「価値観のアップデート」と進歩史観

公開日 2021/03/06 22:40,

更新日 2021/03/06 23:06

無料記事 / オピニオン / 編集長より

  • 目次
  • おじさん批判は許される?
  • 進歩史観という問題
  • 「価値観のアップデート」から「価値観のリバイス」へ

ここ数年、「価値観のアップデート」が叫ばれるようになって久しい。様々なハラスメントからジェンダー、LGBTQなどセクシャル・マイノリティの問題、デジタル化やSDGsなど、様々な考え方や価値観が変化しており、理解・対応することが求められている。パンデミックがこれらを加速させた側面もあるだろう。

一方で、揺り戻しも見られる。たとえば、LGBTQへの偏見は未だ根強く、足立区では区議が「LGBTが増えると足立区が滅びる」と発言して批判を浴びた。また選択的夫婦別姓は、世論の後押しがあるにもかかわらず、自民党内の反対派の声が大きく盛り返している。 

最近でもIIJの鈴木幸一会長が、東京都の審議会委員による女性比率4割以上の方針ついて、日本経済新聞で以下のように記している。(後に削除)

男女を問わず、にわか知識で言葉をはさむような審議会の委員に指名されるより、女性が昔ながらの主婦業を徹底して追求したほうが、難しい仕事だし、人間としての価値も高いし、日本の将来にとっても、はるかに重要なことではないかと、そんなことを思うのだが、口にしようものなら、徹底批判されそうである。

そして、東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長による女性蔑視発言への批判および辞任は、国外メディアでも大きく報じられた。

鈴木会長や森会長は、自身の発言を問題だと認識しており、彼らの立場が単純な無知から来るのではなく、現状への揺り戻しから来ていることが伺える。

「アップデートできないおじさん・老人」批判

揺り戻しの中には、「アップデートできないおじさん・老人」と「アップデートする我々」という二項対立への批判もある。

この二項対立は今に始まったものではなく、たとえばNewsPicksが過去に「さよなら、おっさん」とキャンペーンをおこなっている。同キャンペーンには批判も集まり、「おっさん」とは年齢のことではなく、マインドセットや価値観のことだと釈明されている。ちなみに同社の2021年1月の媒体資料によれば、読者の80%以上が男性であり、30歳以上が65%を占めている「おっさん」メディアだ。

価値観を「アップデート」できない代名詞として、中高年男性が仮想敵であることは間違いない。

おじさん批判は許される?

「価値観のアップデート」について、仮想敵をつくって批判することは、どこまで許されるのだろうか?

まず、こうした仮想敵の存在は、ある程度までは許容されるのではないだろうか。

なぜなら、中高年男性は権力を保持している側だからだ。「旧来的な価値観」と「新しい価値観」という二項対立で考えた時、「旧来的な価値観」によって利益を享受していたのは、間違いなく中高年男性だった。

男性に生まれ、中高年になった瞬間に社会的な糾弾対象となる人々の気持ちはさておき、「中高年男性」という属性が利益を享受しやすかったことは間違いない。(中高年男性であることに罪はないが、責任が伴うという話は、こちらの記事こちらを参照)

分かりやすい運動の重要性

また、「運動は分かりやすい必要がある」ことも、仮想敵の設定を正当化するかもしれない。たとえば「家父長制において不当な利益を享受している権力を保持した者」というよりも、「老人クラブ」や「おっさん」と糾弾することは分かりやすい。分かりやすさは危険性を伴うが、拡散力を持っている。

「保育園落ちた、日本死ね」や「Me Too」というキャッチフレーズが運動を推進してきた事実は、見逃すことはできない。 「問題を単純化して、分断を生むだけ」と批判できる人は、得てしてマジョリティとして、被害を被っていない立場だ。

だからといって、ここに問題がないわけではない。

我々は等しく歳を取る

その問題を考える前に、当たり前の事実を確認しておこう。それは「おじさんへの偏見だ」とか「年齢による差別(エイジズム)だ」など以前に、我々は等しく歳を取るという厳然たる事実だ。

少し前に、シルバーデモクラシーという言葉が聞かれて「老人は寿命が短いので自分の利益のために行動する、若者は将来が長いので社会のために行動する」という主張が流行った。しかし、この主張が科学的に妥当かは、多くの研究者から疑問が呈されている。

雑なたとえ話だが、もし年齢が上がる度に自分の利益のために行動するならば、世界のリーダーたちが環境問題や国際平和のために行動している説明がつかない。20歳の若者と40歳の中年であれば、本当に後者のほうが自分の利益のために行動する傾向が強いのだろうか?

何歳から「おじさん・老人」と区分されるかは個人の主観に依る部分もあるが、彼らを「アップデートできない存在」と呼ぶことは、1年後あるいは5年後の自分を攻撃しているだけに過ぎない。

端的に言えば、歳を取っているだけで尊敬されるべきとも思わないが、批判されるべきとも思わない

進歩史観という問題

さてその上で、二項対立にはどのような問題があるのだろうか?

前述したように、「おじさんへの偏見だ」とか「アップデートできる人もいる」とか「エイジズムだ」とか、様々な批判があるが、一旦そうした問題を脇において考えたいのが、進歩史観だ。

進歩史観とは、歴史を経るごとに、私たちの社会があるべき姿や理想形に近づき、発展しているという考え方だ。「歴史を経るごとに私たちの社会は、どんどん便利になっているし、良い暮らしができているんだから、当たり前じゃないか」と思うかもしれないが、進歩史観は批判されることが多い。

たとえば、ナチスドイツがユダヤ人を虐殺したホロコーストの背景には、20世紀初頭に台頭した優生学がある。進歩史観と密接に結びついた優生学では、「劣った遺伝子・人種は、淘汰されるべき」という考え方が生まれ、ユダヤ人や障害者の虐殺へと繋がっていく。

似たような問題としては、植民地主義がある。欧米諸国がアジアやアフリカを植民地として支配する際に、決まって主張されたのが「文明国の私たちが、遅れた国を導く」という論理だ。アジアやアフリカの文化を「遅れて劣ったもの」として、それらを進歩させる必要があるとして、こうした国の支配が正当化された。

もし私たちの歴史が、常に進化しているプロセスならば、環境汚染もやむを得ない進歩の結果となってしまう。

進歩史観はこうした危うさを持っているが、ヘーゲルやマルクスのような偉大な思想家からも支持され、今も根強く残っている考え方だ。

 「価値観のアップデート」は進歩史観?

 「価値観のアップデート」という表現には、こうした危うさを感じる。

「旧来的な価値観」と「新しい価値観」、あるいは「アップデートできないおじさん・老人」と「アップデートする我々」という二項対立の間には、無意識の進歩史観を感じる。すなわち、過去の古い価値観は誤っており、それらは時代を経ることで、より進歩した、正しい価値観になっていくという思い込みだ。

これは懐古主義や「古い考え方にも良いものがある」という話ではない。ハラスメントは明らかに許容されないし、セクシャル・マイノリティへの誤った理解が溢れる社会は間違っている。過去の社会に比べて、現在はより良い価値観が広まっていることは事実だろう。スティーブン・ピンカーが述べるように、我々の社会は明らかに過去よりも良くなっている。

では、その危うさとは何だろうか? 簡単に言えば「アップデート」という言葉は、単層的で単一のベクトルを想起させてしまうのだ。価値観の変容は、決して単層的・単一ベクトルでは起こらない。そこには揺り戻しもあれば、複層的な議論がある。

「black」の変遷

有名な例は、「black」という言葉だ。過去には差別用語として、アフリカ系米国人(アフリカン・アメリカン)という呼称に置き換えられたが、Black Lives Matter運動などから分かるように、「black」という言葉にポジティブな意味を見出すケースが増えてきた。「black」の「b」を大文字で表記することで(Black)、その含意を明確にしようという考え方もある。

また、現在の「黒人」が必ずしもアフリカ大陸にアイデンティティを持っているわけではなく、アフリカ大陸から奴隷としてカリブ諸国に渡り、その後米国に来た人々が少なくないことも背景にある。こうした人々のアイデンティティを尊重して、「black」という呼称が再度用いられた。

この変遷を念頭に置ければ、「black」から「アフリカ系米国人」という単層的なアップデートが起きたのではなく、「black」という言葉を起点に、様々な表記の妥当性や可能性が、複層的に議論されていることがわかる。下図は直感的には分かりにくいかもしれないが、複層的で非単一のベクトルが絡み合い、旧来的な価値観の束から新しい価値観の束にシフトしていく様子を表している。

そもそも価値観は新旧に綺麗に分けられるわけではなく、複数の価値観の束が「なんとなくこれが新しい」と判断される。その線引きは曖昧で、流動的だ。

これは政治的な問題に限らない。たとえば、パンデミックによって、日本でもキャッシュレス決済が浸透した。現金支払いの店について、時代遅れで古臭いと感じるかもしれない。しかしキャッシュレス大国の中国では、急速なキャッシュレス化によって高齢者や貧困層が経済から「締め出される」可能性があると懸念された。

デジタル化に遅れる人々は「旧来的な価値観」と揶揄されがちが、デジタル化が当たり前になった時代、包摂的なデジタル社会を構想できない人が「旧来的な価値観」として、逆に嘲笑される時代がやってくるかもしれない。(ただし、こうした考え方を表す「デジタルインクルージョン」という概念は既に存在している)

「価値観のアップデート」から「価値観のリバイス」へ

結局のところ、価値観を「アップデート」できない中高年を揶揄することは建設的ではないが、そもそもこの「アップデート」という用語がもたらす、単層的・単一的なベクトルのイメージも危なっかしいのだ。

 「アップデート」して終わりならば、これほど容易なことはない。しかし現実には、1度アップデートした価値観が誤っており修正を迫られたり、根本的に棄却を求められることもある。価値観の複層的な変容が生じているならば、Aという価値観では進歩的であっても、Bにおいては取り残されるかもしれない。

この点を踏まえると「価値観のアップデート」という言葉は相応しくない。OSのアップデートのように「とりあえず最新版に更新すればOK」という類ではなく、複数の価値観について随時、書き換え(リバイス)ながら運用していくのが適切なのだろう。

リバイス作業には、年齢も性別も、そして政治的立場も一切関係ない。アップデートならば完了した人としていない人の見分けも付きやすいだろうが、複数の価値観をリバイスすると考えたら、それほど単純な話ではない。

価値観の「リバイス」と捉えた時、私たちはその変容が抱える不確かさに気付くことが出来るだろう。

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著者
The HEADLINE編集長
1989年東京都生まれ。2015年、起業した会社を東証一部上場企業に売却後、2020年に本誌立ち上げ。早稲田大学政治学研究科 修士課程修了(政治学)。Abema TV『ABEMAヒルズ』、日テレ系『スッキリ』、現代ビジネス、TBS系『サンデー・ジャポン』などでもニュース解説をおこなう。関心領域は、メディアや政治思想、近代東アジア、テクノロジー時代の倫理と政治など。
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