文化の盗用とは何か:所有/簒奪という二項対立を乗り越える

政治・国際関係

公開日 2019/07/05 00:55,

更新日 2019/07/05 00:55

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文化の盗用、あるいは文化の簒奪と訳される「Cultural Appropriation」という概念が注目を集めている。

6月25日、アメリカの著名セレブであるキム・カーダシアンが「Kimono」と名付けた下着ブランドを発表、商標の申請をおこなったことで批判を呼んだ。カーダシアンは7月1日にブランド名の変更を明らかにしたものの、最近ではアリアナ・グランデが「七輪」というタトゥーを入れたことや、モデルのカーリー・クロスが雑誌『VOUGE』において日本をモチーフにした撮影をおこなったことも、文化の盗用という文脈から批判を浴びていた。

いったい文化の盗用とは何であり、どこに問題があるのだろうか?

概念の擁護者であれ批判者であれ、同じような議論を繰り返している人々は少なくない。彼らの多くは、15年前に提起されたプラグマティックで重要な議論を参照しておらず、似たような批判と再批判が延々と繰り返されている状況がある。

そこで本記事では、文化の盗用についての基本的な議論を紹介した上で、それらを乗り越えていくための視点を示していく。

文化の盗用とはなにか

文化の盗用とは、マイノリティーの文化を不当に搾取したり、盗用することを指す。文化というのは基本的に混じり合ったり溶け合ったりするものだが、この概念は「文化の交配」そのものを批判するのではなく、それが特定の形式でおこなわれる状況 ― すなわち、先住民や過去に植民地だった地域の文化などが、文化的コンテクストが尊重されないまま用いられることを批判する。

例えば、ネイティブ・アメリカンの儀式を文脈を無視して真似たり、誤ったオリエンタリズムに基づいて、その表層だけを真似したファッションや音楽を取り入れることは、文化の盗用として批判される。反対に、白人文化を黒人が真似たり、アジアの人々が西洋文化を取り入れることが批判されることはない。

ここで言うマイノリティーやマジョリティーというのは、単に国家・民族人口の多寡ではなく、過去の人種差別や植民地主義の時代に支配的な立場であったり、搾取される存在であったかという視点である。そのため、同じ黄色人種であっても日本人と中国人では状況が異なることもあれば、白人同士、そして時には黒人であっても文化を盗用したことで非難されるケースも見られる。

すなわち文化の盗用という概念(以下、CA概念)は、非常に不安定かつ多義的、かなりの程度まで状況やコンテクストに依存する。

基本的な批判への応答

そのことを念頭に置いて、まずはCA概念に対する「誤った批判」を見ていこう。これらは、そもそもCA概念を誤って解釈した指摘である。そのため、不毛な論争を避けるためにリスト形式で示しておく。

  • すべての文化は、混じり合うものである → その通りである。しかし文化の盗用は、前述したとおり「文化の交配」そのものを否定する考え方ではない。
  • 日本だって西洋の文化を取り入れている → すでに述べたとおり、CA概念はマイノリティー側の文化がマジョリティーによって取り入れられる状況を指す。一般的にアジア人やアフリカ人が西洋文化を取り入れて、CAだと言われることは少ない。
  • 文化が広まっていくのだから良いこと → こうした声はしばしば聞くものの、CA概念を一面からしか見ていない。後述していくが、CA概念には文化を不当に奪われるというアイデンティティの問題以外にも経済的な問題がある。

概念の擁護

CA概念は、ある行為を批判する際に使われるため「CA概念の擁護」という言い回しは少しわかりにくいものの、ここからは「文化の盗用」という概念を用いることに肯定的な人々を”擁護者”として定義し、そこに否定的な人々を”批判者”として定義する。

概念の擁護者は、なぜCA概念が重要であると考えているのだろうか。

まず最初に挙げられるのは、尊厳やアイデンティティの問題である。マイノリティーの文化を理解しないまま表層的にそれを模倣することは、相手に敬意を払った行為ではない。アイデンティティの問題は60年代以降の左派にとって重要なアジェンダであったが、マイノリティーの文化を理解して敬意を払うことは、差別的な言説を無くしていくための重要な一歩である。

もう1つが、植民地主義という歴史的な問題である。文化の借用と盗用の違いは、オルファンミラヨ・アレワが「アフリカからの文化的借用は、アフリカとそれ以外の国々が有する権力の非対称性という歴史的文脈を考慮しなければならない」と述べるように権力関係が重要になる。ヨーロッパ諸国が、アフリカやアジアから資源と奴隷、そして文化財などの物質的な簒奪をおこなった時、彼らは同時に文化的な概念・風習についても取り入れた。これは尊厳の問題に留まらない文化的不利益を生み出しており、文化帝国主義という用語として知られている。

最後に、経済的な問題がある。これは、アイデンティティや文化帝国主義よりも争点になることが少ないかもしれないが、より重要な論点である。

倫理的な是非はさておき、マイノリティーの文化は経済価値を生む。ネイティブ・アメリカンの生活を疑似体験することにお金を払ったり、黒人が演奏する音楽を聞くためにバーに行く人は少なくない。それらは物珍しい、つまりマイノリティーであるからこそ経済価値を生んでいる。見世物のように消費されるケースから日常的な文化にまで浸透したケースまで消費の仕方は様々だが、それらが経済的価値を持っていることに疑いはない。

しかし、もしマジョリティー側がマイノリティーの文化を独自の形式で消費するならば、彼らが享受している経済的価値はどうなるだろうか。おそらく、なんらかの損害を被るだろう。

自由市場の中で、マイノリティーの文化が淘汰されてることを当然だと考える人もいるかもしれないが、それは間違っている。その理由を示す経験的・倫理的研究は数多くあるが、例えば暴力的な支配によって経済的利益を得た場合など、過去に不正な行為によって生み出された利益が現在でも経済的利益の源泉になっているケースは少なくない。アレワの指摘は、この問題を端的に示している、

借用した主体が出処を認識しつつ経済的費用を補償しなかった場合、文化の盗用として分類することができる。文化の流れが、不平等を反映、強化、あるいは拡大する場合には特に該当する。出処が報酬を受け取った場合でも、後の報酬が必ずしも過去の不平等を是正するわけではない。

CA概念における経済的な観点は、映画業界におけるホワイトウォッシングと似ている。ホワイトウォッシングはマイノリティーの役柄を白人俳優が演じることで、差別的であるという論点以上に、マイノリティーの雇用を奪うことが問題視されている。

概念の批判

では反対に、CA概念を批判する論理にはどのようなものがあるだろうか。

経済問題については、様々な意見がある。エルビス・プレスリーが黒人音楽を盗用したことで、黒人アーティスよりも経済的利益を得たことについてケナン・マリックは、エルヴィスがブラックミュージックの流用を禁じられていたとしても人種差別が解消されることはなかったし、変化をもたらすためには平等な権利と普遍的な価値観の要求に基づいた社会的闘争が必要であったと主張する

一方でK.テンペスト・ブラッドフォードは、こうした擁護は「繰り返し現れるパターン」であり、こうした主張が存在することこそが、文化の盗用の被害者が自身の伝統を知的財産として扱われるべきと主張する理由であると述べる

両者の主張は、正直なところあまり噛み合っていない。マリックの主張は、過去の経済的不利益は補填されるべきだという重大な論点と普遍的な規範を無視しているし、ブラッドフォードはその問題を適切に指摘できないまま、通り一遍の批判に留まっている。経済的な問題に関する主張については、利益やキャリアが不当に奪われた人々がいることに同意しつつも、現在のCA概念が乱用される状況に批判的なキャシー・ヤングの見立てがもっとも妥当性を持っているように思える。

次に考えておきたいのは、敬意という概念である。叙述家チャールズ・カレブ・コルトンの「模倣は、賞賛の最良な形態だ」という名言は現在でも引用されることが多いが、模倣に敬意が含まれているか否かという線引は難しい。実際、キム・カーダシアンも批判への応答として「私は日本文化における着物の重要性を理解し、深い尊敬を持っている」と述べており、彼女の内面について「敬意を持っていない」と断罪することは難しいだろう。

敬意を持っていようといなかろうと、その行為が文化的コンテクストを尊重したものであるかという論点こそが重要なのだ。

もっとも強力な主張は、そもそも文化は盗用できるないというものだ。Dayly Beastにおいてジョン・マクウォーターは、経済的な問題を除けば「われわれは、文化の交配自体が良いことであるかを論じる必要はなく、われわれがすべきは、文化は決して捕捉できないということを理解すべきだけ」であると主張する。

この反論は重要である。一般的に文化の交配を止めることは出来ないし、それが問題であると主張する論者はほぼ存在しないだろう。なぜなら全ての文化は交配の産物であり、純粋無垢な文化などほとんど存在しないからだ。交配と盗用の間に線引きをすることは可能だろうか?

キーコンセプトとなるのは、「文化の主体」という概念である。VOXにおいてナドラ・ニトルが述べるように「有害な不正流用から、創造的でコラボレーションを生むインスピレーションまで」、文化の盗用と目されるものは実際には幅広く、「文化の盗用を定義する上で、中心にある概念は”許可”である」。許可をするためには主体が必要となるが、結局のところCA概念の是非を左右するのは「文化の主体」を認めることは可能か?という問いなのである。

文化は所有可能か

文化は所有できるか?

この問題こそ、CA概念を広める上で最も献身的な仕事を成し遂げ、法とファッションの分野の権威でもあるスーザン・スカフィディが向き合った大きなテーマである。彼女の著書、『Who Owns Culture?: Appropriation and Authenticity in American Law』は、文化の所有について理解するための現在でも基本的な著作だ。

同書は、アメリカにおける文化の商品化について説明しつつ、所有権や文化的プロダクト(cultural products)など諸概念を整理していく。そのうえで、既存の法的枠組みが国家と個人という2つの権利だけに焦点を当ててきたと述べて、文化の起源となったコミュニティ(source communities)の存在が重視されてこなかったことを主張する。

この結果として、コミュニティは私的手段や似たような問題を扱う法的措置を探し出して自らの文化的プロダクトの不正使用を保護する必要があり、一方でCA概念の擁護者は、文化的プロダクトがもたらす公共利益を軽視しているという。現行法が個人と国家(公共)という二元論を想定していることでコミュニティの存在が抜け落ちたことは、スカフィディに言わせると「法律の空白地帯」であるが、興味深いことに彼女は現状の知的財産法の強化・整備を要求する”わけではない”。

むしろ彼女は、インターネットが生み出した新たな著作権に関するルールである、クリエイティブ・コモンズのような枠組みを提案する。それはコミュニティが自発的にプロダクトを外部市場に放出したかという観点で「プライベート」と「パブリック」に分類され、同時にコミュニティがプロダクトを商業化したかという観点で「商品化」と「非商品化」に分類し、以下の4つのカテゴリを抽出する。

プライベート・非商品化(Private, Noncommodified Cultural Products)
神聖、秘匿されてきた文化的プロダクト。コミュニティは文化的プロダクトが大衆に流通することがないように制限を課す必要があり、外部資本が介入することは認められない。最も高いレベルで保護される。

プライベート・商品化(Private, Commodified Cultural Products)
市場での交換を目的とした文化的プロダクト。部外者はこのプロダクトを合法的に所有、批評、コピーすることができるが、製作工程などはコミュニティの仕様に乗っ取る必要があり、コミュニティ外部で商品化することはできない。

パブリック・非商品化(Public, Noncommodified Cultural Products)
オープンソースのように商品化されないまま外部に公開された文化的プロダクト。コミュニティはプロダクトとの関係を維持したまま、絶対的な権利を持つことはなくなり、フェアユースのような概念が適用される。

パブリック・商業化(Public, Commodified Cultural Products)
コミュニティによって意図的に商品化され、一般に公開されている文化的プロダクト。しかし文化的プロダクトとコミュニティの関係を無視するのではなく、コミュニティ内部の紛争やプロダクトの真正・信憑性を保護するための商標のような認証システムを生み出すことが望ましい。

この柔軟性と実用性が高いカテゴリによって、コミュニティが生み出した文化的プロダクトはどのように扱われるべきか、クリエイティブ・コモンズ風に言うならば二次利用のルールが定められる。

スカフィディがCA概念の先駆者であることを思えば意外に感じる人もいるかもしれないが、彼女は決して際限ないCA概念の適用を求めない。むしろここまで見てきたとおり、理性的な法務家として「起源となったコミュニティの権利と市民利益の間に、公平なバランスをとった法的パラダイム」を提案して、文化的プロダクトを保護する仕組みだけでなく、文化的交配を促進する制度化されたメカニズムを整備するべきとも主張する。

同書は、新しい時代の法的問題に向き合ってきた実務家らしいバランスの取れた著作だ。強いて挙げるならば、コミュニティ内部の争議・緊張関係への対応については検討の余地があるかもしれないが、コミュニティがどのように文化的プロダクトを扱ってきたかを検討することで、文化の所有という困難な問題に一定の光を照らしていると言える。

コミュニティの総意が存在しない中で、文化の所有者を特定の個人や集団として特定することは容易ではないが、少なくともそのコミュニティがどのように文化を継承し、扱ってきたかを明らかにすれば、ある文化がどのように所有されてきたかを描き出すことは可能だ。

わたしたちの社会は文化を交配し、時には植民地主義のもとで簒奪しながら歩んできた。しかし同時にわたしたちは、著作権という概念によって発案者に一定の利益をフィードバックする仕組みも発案しており、最近ではクリエイティブ・コモンズというより柔軟な枠組みによって、自由と無料という2つの「Free」を尊重する新しい著作権の仕組みも生まれている。

CAについても、盗用か所有権かという硬直した二律背反を抜け出すべきだ。

Kimonoのケース

スカフィディの基準に照らせば、Kimonoのケースは「パブリック・商業化」カテゴリにあたるだろう。着物の起源となったコミュニティを特定することは難しいが、少なくとも歴史的にはパブリックに流通した商品として理解されている。そのため、着物を保護するためには商標のような認証システムを生み出しつつ、それが国際的な枠組みの中で整備される必要があるだろう。

このカテゴリは4分類の中で「外部からの利益侵害に対する保護が最も小さくなる」ものであり、なによりスカフィディが15年前に提案した法的パラダイムは未だ実現していない。そのため現実的には、着物の業界・利益団体が自ら認証マークをつくったり商標としての登録を進める他はない。

しかしながら、そもそも本件が文化の盗用として扱われるべきかについては疑問が残る。着物のデザイン・意匠を表層的に解釈して、オリエンタリズムを当てはめたプロモーションがおこなわれたならまだしも、どちらかと言えば本件はネーミングの問題である。カーダシアンの影響力を考えれば、Kimonoのイメージが下着に置き換えられるという主張も荒唐無稽ではないものの、一方で当人の主張通りに同ブランドがアンダーウェアの展開のみにとどまるならば、概念として競合する可能性は低い。

むしろ本件は、インターネット上の検索結果で従来の「Kimono」がカーダシアンのブランドよりも下部に表示されることによる経済的不利益や、消費者に混乱が生じることで受ける不利益などが問題視されるべきで、CA概念を適用することが得策だとは思えない。「パブリック・商業化」カテゴリについては、スカフィディも「独創的な料理、ポピュラー音楽、服飾文化、そして言語の要素などの文化的貢献は、文化の盗用に基づいて法的排除をおこなうよりも市民的利益が大きい」として慎重な態度を示しているが、このカテゴリにおいては特に経済的な問題にフォーカスして議論がなされるべきだろう。

どこまでが盗用であり、どこからがインスピレーションであるかという線引きが難しい中で、いたずらに「文化の盗用」という言葉が乱発されてしまう不利益は大きい。特にCA概念における経済的な問題が広く認識されていない現状では、少なくとも当該論点に絞った問題提起がなされるべきだろう。

おわりに

文化の盗用という概念が広まることは、問題の存在を知らしめる意味では重要だ。しかし結局のところ、問題を解くための建設的なアイデアがなければ、両者がイデオロギーに基づいて互いを非難し続けるだけである。

率直に言うならば、インターネットにおける文化の盗用に関する議論のほとんどは、スカフィディによって15年近くも前に提起された議論の水準に到底達していない。10年以上も同じ、もしくはそれ以前の主題に留まり、互いの無知と人間性を攻撃するだけの応酬を止めるためには、こうした優れた著作・研究が再び広く参照される必要があるだろう。(念の為付言すると、スカフィディの議論は広く引用されており、彼女はこれらの領域で第一人者として知られている。ただし個人的には、彼女の見解を引用するメディアの大半は、文化の盗用という概念の重要性を訴えるために彼女の言葉を用いている印象であった)

ポリティカル・コレクトネスや文化の盗用など近年のネットを席巻している議論は、差別を是正するために重要な概念である。しかし同時に、それらが何年も前に繰り返されてきた議論から抜け出せないまま、無意味なイデオロギー論争に終始しているのも事実である。

正しい知識・知見が広まることを大前提としつつ、差別やマイノリティの不利益を解決するには単なる啓蒙だけでは不十分である。専門的な知見、そして緻密に検討された制度的枠組みとメカニズムがなければ、問題の当事者が抜け落ちたまま、社会全体がアイデンティティ・ポリティクスに拘泥してしまう。

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著者
株式会社マイナースタジオ代表取締役CEO。同社を創業後、2015年に株式会社メンバーズ(東証一部)に企業売却。早稲田大学政治学研究科修士課程修了(政治学)。関心領域は、メディア論や政治思想など。Twitter : @ishiken_bot
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