Will Smith(Dick Thomas Johnson, CC BY 2.0) , Illustration by The HEADLINE

ウィル・スミス氏の行動は、黒人の「暴力性」や「怒りっぽさ」神話、ミソジノワールをどのように呼び起こすのか?

公開日 2022年04月06日 18:50,

更新日 2023年09月19日 13:24,

有料記事 / 社会問題・人権

アカデミー賞授賞式(オスカー)において俳優ウィル・スミス氏がコメディアンのクリス・ロック氏を平手打ちにした事件で、スミス氏が米映画芸術科学アカデミーからの退会を表明した。

この事件をめぐっては、スミス氏とロック氏それぞれへの賛否だけでなく、黒人(*1)の「暴力性」をめぐる神話や、メンタルヘルスの問題に絡めた指摘もあり、幅広い視点から議論が沸き起こっている。

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たとえば「暴力性」について、スミス氏の行動が「黒人は暴力的傾向が強く、感情をコントロールすることができない」という人種的ステレオタイプに繋がるという懸念が示されている他、「有害な男性性」やミソジノワールといった概念を用いた議論もある。(*2)

本記事では、この問題を複数の視点から考えるため、黒人の「暴力性」や身体性に関する神話「怒りっぽい黒人女性」像黒人のメンタルヘルスに関する議論、そしてミソジノワールの問題などを見ていく。

はじめに本事件に関して提起された複数の議論を概観して、その後に個別の議論を見ていくことにしよう。

(*1)黒人あるいはアフリカ系米国人などの呼称については様々な議論があるが、本記事では「黒人」で統一して、文脈に応じて、その他を使い分けていく。
(*2)そのため「日本ではスミスを擁護する意見が強いようだが、アメリカではスミスに対する批判が圧倒的だ」といった単純化した二項対立的な見方は、端的に誤っている。

スミス氏への批判

今回の事件をめぐっては、暴力や侮辱的なジョークに対する賛否に留まらず、様々な議論が提起された。

たとえば NBA の伝説的選手としても知られるカリーム・アブドゥル・ジャバー氏は、スミス氏の行動について、男性、女性、エンターテインメント業界、そして黒人コミュニティ全てにとって望ましくないものだと批判。以下のような論点を示した。

  • スミス氏は、"無力で幼い" 女性のために、男性は "父性的で強く" なるべきだというレトリックに加担している。
  • この「女性は、自らを守る男性を必要としている」という論理は、中絶やLGBTQ+ コミュニティへの法的制限を目指す保守派によって用いられてきた。
  • 同氏は、そのレトリックを自らの主演映画『ドリームプラン』になぞらえ、同作によって主演男優賞を獲得したことで自己利益を得た。
  • それらは「トキシック・マスキュリニティ(有害な男性性)」と呼ばれる行為に該当する。

またコラムニストのチャールズ・ブロー氏とロクサーヌ・ゲイ氏らのポッドキャストからは、以下のような論点が提示された。

  • 公民権運動から Black Lives Matter まで、黒人女性が守られる機会は多くなかった
  • 今回の問題は、人種や社会階級、そしてジェンダーという複数の視点から捉える必要がある。
  • 暴力を振るっても退場を促されなかったのは、彼がウィル・スミスという裕福な男性だったことを見逃すことは出来ない。
  • 有害な男性性に関して言えば、クリス・ロックが報復をしなかったことは意味がある。

あるいは The New York Times 紙のコラムにおいてロクサーヌ・ゲイ氏は、差別的なジョークや嘲笑に対しては、ユーモアと余裕で応じる「図太さ(a thick skin)」が期待されがちだが、ピンケット・スミス氏をはじめとして、その対象になった人々は、必ずしも「図太さ」で応じる必要はないと述べる。

ただし反対に、もしスミス氏が妻を嘲笑するジョークに何も反応しなければ「妻を擁護しなかった」という批判に直面しただろう、という見解もある。

他にもスミス氏によるオスカー受賞演説を踏まえて、暴力のスケープゴートとして「愛」が用いられていること問題視し、それがしばしば家庭内暴力(DV)など親しい男性から女性に対する暴力を正当化するためのレトリックになっているという指摘もある。

こうした複数の見解が示唆しているのは、この問題を単純化された二項対立や複数の立場性が存在することによる「真実性の不在(=「正しさなんて無い」や「それぞれの正義がある」といった悪しき相対主義)」として理解すべきではなく、個々の論点を丁寧に理解・議論する必要があるということだ。

オスカーは "フッド" ではない

こうした複数の見解について、検討する意義は大きい。なぜならカリーム・アブドゥル・ジャバー氏が懸念する通り、スミス氏の行動と黒人の「暴力性」を紐付けるような発言が実際に起こっているからだ。

たとえば授賞式の直後、FOXニュースのジェニー・ピロ氏は「オスカーは "フッド" でも、バーでもない(I think that the Oscars are not the hood, I think it's not a bar)」と発言した。

この「the hood」は、低所得者層が住む地域という意味合いがあり、いわゆる黒人が多く住んでいる地域を指す。ピロ氏の発言は「ここは多くの黒人が住んでいる地域ではないので、スミス氏の行動は許されない」というニュアンスとなる。

ピロ氏による発言は、すぐさま差別的だと批判を集めたが、今回の問題が、単なるオスカーでの "トラブル" ではなく、人種やジェンダー、あるいは社会階級の問題と絡めながら議論されていることが分かるだろう。

問題は何か?

こうした前提を踏まえ、本記事では黒人の「暴力性」から身体性、そしてミソジノワールからメンタルヘルスまで様々な視点を通じて、ウィル・スミス氏による平手打ち事件を見ていく

いずれの論点であっても、ウィル・スミス氏およびクリス・ロック氏の擁護あるいは非難を目的としているわけでも、暴力という誤った行為を相対化することで、問題の所在を不透明にするものではない。。

重要なのは、今回の事件はオスカーで起きた "衝撃ニュース" ではないということだ。そこには人種やジェンダーなど「インターセクショナリティ」の視点から考えるべき議論があり、メンタルヘルスや「有害な男性性」、ミソジノワールなど、現代社会における重要な論点が包括されている。

そのため本事件は、関係者いずれかへの賛否ではなく、包括的・重層的な問題の一部として捉えることが望ましい。

黒人の「暴力性」

最初に見ていくのは、冒頭で紹介した「黒人は暴力的傾向が強く、感情をコントロールすることができない」というステレオタイプだ。

スミス氏の暴力については、クリス・ロック氏だけでなく「私たち(= 黒人コミュニティ)」に損害を与えたという指摘がある。これは2016年の「 #OscarsSoWhite(オスカーは真っ白)」運動まで白人中心主義が蔓延していたオスカーにおいて、今回の暴力が契機となり、再び黒人の立場が弱くなることを懸念したものだ。

もし平手打ちをしたのが「行儀の悪い白人スター」だった場合、この問題は世界中で大きく取り上げられるだろうが、それは「人種化」されたトピックにはならないだろう、との指摘は的外れではない。その背景には、黒人に対する「暴力性」や「感情的」というステレオタイプがある。

黒人の逮捕率の高さと「暴力性」

黒人の「暴力性」という神話は、多くの研究によって取り組まれてきた。

たとえば、1990年の The New York Times 紙において、黒人が暴力の被害者・加害者になりやすいデータについては、以下のように指摘されている。

連邦捜査局によれば、黒人は都市人口の13%を占めるものの、殺人・強姦・過失致死によって逮捕された者の半数以上を占める。これは白人の5倍にのぼる。(略)

この情報から結論を導き出すことの問題は、その主な情報源である検挙・投獄のデータ自体が、人種的差別の産物である可能性が存在していることだ。データによって確認できる黒人の暴力性は、人種差ではなく、社会的態度や振る舞いを反映している可能性がある。

つまり30年以上も前から、黒人の逮捕率が高いことは知られており、それは人種差(すなわち黒人の「暴力性」などの特性)として捉えるべきではなく、社会的な環境から注目するべきだと指摘されていたのだ。

黒人の逮捕率の高さは現在まで続いており、その原因を「黒人文化」に求める声は根強い。その論理によれば、1960年代にかけて米国南部で暮らしていた黒人が北部の大都市へと移住したことで、都市景観に変化が生まれ、暴力の増加が生じたという話になる。すなわち、黒人文化と暴力の親和性が高いため、米国において犯罪が助長されたという主張だ。

しかし、このデータを慎重に読み解く必要があることは「システミック・レイシズム」という概念を通じて、繰り返し指摘されてきた。たとえば米国では、アフリカ系米国人が警察に射殺される可能性が他の人種よりも高く、違法薬物の使用率は白人と同程度であるにもかかわらず、逮捕される割合が高い。その背景には、警官が持つ人種的バイアスや、刑務所の増加によって利益を得る産獄複合の存在などがある。

つまり黒人が暴力的な文化を持っているため、彼らの逮捕率が高いわけではなく、黒人を「暴力的」と見なすステレオタイプや社会制度などが、黒人の積極的な逮捕へと結びついているという指摘だ。

こうしたデータの読み解き方については、現在も様々な研究・議論が進行している。とはいえ歴史的に構築されてきた黒人の「暴力性」というステレオタイプが、現在でも社会に強く根ざしていることは疑いない。

では果たして、黒人の「暴力性」に関するステレオタイプは、どのように構築されてきたのだろうか?意外なことに、19世紀において黒人はむしろ「無垢で陽気」な存在として見られていた。

陽気な子ども「サンボ」としての黒人

18世紀から19世紀にかけての奴隷制時代、米国における黒人へのステレオタイプは、2つの相反する見方が存在した。1つは、日本でも『ちびくろサンボ』という絵本によって知られる「サンボ」としての黒人像、もう1つが「危険で野蛮な」黒人像だ。

『ちびくろサンボ』そのものは南インドの少年であるが、「サンボ」というキャラクターと用語自体は、19世紀の米国において広く知られていた。ここで描かれる黒人像は、主人への奉仕を喜ぶ陽気な子供だ。

しかしそれは、黒人への愛着や敬意から生まれたイメージではなく、非文明的な「自律できない永遠の子ども」の具現化として誕生したキャラクターだ。彼らは怠惰であることから、日々の生活を主人に頼らざるを得ない人物としても描かれ、これは奴隷制を正当化する表象として用いられてきた。

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✍🏻 著者
編集長 / 早稲田大学招聘講師
1989年東京都生まれ。2015年、起業した会社を東証一部上場企業に売却後、2020年に本誌立ち上げ。早稲田大学政治学研究科 修士課程修了(政治学)。日テレ系『DayDay.』火曜日コメンテーターの他、『スッキリ』(月曜日)、Abema TV『ABEMAヒルズ』、現代ビジネス、TBS系『サンデー・ジャポン』などでもニュース解説。関心領域は、メディアや政治思想、近代東アジアなど。
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