週刊文春の報道が相次いでいる中、巷で「文春は行き過ぎじゃないか?」という議論がある。それに対する所感を置いておく(今朝の TOKYO MX『堀潤モーニングFLAG』でも似たような話をした)。
論点は色々あるが、前提として押さえておきたいのが、この話をする時によく「文春の正義は暴走している」とか「文春が自分たちを正義だと思っている」みたいな話が出てくるが、おそらく彼ら自身はそう思っていない(個々の編集部員は分からないが、少なくとも総論としては)。
というのも、前編集長などが幾つかのメディアで発言しているが、彼らは大衆の知りたい欲望に応えているだけで、不倫が悪とか、自分たちが正義で悪事を暴いてやるぜ、というモチベーションではない。良くも悪くも、雑誌が売れるというビジネス以上でも以下でもないのだろう。その発言を額面通り受け取るのか、という話もあるのだが、まあそこはさすがに正義感ではやってないだろう、という感覚がある。
もちろん、正義感があればダメで、そうじゃなければ良いという話ではなく、大きく2つにわけて議論すべきだと思う。
1つは、松本人志氏のように犯罪としては扱われていないけれども明らかに被害者がいる事案は、適切な告発の場が無いことを考えても、そうした機会を提供している意味で、一定の意義があるだろう。もう1つは、明らかに芸能人のプライバシー権を侵害してるようなものに関しては、もうちょっと考えた方が良い気がする。
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後者はもうちょっと解像度を高く出来るのだが、とりあえず前者から。