フェミサイドとは何か?

公開日 2021年08月08日 00:18,

更新日 2021年08月10日 00:00,

有料記事 / 社会問題・人権・環境

6日、東京・世田谷区の小田急線の車内で、對馬悠介容疑者が刃物を振り回して乗客を切りつけ、10人が怪我をした。同容疑者は殺人未遂の疑いで逮捕され、「幸せそうな女性を見ると殺したいと思うようになった。誰でもよかった」などと供述している。

本事件について、女性を標的にしたと供述している点や、女性であれば誰でも良かったとする点などから「フェミサイド」と関連付けた指摘などが出ている。事件の詳細が明らかになっていないため、本事件について断定的なことを述べたり、容疑者の動機を推測することは難しいことを前提とした上で、「フェミサイド」という概念について理解することは一定の意義があるだろう。

フェミサイドとは何であり、どのように問題化されているのだろうか?

フェミサイドとは

フェミサイドとは、性別を理由として女性が標的となった男性による殺人事件を指す。本用語を広めた、作家でありフェミニストのダイアナ・ラッセルは、以下のように述べている。

過去の魔女裁判から、多くの社会で広がる「女児殺し」の習慣(*1)、いわゆる名誉殺人まで、フェミサイドは長い歴史の中で続いてきた。

またWHOは、以下のように説明している。

フェミサイドとは、一般的に「女性であることを理由とする意図的な殺害」と理解されるが、広義には女性や少女の殺害も含まれる。(略)一般的にフェミサイドは、男性によっておこなわれるが、女性の家族が関与することもあり、いくつかの点で男性の殺人とは異なる。たとえば、フェミサイドの多くのケースは、パートナーや元パートナーによる犯行であり、家庭内での継続的な虐待や脅迫、威嚇、性的暴力、そして女性がパートナーよりも権力や財力などを持たない状況が関係している。

(*1)訳注:中東や南アジアなどの一部地域で、持参金の負担や無学、貧困などを原因として、生まれたばかりの女児を殺害する風習

フェミサイドの分類

その上でWHOは、フェミサイドを以下のように分類している。

  • 親密なパートナーによるフェミサイド:元夫や恋人などによる殺人。世界中のフェミサイドの35%以上が、親密なパートナーによるものだというデータがある。
  • 「名誉」殺人:姦通や性交、結婚以外の妊娠、あるいはレイプ被害にあったことなどを原因として、家族の「名誉」を汚したとされる女性の殺害。中東や南アジアなど一部地域で残っており、毎年5000人以上の殺害が推計される。
  • 持参金関連の殺人:結婚に際して、インド周辺の地域で残っている持参金の風習に関連して、その不足などに起因するトラブルによって新婚女性が殺害されるケース。
  • 非親密者によるフェミサイド:被害者と親密な関係を持たない加害者が犯した殺人。性暴力などを伴うケースもある。

また女性に対する暴力の前国連特別報告者であるラシダ・マンジューは、上記に加えて以下の4つを「直接的なカテゴリー」として分類する。

  • 魔術に関連した殺害
  • 武力紛争に関連した殺害
  • 性同一性および性的指向に関連する殺害
  • 民族的および先住民のアイデンティティに関連する殺害

また、それとは別に以下を「間接的なカテゴリー」として提起する。

  • 不適切または秘密裏におこなわれた中絶による死亡
  • 妊産婦の高い死亡率
  • 有害な慣行による死
  • 人身売買・麻薬取引・組織犯罪・ギャング関連の活動に関する死
  • 育児放棄や飢餓、虐待による死、国家による意図的な攻撃や行動の欠如など

こうした視点からリプロダクティブ・ヘルス・ライツ生理の貧困などが、フェミサイドと無関係でないことが分かる。

フェミサイドの現状・データ

では、具体的にどのくらいの女性がフェミサイドの脅威にさらされているのだろうか。

国連薬物犯罪事務所(UNODC)の調査によれば、2017年に意図的な殺人の犠牲者となったと推定されるのは、46万4,000人にのぼる。その殺人について、加害者の約90%は男性であり、被害者の約80%もまた男性である。殺人の主な被害者は男性であるにもかかわらず、フェミサイドが問題化されるのは、女性の殺害が「ジェンダーの固定観念や不平等の結果として、女性が脆弱な状態に置かれている」現状を反映しているためだ。

そのため、フェミサイドは単に「殺人の男女差」として理解されるのではなく「ジェンダーにもとづく暴力の最も極端な形態」あるいは「女性と少女に対する、差別および不平等の最も暴力的な兆候」として理解される。

UNODCの詳細な分析によれば、以下のようなデータが明らかになっている。

  • 2017年、計8万7,000人の女性が意図的に殺害された。
  • その半数以上(58%)となる5万人が、親密なパートナーや家族などによって殺害された。
  • 親密なパートナー・家族関連の殺人による女性の死亡件数は、増加している。

ただし本資料では、国によって殺人の定義が揃っていなかったり、女性の殺害に関するデータが不十分であることから、国際比較や詳細なデータにもとづく適切な分析が困難だと強調されている。

たとえば親密なパートナーや家族に関連した殺人は、フェミサイドにおける特に注視すべき指標とされるが、セックスワーカーの殺害などは補足されていないため、「殺人」として分類されたデータは、ジェンダー関連の殺害件数を過小評価している可能性もある。

セックスワーカー

セックスワーカーの殺害については、フェミサイドの中でも特定の社会的地位や職業と関連する問題として理解されている。

例えばセックスワーカーとしてアクティブに働いている女性が殺害される可能性は、同様の女性よりも17.7倍高く、10万人あたり229人にのぼるという研究がある。このデータは米・コロラド州における1967年から1999年にかけてのデータだが、より新しい2008年の異なる研究によれば、セックスワーカーが殺害される可能性は、通常の女性と比べて60-100倍にのぼるという指摘もある。(*2)

日本でも東京都立川市のホテルで今年6月、派遣型風俗店で働く男女が殺傷された事件に際して、セックスワーカーの人権を守るように訴える抗議の声などが起こり、フェミサイドだとする声が持ち上がった。

(*2)ただしセックスワーカーの殺害については、ジェンダーとの関連だけでなく、職場の安全性や友人や家族の理解、社会関係の希薄性など様々な要因から検討する必要がある。また、セックスワーカーにおける移民労働者の増加との関係性に注目する指摘もある。

人種的不均衡

またフェミサイドは、人種的不均衡とあわせて問題化されることもある。

今年3月、米ジョージア州アトランタのマッサージ店でアジア系女性6人を含む8人が殺害される事件が起きたが、オタワ大学准教授のジェイミー・チャイ・ユン・リューは、被害者たちは人種や性別、彼女たちの仕事、そして移民状況という「交差するアイデンティティのために標的にされた」と指摘する。

「中国ウイルス」などに見られるパンデミックとアジアを結び付けるアジア人差別(黄禍論)や、アジア人女性は「エキゾチックで、性的、受動的な存在だ」というイメージから生まれる性差別など、ジェンダーと人種が交差する中で生じる差別や偏見などは、多くの研究者によって分析されてきた。(*3)

たとえば米国疾病予防管理センター(CDC)のエミコ・ペトロスキーらは、2003年から2014年にかけて殺害された1万0,018人の女性を分析した上で、以下のように結論づける。

若い女性、特に人種・民族的マイノリティの女性が、不相応な影響を受けていることが明らかとなった。全ての人種・民族の女性において、状況が判明している殺人の半数以上はIPV(*4)に関連しており、これらの女性の90%以上が、現在または過去の親密なパートナーに殺害されていたことが判明した。

(*3)交差するアイデンティティにもとづく差別・抑圧などの問題は、インターセクショナリティという概念がある。
(*4)intimate partner violence、親密なパートナーからの暴力

トランスジェンダー

また米国では、2020年に少なくとも44人のトランスジェンダーあるいはジェンダー・ノンコンフォーミングの人々が殺害されている。その大半が黒人およびラテン系であり、ここにも人種的不均衡が表出している。またコロンビアメキシコなど、トランスジェンダーへの殺人が強く問題化されている国は多く、性的マイノリティーは世界的に失業や貧困、ホームレス、生きるためのセックスワークなどによって、ますます脆弱な状態に置かれている。

こうした問題はトランスジェンダー差別の枠組みから理解されることも多いが、ジェンダーにもとづく暴力や殺人としてフェミサイドとも深い関係を有してる。

刑事司法制度

フェミサイドの問題は、刑事司法制度や社会的規範からも理解される必要がある。

たとえば国際的な人権団体アムネスティ・インターナショナルによれば、グアテマラでフェミサイドが起こる最も大きな原因として、政府の不作為と免責を挙げている。これは、同国において殺人事件の被害者が女性である場合、罪を逃れるケースが大半であることを意味しており、有罪判決は4%未満だという。

また、ジェンダーに基づく暴力が「私的かつ個人的な問題である」という認識が、問題への理解や解決を遅らせている可能性もある。米国で1994年、女性に対する暴力阻止法案(Violence Against Women Act)が成立した背景には、家庭内暴力が人権に関する刑事事件だという認識が広まったことがある。

フェミサイドの問題は、被害者である女性の社会・経済的な脆弱性だけでなく、刑事司法や社会規範において直面する不均衡も反映されていると言える。

各国の状況

以上のように、フェミサイドは世界的に人権問題として認識されている。ただしその中でも、近年特にフェミサイドに関する議論が沸き起こった国がある。

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著者
編集長
1989年東京都生まれ。2015年、起業した会社を東証一部上場企業に売却後、2020年に本誌立ち上げ。早稲田大学政治学研究科 修士課程修了(政治学)。Abema TV『ABEMAヒルズ』、日テレ系『スッキリ』、現代ビジネス、TBS系『サンデー・ジャポン』などでもニュース解説をおこなう。関心領域は、メディアや政治思想、近代東アジア、テクノロジー時代の倫理と政治など。
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