけている。

形式的平等」とは「機会の平等」に近い概念で、たとえば女性であることを理由として給与が低くなることを禁じる考え方だ。反対に「実質的平等」とは、法的に男女平等が定められていたとしても、構造的な差別や見えづらい偏見などによって、男女に給与差が生まれてしまうことがあるが、こうした状況を是正する考え方だ。

今回であれば、民法750条によって現実には女性が不利益を被るという「実質的平等」を妨げる問題が生まれていたとしても、条文そのものは「形式的平等」を守っているため、違憲とは言えないという指摘になる。

憲法24条

最後に憲法24条は、婚姻に関する以下の内容が定められている。

(1項)婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
(2項)配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

平成27年大法廷判決では、改姓が婚姻届出の要件となっていることで実質的に婚姻の自由が侵害され(1項)、立法裁量の存在を考慮しても、個人の尊厳が侵害されているか?(2項)が争われた。「立法裁量の存在を考慮しても」とは、立法府である国会は、憲法の枠内で自由に立法する裁量を有しているが、その裁量を尊重したとしても、憲法で保障される個人の尊厳を侵害しているか?という意味だ。

まず1項についてだが、法制度に意に沿わないところがあって婚姻しない選択をする者がいても、それをもって直ちに、民法750条が憲法24条1項に反するとは言えないとする。

その上で、ある法制度が婚姻を「事実上制約」するものかは、2項で述べられるように、その法制度が ①個人の尊厳と ②両性の本質的平等 に「十分に配慮した法律」であるか? がポイントとなる。

この観点で考えた時、以下3つの論理が示される。

  1. まず、夫婦同姓(夫婦同氏の原則)そのものは、明治31年から日本に定着してきたもので、家族の一員であることを対外的に示して、識別する機能を有しているなど、氏を1つに定めることには「合理性が認められる」
    加えて、憲法14条で見たように、夫婦同氏制それ自体が男女の「形式的な不平等」を生んでいるわけではなく、夫婦間の協議による自由選択に委ねられている
     
  2. 一方、夫婦同姓によって「アイデンティティの喪失感を抱いたり、婚姻前の氏を使用する中で形成してきた個人の社会的な信用、評価、名誉感情等を維持することが困難になったりするなどの不利益を受ける場合があることは否定できない」。
     
  3. しかし、「夫婦同氏制は、婚姻前の氏を通称として使用することまで許さないというものではなく」、婚姻前の姓(氏)の通称使用が社会的に広まり、それにより上記 2. の問題は「一定程度は緩和され得るもの」と言える。

ここから、①個人の尊厳と ②両性の本質的平等 を求める憲法24条に照らし合わせて、民法750条が違憲とは言えないという結論が示される。

本判断のポイント

ここまで平成27年大法廷判決の争点において、なぜ最高裁は「合憲」と判断したのだろうか?という問題を見てきた。繰り返しになるが、あくまでこれは民法750条が憲法の3つの条文に違反するか?という問題であり、夫婦別姓の是非の問題ではない。

今回の判断では、特に憲法24条が問題化されており、戸籍法74条1号および民法750条の規定について「憲法24条に違反するものでないことは、当裁判所の判例とするところ」とあるように、平成27年大法廷判決の論理を踏襲していることがわかる。

一方、今回は事前に「社会情勢の変化などを踏まえて大法廷が今回どのような決定を下すかが焦点」だと言われていたが、その点については、3名の裁判官による意見でも言及されている。

この問題については、もう1つの議論である「なぜ夫婦の姓については国会で議論されるべきなのだろうか?」と関係してくるため、それを順番に見ていこう。

憲法ではなく国会で議論すべき?

前述したように、今回の決定文からは「民法と戸籍法は合憲だが、夫婦同姓の是非や制度は、国会において議論・判断されるべき」というメッセージが見えてくる。それは、夫婦の姓(氏)に関する制度について「平成27年大法廷判決の指摘するとおり、国会で論ぜられ、判断されるべき事柄にほかならない」という一文からも明らかだ。

その理由として、3名の裁判官(深山卓也・岡村和美・長嶺安政 各氏)は社会情勢の変化などを踏まえた判断こそ、国会における議論が重要だと述べている。その意見として、まず2015年からの以下のような変化を指摘する。

  • 女性の有業率の上昇
  • 共働き世帯数の増加、その他の社会的変化
  • 選択的夫婦別氏制の導入など国民の意識変化
  • 地方議会における選択的夫婦別氏制の導入を求める意見書の採択
  • 通称使用の急激な拡大
  • 女子差別撤廃委員会からの勧告

実際、こうした社会的変化こそが今回の判断で注目となった理由でもあった。しかしながら、それであっても憲法にもとづく判断として「合憲」が示された論理はここまで見てきたとおりだが、3名は加えて、次のように述べる。

上記の事情の変化のうち、まず、国民の意識の変化についていえば、婚姻及び家族に関する法制度の構築に当たり、国民の意識は重要な考慮要素の一つとなるものの、国民の意識がいかなる状況にあるかということ自体、国民を代表する選挙された議員で構成される国会において評価、判断されることが原則であると考えられる。

そもそも、婚姻や家族に関するルールは関連する法制度によって定められる。その法制度は「国の伝統や国民感情を含めた社会状況における種々の要因を踏まえつつ、それぞれの時代における夫婦や親子関係についての全体の規律を見据えた総合的な判断によって定められるべき」であり、だからこそ国会の立法に委ねられている。国民の意識や時代状況を反映した判断は、国民を代表する議員による議論にもとづいて行われるべきという見解だ。

また、少なくともこの3名については以下記述を見る限り、夫婦の姓(氏)に関する議論を国会に対して積極的に求めているように思える。

国民の意識の変化や社会の変化等の状況は、本来、立法機関である国会において不断に目を配り、これに対応すべき事柄であり、選択的夫婦別氏制の導入に関する最近の議論の高まりについても、まずはこれを国会において受け止めるべきであろう

このように「合憲」判断が出されたとしても、それが直ちに裁判官たちによる夫婦同姓への賛成を意味しないどころか、むしろ立法府(国会)における、法制度の積極的な議論を求めていると受け取ることができる。

裁判官はどのように考えているのか?

また今回の決定では、4人の裁判官が「違憲」判断をしている。その論理についても、簡単に触れておこう。

三浦意見

まず三浦守裁判官は、「結論において多数意見に賛同する」ものの「法が夫婦別氏の選択肢を設けていないことは、憲法24条に違反すると考える」と主張する。つまり「違憲」ではあるが「現行法において別姓による婚姻届が却下されるのやむを得ないため原審の判断は認めるという立場」であり、少し複雑ではあるため「違憲」の理由のみに絞って見ていこう。

それによれば、婚姻において婚姻前の姓(氏)を維持することは、(憲法上の権利として保障されるか否かはさておき)個人の重要な「人格的利益」だという。

その上で、婚姻によって姓(氏)の変更を望まない人にとっては、その「人格的利益を放棄しなければ婚姻をすることができない」わけであり、これは「法制度の内容に意に沿わないところがあるか否か」の問題ではなく「重要な法的利益を失うか否か」の問題だという。すなわち、これは「婚姻の自由に制約を与えている」状況であり、問題はその制約が「合理的」であるか否かということになる。憲法や法律において、無制限に自由が認められることはなく、合理的な理由があればそこに制約が課せられるものだ。たとえば後述するが、両人の自由にもとづいて婚姻はおこなわれるが、一方で「合理的」な理由から婚姻年齢や重婚などには制限がかけられている。

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✍🏻 著者
編集長 / 早稲田大学招聘講師
1989年東京都生まれ。2015年、起業した会社を東証一部上場企業に売却後、2020年に本誌立ち上げ。早稲田大学政治学研究科 修士課程修了(政治学)。日テレ系『DayDay.』火曜日コメンテーターの他、『スッキリ』(月曜日)、Abema TV『ABEMAヒルズ』、現代ビジネス、TBS系『サンデー・ジャポン』などでもニュース解説。関心領域は、メディアや政治思想、近代東アジアなど。
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