AV新法とは何か?売春の「合法化」批判、セックスワーカーの「自己決定」とは

公開日 2022年05月20日 18:02,

更新日 2022年09月15日 10:59,

無料記事 / 国内 / 人権

  • AV新法は、AV出演強要の被害などを受けて出演者が年齢・性別にかかわらず、1年以内に契約を解除できる法案。
  • 被害者の尊厳や人権を守るものとして評価されている。
  • 本番AVや売春を合法化するものという批判は適切ではなく、AVや撮影のあり方などは別途議論する必要性がある。

アダルトビデオ(AV)出演の契約をめぐる被害防止と救済に関する新たな法案、いわゆる「AV新法」について議論が加熱している

13日、自民・立憲民主など与野党6党によって同新法の素案がまとめられ、支援団体などが「被害者に寄り添った被害救済を規定している」など肯定的な受け止めを示す一方、Twitter では #AV新法に反対します のハッシュタグが登場して、問題点を指摘する声もある。

そもそも AV新法とは何であり、なぜ生まれたのだろうか?批判者は何を問題視しており、それはどのように応答されているのだろうか?

AV新法とは何か?

AV新法とは、今国会で成立が目指されている「AV出演被害防止・救済法案」のことを指す。同新法は、今年4月から成人年齢が18歳に引き下げられたことを受けて、18-19歳が不利な条件によってAVへの出演契約を結ぶ危険性があることから、議論が本格化したものだ。

未成年者取消権の消失

これまでも、18歳を過ぎればAV出演が可能だったが、20歳未満が未成年とされていた時は「未成年者取消権」によって一定の保護を受けていた。

「未成年者取消権」とは、親の同意がないまま未成年者がおこなった契約を取り消せる権利であり、民法により定められている。これによって18-19歳の未成年が、意に沿わなかったり十分に理解がないままAVに出演しても、この「未成年者取消権」に基づいて販売・流通停止などが可能となっていた。

2021年に内閣府男女共同参画局は、この問題を以下のように説明している。

18歳、19歳の人が、お金に困っているなどの理由から、アダルトビデオの出演契約を締結してしまったり、「JKビジネス」での就労を決めてしまうと、来年度以降、未成年者取消権が行使できず、契約を解除することは難しくなる

この懸念に対して、AV業界の健全化などに取り組むAV人権倫理機構は今年3月、メーカーやプロダクションなどに対して、出演年齢を20歳以上とする推奨を通達していた。一方、岸田首相は今年3月「未成年者取消権」の消失によって出演強要などが増えるリスクについて「現行法で対応する」考えを示しており、教育・啓発の強化などによって対応する姿勢を見せていた。

推奨や現行法には問題も

しかし、業界団体の推奨や現行法での対応には限界がある。

たとえば、AV人権倫理機構には加盟していない事業者も存在している他、近年はアダルト動画サイトなどで自主的に配信をおこなう個人などもいる。同機構の調査が及ぶ範囲、すなわち「適正AV」から漏れる事業者などは引き続き存在するため、包括的な対策が必要となるのだ。

また教育・啓発についても、スカウトや事業者が十分にリスクや懸念点を説明しないまま出演を促すなど、「自発的」な契約であってもリスクや懸念点は残されている。

たとえば内閣府の2018年度調査によれば、モデルやアイドルなどの勧誘を受けて契約をした経験がある人のうち、聞いていない・同意していない性的な行為などの写真・動画撮影に応じるように求められた経験がある人は、30.7%だった。一度契約をすれば断りづらい状況であることを考えれば、「適正AV」の範囲外を中心として、今も問題は存在している。

超党派で法整備へ

そこで今年3月、支援団体らが包括的な法整備を訴え、4月11日に与党・自民党側もAV出演強要問題に向けたプロジェクトチームを設置。同月中には、与野党によって足並みを揃えた取り組みがはじまった。

また問題意識も「成人年齢の引き下げ」に留まらず、より広い「AV出演強要の被害防止」に置かれたことで、年齢・性別を問わない対策の必要性などが確認された。こうして5月11日には法案が示され、その後12、13日にかけて修正案が示された形だ。(冒頭でリンクした素案は、13日16時時点のものであり、今後も各党協議などを経て法案内容が変更される可能性もある。)

AV新法の内容

現時点で明らかになっているAV新法の主な内容は、以下の通りだ。

  • 出演者に対して性行為を強制してはならない(第3条)
  • 出演者の年齢・性別にかかわらず、映像の公表から1年間(施行当初は2年間)は無条件・違約金など無しで、契約を解除できる。(第13条)
  • 契約解除の場合、制作・公表者が商品を回収するといった原状回復の義務を負う。(第16条)

加えて、事業者に対しては罰則なども定められ、実効性を高める規定も盛り込まれた。

  • 制作・公表者は、契約時に撮影で求められる性行為の内容などを記した書面を渡したり、出演者が特定される可能性などを説明する義務を負う。(第4-6条)
  • 虚偽の説明をおこなったり、契約解除を防ぐため脅した場合、事業者は3年以下の懲役または300万円以下の罰金を課せられる他、法人の場合は1億円以下の罰金。(第20-22条)

他にも、以下の内容も定められており、出演者を保護する規定がいくつも設けられている。

  • 撮影は、契約書などの提供から1か月経過後におこなわれる。(第7条)
  • 作品の公表は撮影から4カ月を経ておこなわれ、撮影後には出演者に映像確認をおこなう必要がある。(第9条)

評価の声

現時点では、AV新法に対する評価の声は多い。たとえば自民党・宮崎政久議員は「画期的な内容になった」として、立憲民主党・山井和則議員は「全年齢を救済できる」「非常に強力な法案」だと評価している。

またNPOヒューマンライツ・ナウの伊藤和子弁護士は「被害者の尊厳や人権を守り、被害の予防や救済を実現するために必要な法律であると評価している」と述べる。前述したAV人権倫理機構も、同新法を評価する立場だ。

このように支援団体や人権問題に詳しい専門家などを含め、同新法への評価が示される中で、冒頭で示したように #AV新法に反対します というハッシュタグも見られる。

一体、何が起こっているのだろうか?

反対理由は?

AV新法に反対する「AV業界に有利なAV新法に反対する緊急アクション」は、同新法について「AV業者に都合の良いAV新法」や「性搾取を正当化する新法」だと批判する。

たとえば、同メンバーに名前を連ねる仁藤夢乃氏は「被害を防ぐという意味では、ほとんど意味がない」法律だと述べる他、別の当事者団体も「搾取側に都合の良い法律」だと批判する。

また北原みのり氏は、

「AVはファンタジー」とは言われているが、実際に現場で行われているのはファンタジーではなく、リアルな暴力である。(略)AVに出演したことによる被害を訴える人たちが、ほぼ全員口をそろえて言うことは「俳優としての技術は求められたことはない」というものだ。ただ自分が性交しているシーン、暴力を受けているシーンを記録されているだけという意識が圧倒的である。

とした上で、

最大の問題は、性交が契約に入ってしまっていることだ。つまり、性交を契約上の業務として国が認めたということになる。セックスを国が業務として認める、初めての法律でもある。

述べて、「こんな大切な法案を、力ずくで通してはいけない」とする。つまり同氏は、

  1. AV・撮影のあり方そのもの
  2. 契約による性交の「合法化」

の2つを問題視している。結論を先取りするならば、それぞれの問題提起には以下のような応答がなされている。

  1. AV・撮影のあり方には様々な論点があるが、それらがAV新法成立を止める理由になり得るかは、疑問の声も多い
  2. AV新法が直ちに本番行為の「合法化」を意味するわけではないものの、素案は懸念への対応も示されている。

以下では、この2点に絞りつつ問題を考えていこう。

1. AV・撮影のあり方そのものへの批判

まずAV・撮影のあり方そのものについては、広範な議論がある。

以下ではまず、AV出演者の「被害者性」か「自己決定性」かという二項対立的な見方を検討する。(*1)両者は、AVに限らず、セックスワーカーに関する対立した見方として、しばしば議論の出発点になるからだ。(*2)その上で、北原氏の記事などで言及されたいくつかの論点を見ていく

(*1)念の為に確認しておくならば、北原氏の記事がAV出演者を「被害者」として捉えていると言いたいわけではない。
(*2)江原由美子編『フェミニズムの主張』(勁草書房、1995年)、江原『性の商品化―フェミニズムの主張』(勁草書房、1995年)などを参照。

「被害者性」か「自己決定性」か

AV出演者の「被害者性」か「自己決定性」かという議論は、今回のAV新法においても登場した。

たとえば「被害者性」を強調する見方としては、AV新法に反対する仁藤夢乃氏による「私は、AVは女性を性的に支配することを目的に、購買者がそれを楽しむ『加害映像』と定義しています」という発言がある。

こうした見方は、AV出演者による主体的な意思決定を重視しない、あるいは経済格差や男性中心主義社会などによる加害性を強調することで、多くの出演者について(程度の差こそあれ)被害者であると暗に想定している

一方、その「自己決定性」を強調する見方は、AVに出演する当事者などから多く指摘された。

たとえば戸田真琴氏は、働き方やメーカーによって異なる部分があるとしつつ、同意の取り方や危険行為の禁止などについて、業界内でも整備が進んでいると指摘する。その上で

女優自らが納得して行ったことや、実際にはしていない/されていない(フェイクで演じた)行為を、したのだと(さらには、強要された/自分の意志はなくやらされた)と誤解されることは、精神的に大きな負担があります。

と述べる。また戸田氏と同じく出演者である松岡すず氏や、ライターの中山美里氏なども、出演者の同意や主体性を強調することで、その「自己決定性」を指摘している

セックスワーカーの「被害者性」か「自己決定性」か、という問題は古くから議論されており、それぞれの課題についても指摘されてきた。

「被害者性」とパターナリズム

まずセックスワーカーの「被害者性」を強調する立場は、そこに一定度の主体性があったとしても、セックスワーカーが誕生する背景として男女の経済格差や性暴力、男性中心主義社会の影響などが大きく関係していることを重視する。たとえば代表的論者のキャサリン・マッキノン氏は、セックスワーカーの人種的・社会経済的な不均衡を指摘して、それがジェンダー不平等、あるいは抑圧の最も強い形態だと批判する。

2010年代以降、セックスワーカーと女性の貧困を結びつけて、その社会問題の "発見" が日本でも注目されたし、コロナ禍によって貧困に陥った女性がセックスワーカーに従事するという関係性は、岡村隆史氏による「コロナが明けたら可愛い人が風俗嬢やります」発言などで議論となった。

「被害者性」を抱えるセックスワーカーが存在することは事実だが、同時に、その主体性を軽視することへの批判も強い

たとえば、パターナリズムに関する批判がある。(*3)(*4)パターナリズムとは、社会・経済的弱者や適当な判断ができない者の "利益のため" に、彼らの行動を制限したり、国家や社会、個人が介入することを指す。たとえば、子どもの飲酒や喫煙を禁止することや、運転に際してヘルメットを義務付けることは、他者に危害を加えることがないにもかかわらず本人の安全を考慮した、パターナリズムにもとづく制限だ。

パターナリズムの問題としては、個人の自由を制限するだけでなく、当人の判断能力や責任能力などを非合理的とみなし、保護する対象として軽視する懸念が挙げられる。

また当事者団体は、

発達障害、ASD、ADHD、LD、境界知能、知的障害のある人なども、悪意を察知することが苦手です。契約を適切に理解できない人と契約してはならないという規制が必要

述べるが、セックスワーカー団体は、こうした声について

「騙されやすい」「洗脳されやすい」「まともな判断能力がない」等、無力化された当事者像の行き過ぎた一般化によって、常に否定・無視され続けてきました

」と反論する。セックスワーカーの中に、何らかの障害を抱える人などが存在することは事実だが、その主体性を軽視するような語りが一般化され、「セックスワーカー像」が形作られてきた側面にも注意する必要があるのだ。

果たしてセックスワーカーは適当な判断ができない、保護すべき、可哀想な被害者なのだろうか?元セックスワーカーであるメリッサ・ジラ・グラント氏は、次のように述べる

セックスワーカーは抑圧される存在だと決めつけているせいで、セックスワークに対しても人目をはばかる仕事でしかないという見方しかできない。私はこうした狭い見方を排除し、想像の売春婦像を打ち破りたいと思っている。

セックスワーカーの主体性を軽視することは、そこに「可哀想な被害者」や「主体性が欠如した、危険行為を強要されている人」という偏見(スティグマ)を向けることになり、その尊厳を傷つける懸念もある。AV出演者らが、そうした見方に抗っていることは決して偶然ではない。(*5)

(*3)江口聡「性・人格・自己決定 セックスワークは性的自由の放棄か」(京都女子大学現代社会研究、2010年)も参照。
(*4)セックスワーカーの「被害者性」を強調することは、それが国家や行政による取り締まりと結びつくことから、批判する声もある。こうした取り締まりは、結果的にセックスワーカーに携わる人々(多くが女性)の立場を危うくすることから、フェミニズムからも批判を集めてきた。清水晶子「セックスワークをフェミニズムはどう捉えるか。【VOGUEと学ぶフェミニズム Vol.14】」を参照。
(*5)フェミニズムとセックスワーカーを対立的に捉える見方は、最近になってはじまったものではないし、今回のAV新法に際しても散見された構図だ。たしかに「フェミニズムのアキレス腱」とも呼ばれるように、フェミニズムがセックスワークをどのように捉える・位置づけるべきかは議論が定まっていない部分もあるが、両者の架橋は何度も繰り返されてきた。

「自己決定性」と社会構造

一方、セックスワーカーの「自己決定性」を強調する見方は、当人の自由意思を尊重しつつ、それを労働として尊重する。(*6)いわゆるセックスワーク論と呼ばれる議論は、セックスワーカーを「可哀想な被害者」から解き放ち、同時に労働者としての適切な権利が保障されることを目指す(*7)

一見すると、セックスワーク論はより望ましい視点に見える。なぜなら、

セックスワーカーが直面する収奪や劣悪な労働環境を改善するために必要なのは、セックスワークを根絶すべき害悪として特殊視することではなく、セックスワーカーの労働者としての尊厳と権利、つまりより安全でより公正な環境で労働する権利とを、尊重すること

だからだ。

しかし、セックスワーカーの「自己決定性」のみに "注目しすぎる" こともまた、問題を抱えている。(*8)

たとえば当事者団体であるAV出演対策委員会が指摘するように、困難な状況にある人々については、AVへの出演やセックスワーカーとなる前に、医療や福祉の支援を受けることが重要だろう。前述したように、風俗産業は女性の貧困と密接に関わっており、ある種の受け皿になっているとも指摘されるからだ。

またセックスワーカーという職業選択の背景には、貧困や教育、福祉などの問題が横たわっているケースも多く、それが「自己決定性」に基づくものであっても、行政などの支援や介入が重要となる。また社会的・経済的に弱い立場にある人々は、実質的に同意を強制されたり、搾取されやすいため、それが本当に「自己決定」であるかを問い直すことも必要だ。

(*6)ただしセックスワークを労働として見なすと、性的自由が制限されるというパラドックスもある。なぜなら労働とは、雇用主の命令に従って業務を遂行するものであり、自由に行動することではないからだ。浅倉むつ子『フェミニズム法学』(明石書店、2004年)など。
(*7)菊地夏野「セックス・ワーク概念の理論的射程 : フェミニズム理論における売買春と家事労働」(人間文化研究、2015年)など
(*8)中里見博「ポスト・ジェンダー期の女性の性売買」(社会科学研究、2007年)などを参照。セックスワーク当事者からの指摘としては、SWASH『セックスワーク・スタディーズ』(日本評論社、2018年)などがある。

二項対立か?

ただし重要なことは「被害者性」か「自己決定性」かは、必ずしも二項対立ではないことだ。セックスワーカーを「可哀想な被害者」としてスティグマ化して、その主体性を軽視することは問題だが、同時に「自己決定性」だけでは捉えきれない構造的な問題に注目することも重要となる。

その際、要友紀子氏が述べるように「福祉か風俗かを迫る二者択一」には慎重になる必要があるだろう。貧困とセックスワーカーを結びつけることで、セックスワークを「困窮した人がせざるをえない、本来あってはならない労働」と見なすこともまた、スティグマ化への危惧を伴っているからだ。(*9)

ここまで、AV出演者の「被害者性」か「自己決定性」かという二項対立的な見方について考えてきた。では、それらを踏まえてAV・撮影のあり方そのものに関するいくつかの論点を見ていこう。

(*9)セックスワーカーと貧困を結びつける言説の危険性などについては、青山薫・要友紀子・荻上チキ「『被害者萌え』では救われない――セックスワーク論再考」を参照。

AVをそもそも禁止すべきか?

まず、AVそのものが加害的である、あるいは禁止すべきだという論調は、前述したように「被害者性」を強調する立場から生まれてくる。

たとえば弁護士の岸本学氏は、AV出演に関連する被害が存在することが国会において認識されたならば、AVそのものが禁止されるべきだと指摘する。ただし、AVという表現そのものへの規制を主張する論者が多いわけではなく、道徳的見地からAV禁止を指摘する論者についても、多数派ではないだろう。(*10)

たしかにセックスワークそのものがジェンダー不均衡や抑圧の結果だと捉える見方は存在するが、これは今回のAV新法とは独立した議論だ。

加えて、ここで注意すべきはAVそのものへの規制やその加害性を指摘することが、現在の出演者らの尊厳を傷つけるリスクだ。もちろん、他方では出演強要などの被害者は存在しており、現役出演者の声に偏重して耳を傾けることは慎重になる必要がある。しかしセックスワーク論において、セックスワークという「労働」が「社会的承認」を受けることが重要だと指摘されたように、そうした言説には慎重になる必要があるだろう。

(*10)歴史的に見れば、ポルノ規制はラディカル・フェミニズムにおいて主要な論点となってきた。また永田えり子『道徳派フェミニスト宣言』(勁草書房、1997年)のように、「性の商品化」を道徳性から批判する論者もいる。ただし同書は、いわゆるセックスを不道徳とみなすような単純化された議論ではないため、現在でも示唆的な側面は大きい。

AV現場は危険か?

またAV撮影の危険性を主張する際にも、似たような点に留意すべきだろう。たとえば北原氏による記事では、2004年の凄惨な事件(*11)に言及されているが、戸田氏が指摘するように、AVの撮影現場が18年前から変化していないかは、事実レベルとして確認する必要がある。

特に2016年、ヒューマンライツ・ナウが出演強要に関する報告書を公開して以降、業界内での適正化は進んできたと指摘される。

もし現在でも危険が蔓延しているならば大きな問題だが、北原氏が挙げたような事例が減少して業界のあり方に変化が生まれているならば、過去の事例を現在の一般化された事象のように語ることは、業界や撮影現場に対する無理解やスティグマを助長させるリスクもある

もっとも、このことはAV業界を含めたエンターテインメント業界が先駆的な取り組みをおこなっていることを意味しない。むしろ現在進行系で告発が続いている映画業界における性暴力は、その後進性を強調するものだ。ただし、いずれにしても業界や撮影現場の問題性を指摘するためには、その現状について適切に理解される必要がある。

(*11)2004年に起こった、いわゆるバッキー事件。ヒューマンライツ・ナウの報告書でも言及されている。

コンテンツを制限すべきか?

最後に、当事者団体のAV出演対策委員会が指摘する「犯罪フィクションのコンテンツを禁止」についても議論があるだろう。そこでは痴漢、スワッピング、口淫、肛門挿入、近親相姦などを犯罪フィクションとして規制対象にすべきと指摘されている。

これについては、多様な表現について出来る限り許容されるべきというJ.S.ミルの危害原理にもとづく古典的な表現の自由を擁護する観点からも、一律で禁止を求めることは慎重な声も多いだろう。

同団体は「性的コンテンツから性犯罪を誘発することは、警察庁の発表でも明らかになっています」とも指摘するが、両者の関係性について一定の悪影響を指摘する研究は多いものの、その因果関係については明らかになっていないことも多い。

また肛門挿入やスワッピングを問題視することは、ヘテロ・セクシュアルを前提とし、ロマンチック・ラブ・イデオロギーによって秩序付けられた性愛のあり方を前提としている可能性もあり、この点からも批判があるだろう。

AV新法の反対の論理になりえるか?

ここまで、AV・撮影のあり方そのものに向けられた批判を見てきた。個別の論点については各々賛否があるだろうが、改めて確認するならば今回の論点は、これらがAV新法に対する論理になり得るか?という点だ。

たとえば伊藤和子氏は「せっかくまとまりそうな被害者保護制度を潰すような動きが本当に正しいのか、皆さんには本当によく考えてほしい」と指摘して、まずは新法成立を目指すべきだと主張する。また立憲民主党・塩村あやか議員は、以下のように述べる

反対されている方の主張と被害者救済法案の立法趣旨は違うものであり、本番行為の禁止を含めるのであれば、救済法では無理です。国会論議を通じてコンセンサスを取ることをしなくてはいけません。様々な課題や論点があり、禁止法は議員の独断で作ることはできません。それはぜひ、積極的な考えを持つ議員に陳情をして立法を目指して頂きたいと思います。(略)

いま、こうしている間にも被害者が生まれています。先週、早速19歳の被害者が出ましたが、この法案が成立していないため救済されず、近く性交をさせられている動画がリリースされてしまいます。

一刻も早く救済法を成立させ、業界に強い抑止を促したい。そして、被害救済をしなくてはいけません。

2. 契約による性交の「合法化」への批判

では、もう1つの性交の「合法化」についてはどうだろうか?

まず前提として、AV新法においては性行為およびAVが定義されている。これまでAVを明文化した法律は存在しないため、いわばグレーゾーンで撮影・販売が続いており、初めてそれを定義した法律となる。

具体的には、性行為について

性交若しくは性交類似行為または他人が人の露出された性器等を触る行為もしくは人が自己もしくは他人の露出された性器等を触る行為

とされ、AVは「性行為映像制作物」と呼ばれた上で、

性行為に係る人の姿態を撮影した映像並びにこれに関連する映像並びに音声によって構成され(略)その全体として専ら性欲を興奮させまたは刺激するものをいう

とされている。問題はこれについて

  1. 定義をすることで国がAVの本番行為を認めたのでは?
  2. 売春防止法で禁じられる売春にあたるのでは?

という懸念が生まれていることだ。

1. 定義によって本番行為が認められる?

まず1つ目だが、性行為やAVを定義しなければ規制をかけることはできないため、定義をすること自体は至極当然のことだ。たとえば弁護士の矢部善朗氏は、「本番AVの定義は本番AV合法化」という論理は、法律的に明らかに誤っていると指摘する。

とはいえAVの定義について、当初素案では「性行為を行う人の姿態」となり、本番行為を示唆するような記述だったが、「性行為に係る人の姿態」に改められた。これによって本番行為のみに限定しない記述となっている。つまり、本番行為を国が認めていると "取られかねない" 書き方については、修正がおこなわれた状態だ。

しかし、そもそもAVにおいて、いわゆる「本番行為」をおこなうことは、違法ではないのだろうか?そこで問題となるのが、日本において売春を禁じた売春防止法だ。

2. 売春にあたる?

売春防止法(売防法)では、売春の禁止が

第二条 この法律で「売春」とは、対償を受け、又は受ける約束で、不特定の相手方と性交することをいう。
第三条 何人も、売春をし、又はその相手方となってはならない。

と定められている。とはいえ、日本にはソープやヘルス、デリヘルなどのいわゆる風俗業が存在しており、実際には「売春」をおこなっているように見える。しかし、ポイントとなるのが「本番行為」の有無だ。

風俗営業法においては「店舗型性風俗特殊営業」として、いわゆるソープ・ヘルス・デリヘルが以下のように定義されている。

  • 浴場業(公衆浴場法(昭和二十三年法律第百三十九号)第一条第一項に規定する公衆浴場を業として経営することをいう。)の施設として個室を設け、当該個室において異性の客に接触する役務を提供する営業
  • 個室を設け、当該個室において異性の客の性的好奇心に応じてその客に接触する役務を提供する営業(前号に該当する営業を除く。)
  • 人の住居又は人の宿泊の用に供する施設において異性の客の性的好奇心に応じてその客に接触する役務を提供する営業で、当該役務を行う者を、その客の依頼を受けて派遣することにより営むもの

ポイントとしては「異性の客の性的好奇心に応じてその客に接触する役務」は認められているものの、売春婦防止法で「売春」は認められていないため、いわゆる「本番行為」は違法になることだ。そのため、たとえば事業者側に「本番行為についての認識」がある場合などは、摘発がおこなわれる。

売春の「不特定」性とAV

この論理を見ると、ほとんど本番行為が当たり前になっているAVは、売春防止法に反しているように思える。なぜなら、AVは「対価を受けて性交する」ことであり、売春に該当するように見えるからだ。

しかしながらAVを売春と見なすことは、必ずしも自明ではない

たとえば弁護士の小倉秀夫氏は「売春防止法上の売春の定義には不特定人を相手にすることが含まれるので、AV撮影の過程で本番をやっても通常これに含まれない」と指摘する。

実際にAV新法では、第4条において「出演契約は、性行為映像制作物ごとに締結しなければならない」と明示されており、この点もAV契約における「不特定」性を排除する可能性がある。

ちなみに今月19日の法務委員会では、日本共産党の山添拓議員が、AVが売春に該当するかを念頭に「不特定」の意味を問いただした上で、AVの本番行為が売防法違反に当たるかを法務省の川原隆司刑事局長に質問している。そこでは、法務省の立場から明言は避けられており、直ちに違法性が指摘されるわけではないことが示唆されるだろう。

つまりAVの本番行為が売防法違反かは、現時点では決して自明ではなく、契約による性交の「合法化」という結論を直ちに導くことは、かなりの程度疑わしいと言える。

分かれる専門家の見解

その中でも「合法化」をする専門家もいる。たとえば弁護士の川村百合氏は「『性行為を強制してはならない』(3条2項)とあって、逆に言うと、『本番の性行為』を有償で撮影し頒布することが、『強制でなければ合法』ということになっています」と指摘する。(*12)

また、弁護士の太田啓子氏は「現在グレーなものをグレーなままと位置づけてこの法案を成立させるということに積極的に反対するものではない」としつつも、「明らかに性交を行うことを法案は前提にしており、これは合法化ではないのだろうか?性交を排除し、『性交を演じる』『性交のふりをする』といった趣旨に変更できないか。」と問題提起する。

太田氏の発言は、「合法化」という論理を強く支持しているわけではないが、少なくとも専門家の間でもある程度判断が分かれていることは事実だ。

(*12)ただし、Aという論理を禁じることが、直ちに「A以外の合法化」を意味するかは議論の余地もあるだろう。たとえばヘイトスピーチが禁じられたからと言って、それ以外の全ての差別表現が合法化されるわけではない。

AV新法はなぜ「本番」を禁止しない?

では、このように僅かであっても曖昧さが残るならば、なぜAV新法では本番行為を一律で禁止しないのだろうか?

実際、中里見博氏は「被害の根源である実際の性交の撮影・販売を合法化することになる。このままでは被害が防げないのは明白」として批判する。

これについては、前述した塩村あやか議員による以下の指摘が回答となるだろう。

反対されている方の主張と被害者救済法案の立法趣旨は違うものであり、本番行為の禁止を含めるのであれば、救済法では無理です。国会論議を通じてコンセンサスを取ることをしなくてはいけません。様々な課題や論点があり、禁止法は議員の独断で作ることはできません。

今月19日の内閣委員会で、塩村議員の質問に対して、内閣府の林伴子男女共同参画局長局長が「AV禁止法や本番AV禁止法を直ちに制定することは難しい」と回答しているように、もし本番禁止を含めた立法をおこなうならば、救済法案の実現までに長い時間がかかることが予想される。

「法律の制定が遅れれば遅れるほど新たな被害者が生まれる現実」を鑑みると、2つの論点は切り分けられるべきだろう。

懸念への対応も

AV新法が「合法化」を意味するわけではないものの、その懸念については素案でも受け止められている。まず与野党の実務者会合では

公序良俗に反する契約や違法な行為を容認するものでも、合法化するものでもない

ことが明示された。加えて素案では、第1条において

性行為の強制の禁止並びに他の法令による契約の無効および性行為その他の行為の禁止または制限をいささかも変更するものではない

とされ、第3条において

売春防止法その他の法令において禁止され又は制限されている性行為その他の行為を行うことができることとなるものではない

と記されている。また「附則」には、法律の施行から2年以内に

その他の出演契約等の条項の範囲その他の出演契約等に関する特則の在り方についても検討を行うようにする

と述べられており、契約に関する検討事項として記されている。市民の懸念に答えつつ、契約のあり方なども議論として積み残されていると明示されたと言えるだろう。

ここまで、

  1. AV・撮影のあり方
  2. そのもの国による「契約としての性交の合法化」

の2点を見てきた。前者については、個別の論点は多岐にわたりつつもAV新法を妨げるものであるかは疑問の声も多く、後者については今回のAV新法が直ちに合法化を意味しないものの、その懸念への対応は取られている、という結論になった。

「未成年者取消権」を復活させれば良い?

最後に、こうした懸念を受けて

本来の目的である十八、十九歳の被害を救済するため、契約「取り消し権」の復活を先行させてはどうか

とする東京新聞の主張を見ておこう。たしかにAV新法の出発点は成人年齢の引き下げにより、未成年者取消権が消失することだった。しかし、この論理には大きく2つの問題がある。

まず今回のAV新法は、18-19歳の出演取り消しのみを射程とするだけでなく、むしろ「年齢・性別を問わない対策」に広げられたことに大きな意味がある。そのため未成年者取消権の復活は、議論を後退させているに過ぎない

加えて「未成年者取消権」の復活は、以下の指摘のように、成人年齢の引き下げと整合性が取れなくなる。

自分で契約できるようになるということは、自分で責任を負うということで、AV出演に限らず、あらゆる契約にはリスクがつきまとう。

そのことを社会としてわかったうえで、18歳には判断能力があるとして成人年齢を引き下げたのに、未熟だから保護するというのは整合性がないことになる

また京都大学の曽我部真裕教授は、AV新法について

契約には拘束されるというのが近代社会の大原則であり、無条件で解除できるとする規定はこうした原則を真っ向から否定する異例のものであることを確認する必要があります。

指摘する。こうした視点に立つと、パッチワーク的な対処をすべきではなく、あくまでAV新法は被害者救済という原則のみに立ちつつ、本番行為の法的位置づけや規制の範囲については、中長期的な議論が求められると言えるだろう。

賛否の二項対立を超えて

本記事では、AV新法をめぐる賛否を見てきた。最後に新法の内容そのものとは外れるものの、重要な点を確認しておこう。

それは、賛成・反対については単純な二項対立では分けられないという当たり前の事実だ。

たとえば本記事でも触れた北原氏は、別の記事において「いったん結んだ契約を無条件に解約できるという救済策によって、救われる被害者がいることは確実だ。だからこそこの法案を通すベきだ、という声は痛いほどわかる」とした後に「一方で、この法案では絶対に救われない被害者が確実にいることも、重たい現実だ」として、逡巡を見せている。

またAV新法に「待った」を掛けているように報じられる金尻カズナ氏は、「一日も早い全会一致での成立を望みます」という声明に名前を連ねている。

このことは、新法の意義と限界、問題点の間で葛藤しながらも、当事者から運動家、政治家や専門家までが最大限の努力を払いながら、事態を前に進めようとしていることを示唆する。

本記事脚注でも触れたが、歴史的にフェミニズムとセックスワーカーの権利を対立的に捉えるような見方(*13)が、両者の緊張関係を生み出すこともあったが、同時に、その架橋によって権利獲得が推し進められてきたことも事実だ。(*14)セックスワーカーについて「被害者性」か「自己決定性」かのみで捉えるべきではないように、新法をめぐる議論についても、単純化した議論に拘泥しないことが重要となるだろう。

(*13)新法をめぐる議論は、必ずしも両者の対立を反映しているわけではないが、こうした構造で理解するような見方も散見される。
(*14)菊地夏野「コロナで注目の『セックス・ワーカー差別』、フェミニズムとの複雑な関係」など。

本記事は、ライセンスにもとづいた非営利目的、あるいは社会的意義・影響力の観点から無料で公開されているコンテンツです。良質なコンテンツをお届けするため、メンバーシップに参加しませんか?

いますぐ無料トライアル

または

メンバーシップについて知る
✍🏻 著者
編集長
1989年東京都生まれ。2015年、起業した会社を東証一部上場企業に売却後、2020年に本誌立ち上げ。早稲田大学政治学研究科 修士課程修了(政治学)。日テレ系『スッキリ』月曜日コメンテーターの他、Abema TV『ABEMAヒルズ』、現代ビジネス、TBS系『サンデー・ジャポン』などでもニュース解説をおこなう。関心領域は、メディアや政治思想、近代東アジア、テクノロジー時代の倫理と政治など。わかりやすいニュース解説者として好評。
最新情報を受け取る

ニュースレターやTwitterをチェックして、最新の記事やニュースを受け取ってください。

🎀 おすすめの記事