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日米の核意識はどのように異なるか?バーベンハイマーで物議

公開日 2023年08月11日 17:19,

更新日 2023年09月14日 18:31,

無料記事 / アメリカ(北米) / 人権

この記事のまとめ
💡 日本で物議を醸したネットミーム、バーベンハイマー(Barbenheimer)

⏩ 日米の核意識は、なぜ異なる?
⏩ 日本における核意識は「被爆の記憶」と「原子力の夢」の補完関係
⏩ 米国の核意識も一枚岩ではなく、その前提となっている「原爆降伏論」は本当に "神話" ?

クリストファー・ノーラン氏が監督を務め、キリアン・マーフィー氏が主演した映画『Oppenheimer(オッペンハイマー)』をめぐって、議論が巻き起こっている

米国などで同日(7月21日)に公開された映画『バービー』とあわせて、バーベンハイマー(Barbenheimer)と呼ばれるミームが誕生し、原爆のキノコ雲とバービーを混ぜ合わせたファンアートなどが物議を醸しているのだ。

Image of Barbenheimer
Image of Barbenheimer(DiscussingFilm via @stevereevesart, Twitter

ある X(Twitter)ユーザーが、米国では「オフィシャルで9.11やナチスをネタにすることは絶対にない。でも原爆の事はは(原文ママ)ネタに出来るんだな。 やっぱり根底にアジア軽視があるように思う」と指摘した他、日本版でバービー役の吹き替え声優を務めた高畑充希氏は、Instagram のストーリーで「今回のニュースを耳にした時、怒り、というよりは正直、不甲斐なさが先に押し寄せてきました」と述べた。

歴史、特に第二次世界大戦をめぐるイメージや表象をめぐって、議論が巻き起こることは珍しくない。2016年にはアイドルグループ・欅坂46のメンバーが、ナチの制服に酷似した衣装を着用して国際的な批判浴び、2021年には東京五輪開会式でショーディレクターを務める予定だった小林賢太郎が、過去の「ホロコーストを揶揄する発言」を理由として解任されている。

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また韓国のアイドルグループ BTS のメンバーが、過去に原爆を描いたTシャツ(*1)を着用したことが問題視され、事務所が謝罪したこともある。

このバーベンハイマー(Barbenheimer)というネットミームがもたらした騒動を理解するためには、日米の原爆認識の違いや、戦後日本における原爆・原子力に対する背反した見方、そして米国の核意識などを踏まえる必要がある。なぜ原爆はネットミームになるのだろうか?

(*1)韓国が、大日本帝国からの独立を記念した日である「光復節」のモチーフでもあった。

バーベンハイマー(Barbenheimer)

バーベンハイマーの騒動を理解するためには、大きく3つの文脈を抑える必要がある。

1つ目は、監督を務めたクリストファー・ノーラン氏と Warner Media(ワーナーメディア)との関係性、2つ目は現在進行形で起こっているハリウッドのストライキ、そして3つ目は「大作」偏重となっているハリウッドの現状だ。

まず、クリストファー・ノーラン監督は長年、Warner Media 傘下の映画制作・配給会社 Warner Bros. Pictures(ワーナー・ブラザース)と組んで、『ダークナイト』3部作や『TENET』などの人気作品を生み出してきた。ところが、近年のストリーミング・サービス人気により、Warner Media が新作の劇場およびストリーミングでの同時公開を決定したことに、ノーラン監督が不信感を抱く。制作者との十分な協議が無かったことなどに不満を感じ、同社と決別することとなった。

今回の『Oppenheimer』は、そのノーラン監督が初めて Universal Pictures(ユニバーサル・ピクチャーズ)と組んだ作品となる。その同監督に真っ向から勝負を挑んだのが、同じく人気監督のグレタ・ガーウィグ氏が手掛ける『バービー』を同日公開でぶつけてきた Warner Bros. だ。バーベンハイマーの2作は、客層もかぶらないと思われていたため、監督と古巣による直接対決の様を呈していた。

ところが、人気監督の2作品と言えども、別の大きな逆風を受けていた。ハリウッドは現在、ストリーミング・サービスの台頭による俳優らの収入源と AI 活用をめぐる問題から、大規模なストライキに突入しているからだ。その結果、『Oppenheimer』や『バービー』などの新作は、俳優らの活動が制限されている関係で、ほとんどプロモーションをおこなえていない。

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そして最後に、バーベンハイマーが近年の "セオリー" から外れていることも懸念点だった。近年のハリウッドは「製作本数や観客動員数は減り続け、公開作は有名スターが出演するシリーズものばかりになっている」ことが指摘される。『トップガン マーヴェリック』や『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』、『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』、『ワイルド・スピード/ジェットブレイク』などは、いずれも成功が約束されているシリーズものだ。

特にノーラン氏の『Oppenheimer』は、「陰鬱なストーリー」であり「明らかに観客を喜ばせるものではない」。また原爆開発を題材とした作品は、過去も興行的に成功しておらず、ノーラン氏への「信頼」と「許容リスクの範疇」だからこそ、成し得た作品だと言われる

両作の成功

にもかかわらずバーベンハイマーの両作は、驚くべき成功を見せた。両作の公開初週における週末興行収入は、合計5億1,100万ドル(約720億円)にのぼり、なかでも『バービー』はオープニング成績としては今年第1位に達して、女性監督作品としては史上最高の滑り出しとなった。「新型コロナウイルス禍で映画館が相次ぎ閉鎖に追い込まれてから3年を経て、消費者の映画熱が戻ってきたのかもしれないと期待する声」が出るなど、ハリウッド全体の復活に繋がることを祈る声もある。

すなわちバーベンハイマーの両作がヒットしたことは、コロナ禍やストリーミング人気による低迷から「シリーズ大作モノ」に頼るしか無かったハリウッドにとって、久々の明るいニュースだったのだ。トム・クルーズ氏やクエンティン・タランティーノ監督も、両作を同時鑑賞することで、この流れを後押しした。

 

こうして見ると、バーベンハイマーというネットミームそのものが「悪ノリ」や「不謹慎ネタ」と言えるかは難しいところだ。少なくともそれは、低迷するハリウッドで久しぶりに登場した「ソーシャルメディア発のマーケティング・ギフト」としてはじまった。ジャンルもスタイルもこれ以上離れたものはない両作が、週末の興行収入をどのように「分け合うか」は不明だったが、結果としては相乗効果を生むという想定外の結末を迎えたのだ。

では、両作を同時鑑賞することや共同マーケティングは、倫理的に問題をはらんでいるのだろうか。冒頭の指摘であったように、これがホロコーストや 9.11 であれば批判を集めた可能性は高いし、実際に Warner Bros. の日本法人は「アメリカ本社の配慮に欠けた反応は、極めて遺憾なものと考えており、不快な思いをされた方々にはお詫び申し上げます」と謝罪に至っている

しかしここで重要なのは、なぜホロコーストなどであれば問題視される言動を、原爆ならば許容されると考えてしまったのか?という点だ。「一連の騒動は、日米の原爆観の違いを浮き彫りにした」と報道されるように、この問題は単純な「日米の違い」を示しているだけなのだろうか。

米国は、核の悲劇に無知・無理解?

結論から述べると、バーベンハイマー問題の背景にあるのは「日本人は原爆の悲劇を十分に学んでおり、米国人はその悲劇に無知・無理解である」といった単純な二項対立ではない、ということだ。

日本における核意識は「被爆の記憶」と「原子力の夢」の共犯関係によって成り立ってきていたし、米国の核意識も一枚岩ではない。また、米国の核意識の前提となっている「原爆降伏論」は、日本ではしばしば "神話" として退けられるが、その妥当性についても触れておく必要がある。

たとえば Foreign Policy 誌のジェニファー・ウィリアムズ副編集長は、軍事技術ジャーナリストのケルシー・D・アサートン氏による

『Oppenheimer』は、核兵器の最大の犠牲者はオッペンハイマーの機密保持許可の取り消しだったという3時間にわたる議論を行った。

というツイートを引きながら、『Oppenheimer』の限界を指摘する。それは、同作が人類最初の核実験であるトリニティ実験に焦点を充てており、原爆の悲劇がヒロシマ・ナガサキではなく、オッペンハイマー個人が水爆開発に反対したことで、国家機密に関わる資格を剥奪されたことにあると描いたことだ。

これにより原爆の問題は、人類全体が向き合うべき惨禍から、個人のストーリーへと矮小化されてしまった。ただしウィリアムズ副編集長は、そもそも同作の原作である『オッペンハイマー 「原爆の父」と呼ばれた男の栄光と悲劇』(*2)の主題がトリニティ実験であるため、必ずしもノーラン監督を責めることは出来ないと断りつつ、核爆弾とバービー人形という、米国における象徴的な2人の「遺産の最も醜い部分から目を背けたいという衝動は依然として強く、『Oppenheimer』はそれに完全に向き合うことが出来なかった」と結論づける。

オッペンハイマーを悲劇の英雄として描くのではなく、そのパブリックイメージが持つ二面性に注目する論者もいる。カリフォルニア大学サンディエゴ校のチャールズ・ソープ教授は、以下のように指摘する。

武器を偽造する技術専門家と、爆弾の道徳的重要性を背負う詩的な人文主義者だ。マンハッタン計画のスポークスマンであり象徴であるオッペンハイマーは、それが自分の個人的な創作であり責任であるという考えを奨励しているように見えることもあった。

これらの指摘は、日本における核意識が一枚岩ではないように、米国のそれも複雑であることを示唆している。では日米両国は、それぞれどのような核意識を持っており、それは現在までどのような結果をもたらしてきたのだろうか。

(*2)原著は、Kai Bird, Martin J. Sherwin, American Prometheus: The Inspiration for the Major Motion Picture OPPENHEIMER(Vintage; Reprint, 2006)

日本の核意識

神戸市外国語大学の山本昭宏准教授が述べるように、戦後日本の核意識は「被爆の記憶」と「原子力の夢」によって成り立ってきた。そして両者は補完的な関係にあった。

国民大衆が原水爆への拒否感を共有しつつあった当時の日本社会においては、核エネルギー研究開発はもっぱら「平和利用」のみでなければならず、それゆえに「平和利用」はまず科学者たちによってことさら喧伝され、輿論もそれに追随したのだと考えられる。

戦後すぐの1950年代、ヒロシマ・ナガサキの「被爆の記憶」が色濃い中でも、日本は核そのものを忌避するのではなく、「被爆の記憶」があるからこそ「平和利用」の重要性を強調することで「原子力の夢」へと傾いていく。

これによって、「被爆の記憶」を原水爆の反対の根拠とする態度が、戦後日本のナショナル・アイデンティティとなった。しかしながら、原水爆への拒否感は、当時進行していた「平和利用」キャンペーンの駆動力となっていくのであった。

一九五四年以降、「平和利用」に関する展覧会や博覧会とその報道、あるいは「平和利用」に期待する知識人の言説などによって、「原子力の夢」はかつてないほどに膨らんでいた。第五福竜丸事件のインパクトを受けて、数は少ないながらも原子力発電の推進に対する疑義が呈されていたが、当時進行していた「平和利用」キャンペーンは、その疑義をも飲み込むかたちで進行していった。

唯一の被爆国である「にもかかわらず」、というよりも「だからこそ」原子力の平和利用を託された日本は、その関係性に疑問を抱かないまま 3.11 に至るまで原発大国として突き進んでいく。

ゴジラのウルトラマン化

「被爆の記憶」と「原子力の夢」の補完関係は、多くの論者によって指摘されており、映画や文学などでも表象されてきた。(*3)

「被爆の記憶」を象徴する代表的な存在が、1954年に公開された怪獣映画『ゴジラ』シリーズだ。同作は、日本から割譲され米国の信託統治領となっていた旧南洋群島ビキニ環礁(現在のマーシャル諸島共和国)で繰り返された核実験から着想を受け、初期のポスターには「水爆大怪獣映画」の文字が記されている。


Godzilla 1954 poster(Toho Company Ltd. 1954, Public domain

ところがシリーズがくだるに連れて、ゴジラの描かれ方にも変化が生じる。法政大学の川村湊名誉教授は、その変化を以下のように表現する。

昭和期のゴジラは、その時々の社会的、風俗的な意匠を身にまといながら、外見的にはそれほどの変貌は見せないものの(ただし、表情は穏やかになったり、ユーモラスになったりする)、兇暴性や残忍性を後退させながら(人や車を踏み潰したりしなくなる)、やがて地球や人間の守護神のような役割を果たすようになった。いわば、ゴジラの〝正義の味方〟ウルトラマン化である。

つまり、当初は「被爆の記憶」そのものとして生まれたゴジラだったが、時代が「原子力の夢」へと傾いていく中で、その表象にも変化が現れたのだ。

ただしゴジラは、常に核と人間の緊張関係を示唆し続けてはいた。たとえば2014年のハリウッド映画『GODZILLA ゴジラ』では、米・国防総省が広島の原爆被害を取り上げた製作段階の脚本に抗議・介入したこととが明らかとなっている。また2015年の『シン・ゴジラ』も、制作関係者が「3.11 を体験した我々だからこそ体現できる」と述べるなど、東日本大震災および福島第一原発事故から着想を受けているとされる。

「被爆の記憶」を一定度まで内包し続けるゴジラに対して、より直接的に「原子力の夢」という文脈から生まれた作品が、手塚治虫のSF漫画・アニメの鉄腕アトムだ。

(*3)こうした原発・原爆文学を扱った研究として、たとえば黒古一夫『原発文学史・論 〈絶望的な「核(原発)」状況に抗して〉』社会評論社, 2018年や同『原爆は文学にどう描かれてきたか』八朔社, 2005年、あるいは川口隆行『原爆文学という問題領域』創元社, 2008年などがある。

鉄腕アトム

鉄腕アトムは、1952年4月から1968年3月にかけて雑誌『少年』で連載され、1963年からはアニメ化されている。妹の名前はウランであり、

今とは違い科学は全てバラ色だったから、なんとか科学の力で最低の生活から立ち直りたいという願いをアトムに託した

と手塚治虫自身が語っているように、まさに核の「平和利用」や「原子力の夢」を体現した存在だった。(*4)アニメ化された1963年は、日本初の商業用原子力発電所となる東海発電所が運転開始される1966年の直前であり、日本で「原子力の夢」が実現していく時期であった。

しかし今でこそ、「被爆の記憶」と「原子力の夢」を体現する両作品だが、3.11までそれらが一体化して語られることは殆ど無かった。たとえば早稲田大学の加藤典洋名誉教授は、

考えてみれば、この2つの文化アイコンは、一対の存在として対照されてしかるべきいくつかの照応点をもっていた。にもかかわらず今回、2011 年3月の福島第一原子力発電所の事故が起こるまで、 日本社会に両者の文 化アイコンとしての一対性に注目した創作、批評、指摘が現れることはほ とんどなかった。

という問題意識を示す。川村湊名誉教授が述べるように「戦後の日本人は、こうしたピカドン、ゴジラ、アトムなどに象徴されるような『原子力』観を、分裂状態のまま持っていた」のだ。

すなわち、山本准教授が示したような国民意識のレベルにおいても、ゴジラとアトムのような文化的レベルにおいても、「被爆の記憶」と「原子力の夢」は明らかに分裂したものであり、時には「被爆の記憶」が「原子力の夢」を補完するような "共犯関係" ですらあったと言える。

こうした核意識を振り返れば、日本が「被爆の記憶」を教育や共同体の記憶を通じて、十分に継承してきたかは分からない。むしろ「平和利用」や「原子力の夢」の名の下に、「被爆の記憶」が覆い隠されてきた可能性すらある。

(*4)ただし同インタビューを手掛けた記者は、のちに「手塚さんは『原子力の平和利用』にも既に懐疑的な視線を向けていたのではないか」と振り返っている。

「宣伝工作のターゲット」になった広島

そのことを如実に表しているのが、1956年に広島市の原爆資料館で開催された原子力平和利用博覧会だ。

原発投下の記憶がまだ生々しい時期にもかかわらず、同展覧会には11万人が訪れて「原子力エネルギーがもたらす明るい未来に歓声を上げた」という。広島市民は「原爆に対する特別な感情を根強く持ちながらも、当時最先端の科学技術だった原子力を肯定的に捉え、そこに夢や希望を見いだそうとした人々がいた」言われる

背景にあったのは、1953年に米国で掲げられた「平和のための原子力(Atoms for Peace)」キャンペーンだった。冷戦下、米国はソ連による核武装を警告しつつ、その平和利用を強調することで米国民の支持と西側陣営による封じ込め政策の端緒を切っていく。正力松太郎ら日本側の思惑も重なり、この動きは日本にも波及していく。

アメリカン大のピーター・カズニック教授らが詳細に明らかにするように、このプロセスには自らも被爆者であり、核兵器の全面禁止を訴えて「広島の父」と呼ばれた浜井信三広島市長すらも賛同し、広島は「宣伝工作のターゲット」となっていく。ついには広島の原発設立構想も持ち上がるなど、「平和利用」の流れに組み込まれていく。

山本准教授は、以下のように述べる。

ただし「原子力の夢」に関していうと、広島は被爆体験を何とかポジティブなものに転化させたいという心情から、「原子力の夢」を支持していった。それは結果としてアメリカとマスメディア主導の「平和利用」キャンペーンを受け入れることになった。原水禁署名運動の隆盛期における広島の人びとが、被爆者の生活実態に目を向けつつ、被爆者と共に「原子力の夢」を見、自ら夢を膨らませていったという側面を否定しきるのは難しい。

1955年、水爆禁止を世界に訴える「杉並アピール」には約3,259万筆(当時の15歳以上人口の約6割に該当)もの署名が集まり「反米・反核感情は最高潮に達していた」ものの、日米によるプロパガンダは功を奏して、反対論はほとんど無くなっていく。広島も巻き込み、日本中がわずか10年間のうちに核の「平和利用」を信仰するようなっていく

被爆の記憶の矛盾

もちろん、すべての「被爆の記憶」が「原子力の夢」に絡め取られたわけではない。

被爆者の1人であった佐々木禎子の物語を世界に伝えた小倉馨(広島平和記念資料館館長)や原水爆禁止日本国民会議(原水禁、1966年設立)などの活動、第五福竜丸の被爆を受けて生まれた東京都杉並区の主婦による反核運動(杉並アピール)などは、世界的な平和・反核運動において大きな役割を果たした。

文学の世界においても、井伏鱒二『黒い雨』(1966年刊行)や大江健三郎『ヒロシマ・ノート』(1965年刊行)など、「被爆の記憶」を強烈に描いた作品はいくつも生まれた。また1979年には、堀江邦夫によって『原発ジプシー』が著された。同作は「被爆の記憶」と「原子力の夢」の二項対立ではなく、「平和利用」の象徴だった原子力発電所が、不可視化された労働者の犠牲によって成り立っていることを暴いた、3.11 にまで繋がる記念碑的作品だ。

にもかかわらず、「被爆の記憶」の中にも内在する矛盾が存在する。それは、唯一の被爆国でありながら、自らの安全保障を日米同盟や「核の傘」に委ね、核を「つくらず、持たず、持ち込ませず」という非核三原則を掲げつつも、その実態は米国との密約によって有名無実化していたことだ。2009年に外務省と有識者委員会によって密約の存在が明らかになるまでも、密約の存在は何度も報道されていたが、政府はその度に否定を繰り返した。

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佐藤栄作は、非核三原則によってノーベル平和賞を受賞した(U.S. National Archives and Records Administration, Public domain

「被爆の記憶」と「原子力の夢」が共犯関係にあり、「被爆の記憶」の中においても「核の傘」に組み込まれつつ、非核三原則を黙認してきた日本。もちろん、日本においてキノコ雲のイメージは「楽しくてフレンドリーなジョーク」ではなく「死や苦しみと非常に深刻に結びついている」ものだ。しかし、キノコ雲の向こう側にある共犯関係や矛盾は、どこまでその核意識に反映されているのだろうか

米国の核意識

日本でよく知られている米国の核意識と言えば、いわゆる「原爆投下が戦争終結を早めた」という "神話" だろう。(ただし、この指摘が本当に "神話" であるかは後述する。実証研究などを十分に参照しないまま、この見解が "神話" として日本で流布していることにも、日米の核意識の違いがある)

今回のバーベンハイマー騒動においても、こうした核意識が背景にあると指摘する声は少なくない。この "神話" の成り立ちは、原爆投下を決断したハリー・S・トルーマン大統領(当時)による演説が分かりやすい(太字は引用者、以下同様)

私は米国大統領として、この兵器を初めて使用するかどうかを決定するという運命的な責任を負っていた。それは私にとって、これまでで最も難しい決断だった。しかし、大統領は困難な問題を回避することはできず、責任を転嫁することもできない。私は政府内で最も有能な人々と話し合い、祈りを込めて長い間検討した結果、この決定を下した。私は、戦争を速やかに終わらせ、米国人と同じように日本人の無数の命を救うために、爆弾を使用すべきだと決心したのだ

また、原爆や旧日本軍の研究活動を調査したコンプトン調査団を率いたマサチューセッツ工科大学学長のカール・T・コンプトンも、以下のように主張していた。

私は原爆の使用によって米国人と日本人の何十万人、おそらくは数百万人の命が救われたと完全な確信を持って信じている。それが使用されなかったら、戦争は何か月も続いただろう。スティムソン長官や参謀総長のように、これから何が起こり、原爆が何をもたらすのかを知っていた良心のある人なら、別の決断を下すことはできなかったはずだ。

こうした "神話" は、現在まで継承されていると言われる。たとえばデュポール大学の宮本ゆき教授は、正戦論などの学術的議論からポピュラーカルチャー、教育、軍隊、そして宗教政策やジェンダー規範など、米国社会のあらゆる局面において原爆投下が正当化されている現状を明らかにしている。また、「原爆の被害が語られないまま、『50万人ものアメリカ人の命を救った』という神話が70年以上も継承されています。『核があるから守られる』という核抑止論も、大学でいまだに王道の理論として教えられています」と述べている。

変化する米世論

しかしながら、米国における核意識も必ずしも一枚岩ではない。

1945年の原爆投下直後、それを肯定した人は 85% にのぼり、否定した人はわずか 10% だった。その意識は、1990年には 53% と 41% にまで変化し、2005年には 57% と 38% となった。(いずれもギャラップ社2015年におこなわれた調査でも、ヒロシマ・ナガサキにおける核兵器の使用について「正当化される」と考える米国人の割合は 56% 、「正当化されない」は 34% となった

2015年の調査では、年代と党派性による違いも示されている。65歳以上の70%以上は「正当化される」と考えている一方、18-29歳は 45% と半数に満たない。そして共和党員は 74% が「正当化される」とする一方、民主党員は 52% のみとなっている。「正当化される」と考える男性(62%)の割合は、女性(50%)よりも多く、白人(65%)は、ヒスパニック系を含む非白人(40%)よりも高い。

もっともこの結果は、「正当化される」と日本で答えた人がわずか 14% で、「正当化されない」と答えた人が 79% だったことを考えると、日米の核意識の違いを依然として示している証左だとも言える。それでも、戦後70年以上が経過して、原爆投下を「正当化される」と考える人は大きく減少しており、世代差を考えれば、その数はますます縮まるかもしれない

ジョン・ハーシー『ヒロシマ』

原爆投下直後、多くの米国人がそれを肯定していたが、僅かながら原爆の悲惨さを訴えかけようとした人々も存在した。その代表的な人物が、「20世紀アメリカ・ジャーナリズムの業績トップ100」の1位に選定された、1946年の著書『ヒロシマ』を著したジョン・ハーシーだ。(*5)

ハーシーは同書で、6人の生き残った人々の物語を描いている。原爆投下の瞬間は、次のように描かれる。

ドタンと身体が落ちたと思うと、柱や板がまわりに降ってきて、バラバラと瓦の雨に叩かれた。真っ暗になった。埋まったのだ。だが、身体を埋めた壊れ物はそう厚くはなかった。起き上がって邪魔ものを払いのけた。「お母さん、助けて!」と子供の一人が泣きわめく。いちばん小さい五つの三重子が、胸まで埋まって動けないのだ。中村さんは狂ったようにかきわけかきのけ、末っ子のほうに近づこうとした。他の子供たちは姿も見えず、声も聞こえなかった。


上記に登場する中村初代氏(Unknown, Public domain

投下の瞬間、市街から離れた所にいた谷本牧師が、広島市中心部に戻る様子は、原爆の悲惨さを真正面から描く。

谷本氏は家族や教会のことが心配でたまらず、まず、いちばん近道の己斐街道を走り続けた。いまどき市中に踏み込むのは自分一人だけだ。何百、何千という人が逃げていくのに出くわしたが、一人残らず何かしら怪我をしているらしい。眉は焼け落ち、顔や手の皮膚はむけてぶらさがった人もいる。痛さのあまりに、両手で物を下げたようなかっこうで、両腕をさしあげたきりの人もいる。歩きながら嘔吐する人もある。たいてい裸か、着ていてもボロボロだ。 素肌の火傷が、模様のようにランニング〕シャツの肩やズボン吊りの形になった男もいる。(白い物は爆弾の熱をはじき、黒っぽい着物はそれを吸収して皮膚につたえたので)着物の花模様がそのまま肌に焼きついた女の人もいる。負傷の身もかまわず、重傷の近親を抱えた人もいる。ほとんどすべての人が、うなだれ、まっすぐに前方を見つめ、押しだまって、何の表情も見せないのだ。

こうした描写は、至る箇所で繰り返される。

砂州には二〇人ばかりの男女がいた。谷本氏は岸辺に漕ぎつけて、早く乗れとせきたてたが、 誰も動かない。なるほど弱り果てて立つこともできないのだ。谷本氏は舟から降りて、一人の婦人の手をとると、その手の皮が、大きな手袋の型に、ずるりとむけた。気持ちが悪くなって、しばらく尻もちをついていたが、今度は水のなかに入って行った。小男のくせに、谷本氏は素裸の男女を何人か舟のなかにかつぎ込んだ。どの人の背中も胸もねちゃねちゃする。その日一目見た大きな火傷のありさまをふと思い出して、いやな気持ちがした。 朝見たころは黄色 で、それがだんだん赤くふくれ、皮がむけ落ち、夕方時分には、ついに化膿して臭かった。


上記に登場する谷本清氏、のちに平和運動 No more Hirosima(ノーモアヒロシマ)を主導する。(Unknown, Public domain

ハーシーによる報告は、はじめ雑誌 The New Yorker 誌(1946年8月31日号)に53ページに渡って掲載、のちに書籍化されて最終的に300万部以上を売り上げた。同作は「非常に細心の注意を払って書かれた文章は、非常に明晰であり、穏やか、そして抑制されていたため、彼が語らなければならなかった物語の恐ろしさが一層恐ろしいほどに伝わってきた」と評価されている。

(*5)ただし明治学院大学の柴田優呼研究員は、ハーシーの著作によって、ヒロシマ・ナガサキやヒバクシャに関する言説・表象が、米国が期待するフレーミングの中に位置づけられたという役割を明らかにしている。

原爆と人種的イデオロギー

比較的早い時期から、米国内で原爆投下への疑問を持っていたグループに黒人がいたことは注目に値する。

たとえば、最も影響力のある黒人新聞だった Atlanta Daily World 紙の記事(1945年10月5日付)において記者のチャールズ・H・ローブは、原爆による後遺症を正確に報じただけでなく、日本に実験的な兵器を投下した決定に、人種的影響があることを懸念したという。もちろん米国の黒人社会の中には多様な見解が存在したが、それでも「原爆に対する懸念は、白人コミュニティよりも黒人コミュニティの方が著しく高かった」とも言われる

ナチドイツではなく日本に原爆が投下された事実に、人種的要因を見て取る声はいくつか存在した。たとえば『イングリッシュ・ペイシェント』として映画化されたマイケル・オンダーチェの小説『イギリス人の患者』でも、白人国家には原爆を投下しなかっただろう、という描写が登場する。しかしこうした声は、人種差別について敏感に感じ取っていた黒人から聞かれることが多かった。

公民権運動の指導者であり、ブラックパンサー党のヒューイ・P・ニュートンは、1967年に次のように述べている。

米国政府がベトナムで人種差別的な大量虐殺戦争を仕掛けているのと並行して、第二次世界大戦中に日系アメリカ人が抑留されていた強制収容所の改修と拡張が進められている。米国は歴史的に、非白人に対して最も野蛮な扱いを準備してきたため、こうした強制収容所は、必要なあらゆる手段を使って自由を獲得しようと決意している黒人のために準備されていると結論せざるを得ない。この国の建国当初からの黒人の奴隷化、アメリカ・インディアンに対する虐殺とその生存者の居留地への監禁、数千人の黒人男女に対する野蛮なリンチ、広島と長崎への原爆投下、そして今回のベトナムでの卑劣な虐殺、これらすべては、有色人種に対する米国の人種差別的な権力構造が、抑圧、大量虐殺、テロ、そして圧迫政策しかあり得ないという事実を証明している。

ここから伺えるのは、ネイティブ・アメリカンへの迫害や黒人差別、そしてベトナム戦争と並んでヒロシマ・ナガサキが、米国の歴史における白人による非白人に対する抑圧や暴力、差別構造の中で位置づけられていることだ。

この問題意識を受けたカリフォルニア大学マーセド校のショーン・L. マロイ教授は、政府文書などの史料からは、原爆投下の政策決定過程において、直接的な人種的要因が確認できないことを認めつつ、以下のように述べる

第二次世界大戦前後の太平洋におけるアメリカの、覇権的かつ経済的・軍事的・地政学的強国としての存在は、二〇世紀の変わり目のフィリピンからベトナム戦争にかけて、有色人種に対する大規模な暴力にしばしば現れる人種化された植民地主義と、密接に結びついている。言い換えるならば、アメリカが第二次世界大戦中にヨーロッパの一般市民に対して暴力行為を働いた時、それは相互性と歩み寄りというパターンに照らすと、通則というより例外であった。このようなパターンはアメリカがヨーロッパの国々や人々に圧倒的な力を振るった時にでさえ当てはまる。この歴史的文脈を踏まえると、原爆の使用を、人種化されたアメリカの帝国を日本やソ連の挑戦から防衛する大いなる取り組みの一部として見ないとは信じがたい。フィールズや他の研究者らが示すように、人種的イデオロギーは、白人至上主義について有色人種に対する暴力を自然なものとし、著名な研究者をしてアメリカを抑制された「リベラルな覇権国」と表現することを可能ならしめる一方で、いわゆる周辺地域での戦争と秘密工作で、何百万人の死者を無視するという「常識的」な基準を設定した。

ここで重要なことは、トルーマン大統領の意思決定に人種差別が含まれていたかではない。自らの境遇を念頭に置いていたであろう黒人コミュニティから、原爆投下に対する懐疑的な声が生まれていたこと、そして当時の政治的意思決定の中には、様々な局面に植民地主義や人種的イデオロギーが介在していたことだ。

米国人の被爆に対して

植民地主義や人種的イデオロギーの視点から検討した時、核開発による被害と異議申し立てが "周縁" にあることは偶然ではない。

明治大学の石山徳子教授は、マンハッタン計画の拠点の1つであるハンフォード・サイト、ウラン開発の一大拠点だったナバホ・ネーション、ネバダ核実験場、連邦政府から高レベル放射性廃棄物の最終処分場候補地と名指しされたユッカ・マウンテン、中間貯蔵施設誘致の現場となったスカルバレーを対象とした事例研究をおこなう。それによれば、こうした地域は「政治・経済・社会資本が行き来するグローバル都市でも、快適な郊外でもなく、足を伸ばすには不便な場所に集中しており、いわゆる『辺境』に追いやられてきた先住民族の生活圏と重なっている」という。

ナバホ・ネーションは、ネイティブ・アメリカンであるナバホ族の準自治領(インディアン保留地)であり、ナバホ族は連邦政府によるウラン採掘や、核実験場からの死の灰によって被爆していることが問題視されてきた。またハンフォード・サイトは伝統的にネイティブ・アメリカンが集まる空間であり、ユッカマウンテンも南部パイユート族や西ショショーニ族らの居住圏として知られてきた。

石山教授は、先住民族が「自然と共生し、環境運動を牽引すべき救世主であるというステレオタイプや、各開発に常に抵抗する立場だという先入観、さらには、『加害者』対『被害者』、『人種差別的な行政、または、企業』対『差別に苦しむ有色人種』といった、単純明快な二項対立の図式」を排するが、少なくとも核開発がもたらすコストを、周縁化されたネイティブ・アメリカンがしばしば被ってきたことは間違いないだろう。

そもそも米国では、1940年代から度重なる核実験がおこなわれ、核施設の周辺・風下地域などに居住する住民が慢性的に被爆してきた事実が隠蔽されてきた他、1960年代にかけてキノコ雲への突撃などの核実験演習に参加した兵士が被爆した(アトミック・ソルジャー)問題など、多数の被爆者が存在する。

米国の核意識が検討される時、しばしば白人男性などマジョリティの意識・言説を前提とすることは少なくない。周縁化された人々 ー たとえば黒人やネイティブ・アメリカンは、原爆投下の正当性を訴えるどころか、早い段階から懐疑的な声を上げていたり、むしろ彼ら自身が被害を受けてきたという事実も思い起こす必要がある。

原爆と検閲

ただし、原爆や核開発に関する懐疑的な声があったとしても、主要な報道や言論から溢れ落ちてきたことは事実だ。1950年代以降の「原子力の夢」時代、ミス原爆(Miss Atomic Bomb)コンテストが開催され、1982年の映画『アトミック・カフェ』で描かれたように、ポップカルチャーにおいて原爆や原子力への肯定的な姿勢は、当たり前のように浸透していた。

広島市立大学の井上泰浩教授は、いまも多くの米国人が

  1. 事前に警告をおこない、軍事基地を破壊した
  2. 原爆の衝撃によって日本はすぐに降伏した
  3. アメリカ人100万人、さらに多くの日本人の命を救った原爆は救世主だ
  4. アメリカは神に託されて慈悲深い行いをした
  5. 原爆による放射能の影響は(ほとんど)ない

という "神話" を信じており、その形成過程に The New York Times(NYT)紙が大きな役割を果たしたと指摘する。

たしかに1945年8月25日付の NYT 紙は、原爆投下から時間が経ってからも「放射能が多くの死者を出し、復興に携わる人々を病気や体調不良で苦しめている」という報告について、「原爆の恐ろしさを利用し、征服者から共感を得て、連合国間の意見対立を利用しようとする」プロパガンダだ分析する。この記事にはオッペンハイマーも登場し、こうした見解の補強に貢献している。

我々の全ての実験作業と研究、そしてニューメキシコにおける(7月16日の)実験結果に基づくと、広島の地表には評価できるような放射能はなく、わずかに存在したとしても非常に急速に崩壊したと信じるに足る十分な理由がある。

また翌年の記事(1946年2月26日付)でも、戦後日本において四国・中国地方の占領を担当していた24師団の将校たちにより、広島住民が「通常の爆撃によって死傷した、他の日本人に見られない異常な心理的影響を受けていないか」を議論しているとされるものの、「深い火傷や突然の禿頭など、原爆で負った傷」は「全て治っている」と触れられている。

原爆の被害を矮小化したり、現実とは異なる状況を描写したのは、NYT 紙だけではなかった。米・戦略爆撃調査団(*6)などの各種報告書、新聞・通信社・ラジオなど各メディアによる報道や専門家による発言は、いずれも慎重に扱われ、検閲を受けたものも少なくなかった

(*6)米国の戦略爆撃の効果を検証するために、1944年にフランクリン・ルーズベルト大統領の指令によって設置された陸海軍合同機関。USSBS。

多様化する報道

しかし戦後80年近くが経過する中で、報道のあり方は大きく変容した。もちろん原爆被害の実態が隠されることはなく、原爆投下の正当性についても賛否両論の議論が展開されている。

たとえば2016年、バラク・オバマ大統領(当時)の広島訪問にあわせて公開された The Washington Post(WP)紙の記事では「70年以上が経過した今、なぜ広島に謝罪しないのか、という疑問は当然だろう」という問いが立てられている。そのうえで「数百万の命を奪った第二次世界大戦を終わらせるための、最も早い方法だった」という指摘を「使い古された議論」だと述べて、ベトナム戦争における枯葉剤問題やイランにおける内政関与などに、米国が未だ謝罪していないことを指摘する。

The New York Times 紙は以下のように、原爆投下をホロコーストやチェルノブイリと並列する

二度と繰り返してはならない重大な過ちを犯した時、人類は繰り返し、記憶の継承という問題に立ち向かってきた。数々の戦争、ホロコースト、チェルノブイリ、フクシマ……。もちろんヒロシマ・ナガサキも例外ではない。

米国メディアではないものの、BBC は2020年に「核戦争は道徳的に正当化できるのだろうか?」という記事で、ヒロシマ・ナガサキは「道徳性ではなく、結果という観点からのみ正当化されてきた」と問題提起する。その上で、ヒロシマ・ナガサキの犠牲によって、より多くの米国人らの命が救われるという単純な功利計算によって、今でも原爆投下が「正当化される」と考える人がいると示される。しかし、より複雑な条件で考えると「問題はより複雑になる」として、以下のような曖昧な結論に達する。

これらの事象すべてが示唆するのは、核兵器の使用が本質的に正しいのか間違っているのか、つまり核兵器をタブーとすべきか、あるいは状況によっては許可されるべきなのか、それは個人の道徳的枠組みに依存するため、答えることは不可能であるということだ。

この記事から、思慮深さを受け取るか曖昧さに不満を抱くかはそれぞれだろう。しかし、戦後75年が経過した時点で、原爆投下は愚かな "神話" でも単純過ぎる功利計算でもなく、複雑な要素が絡みあった道徳的な問いかけとして提示されている。

スミソニアン博物館の原爆展

もちろん、プロパガンダの時代から幅広い議論が提起される現在まで、その歩みは必ずしもスムーズではなかった。その代表的な事例が、1995年にワシントンの国立スミソニアン航空宇宙博物館で開催された原爆展だ。

同展覧会では、広島の原爆投下を担った大型戦略爆撃機 B-29 のエノラ・ゲイを展示するだけでなく、原爆による被害や原爆投下の意味を見直すことが掲げられ、広島市などから被爆資料の提供も予定されていた。


原爆投下後のエノラ・ゲイ(US Air Force, Public domain

ところが、全米退役軍人協会などが開催に猛反発したことで、全米を巻き込んだ議論が展開される。同協会は「日本人は原爆投下前から、すでに敗戦国だった」としつつも、「当時の日本政府と軍部は、いかなる意味においても合理的ではなかった。彼らが本当に敗戦国だということを納得させるには、2つの核兵器と約20万人の死が必要だった」と述べるなど、原爆投下の正当性について強い立場を崩さなかった。

結果として、同展覧会は事実上の中止となっており、30年前の米国における核認識の一端が伺える。この時は、元駐フランス大使の本野盛幸氏が NYT 紙に寄稿しており、「広島への原爆投下は、日本の降伏を早めるのに効果的だったのだろうか?イエスである」という配慮を見せつつも、以下のような主張を展開した。

原爆を運んだ飛行機だけが展示されることになり、一部の党派的な人々の情熱によって、この戦争の暗い側面は描かれなくなってしまった。(略)ヒロシマ・ナガサキの光景が人々の目から遮られないことを望むのは、非難の矛先を向けたいからではなく、核戦争の悲惨さを一般の人々に知ってもらいたいからだ。犠牲者がどのように死んでいったかを見ないようにすることは、彼らの犠牲を無意味なものにし、生きている人々から必要不可欠な教訓を奪うことになる。

たしかに終戦直後から現在まで、原爆投下の正当性をめぐる世論は変化を見せてきた。しかし、その変化は一朝一夕に生じたものではなく、その過程には様々な拮抗があった。

新事実の発見

世論の変化は、様々な歴史的事実の発見によっても後押しされた。特に原爆投下から3-40年を経て、関連文書の機密解除が進んだことは、ヒロシマ・ナガサキをめぐる米国政府による政策決定の過程を明らかにした。

たとえば1985年の WP 紙には「大半の米国人は、広島と長崎が破壊された理由を高いリスクを持っていた日本への上陸作戦を回避するためだったと考えている。しかし最新の文書によれば、その他の考慮事項、特に対ソ連外交に対する新型兵器の影響が関係していたという理論が強まっている」との記述がある。

今でこそ日本への原爆投下が、ソ連の指導者ヨシフ・スターリンの意思決定に、何かしらの影響を与えたことが知られているが、こうした歴史研究の積み重ねは、少しずつ米国内の "神話" を解体し、その認識を変えていった可能性がある。たとえばトルーマン政権が対ソ連を念頭に、原爆保有国として優位な立場を政治的に確立するために「原爆外交」を展開し、原爆投下をその一環としてみなすガー・アルペロビッツらの主張(*7)は、現在は大きな影響力を持っている。(後述)

また1994年のNYT 紙には、次のような記述が出てくる。

たとえば1946年時点で、米・戦略爆撃調査団は、日本が1945年11月1日よりも前に降伏していた可能性が高く、1945年12月31日よりも前に降伏していたことは間違いないだろうと結論付けている ―― 原爆が投下されなかったとしても、ロシアが太平洋戦争に参戦しなかったとしても、連合国の侵攻が予定されていなかったとしても。(略)

日本本土への侵攻を避けるため、原爆は必要なかったというのが、学者間のコンセンサスだ。原爆に代わる選択肢は存在し、トルーマンとその助言者らが、そのことを知っていたのは明らかだ。

学術研究に限らず報道レベルでは、すでに1990年代半ばには "神話" が解体されつつあったのだ。

(*7)Atomic Diplomacy: Hiroshima and Potsdam(New York: Simon and Schuster, 1965)

"神話" は神話なのか?

ここまで、いくつかの議論から米国における核意識が一枚岩ではないことを確認してきた。

米国の核意識を考える出発点として、いわゆる「原爆投下が戦争終結を早めた」という "神話" があることは既に触れたが、ここで改めて考えるべきは、この "神話" は本当に神話なのだろうか?という疑問だ。

というのも、日米における核意識の違いを考える上で、米国における正当化の論拠となっている「原爆投下が戦争終結を早めて、日米両国の命を救った」という見解の妥当性は、重要だからだ。

分かれる見解

慶応義塾大学の赤木完爾教授と滝田遼介助教によれば(*8)、米国における原爆投下の評価は、日本の早期降伏という軍事目的からなされたと考える「正統主義」と、ソ連への牽制という政治的目的からなされたと考える「修正主義」に分かれる。前者は、日本で "神話" と称される立場であるが、米国ではハーバード・ファイス(*9)やロバード・ジェームズ・マドックス(*10)などの論者がおり、その影響力は大きい。そして、後者には前述した「原爆外交」のガー・アルペロビッツなどがいる。(*11)

この「正統主義」と「修正主義」の合わせ鏡となっているのが、降伏の主因を「原爆投下」と考えるか「ソ連参戦」と考えるかの立場だ。前者の立場には同志社大学の麻田貞雄名誉教授(*12)、後者にはカリフォルニア大サンタバーバラ校の長谷川毅名誉教授(*13)がいる。

「原爆投下」説を唱える麻田名誉教授は、以下のように述べる

わが国では、「原爆は日本の降伏を早めるために使用された」あるいは「日本の降伏を早めた」と発言すると、原爆投下の肯定もしくは正当化になると非難される。一種の「タブー」になっているといっても過言ではない。日本では、「原爆修正主義」に一種の "ねじれ現象" が見られる。 すなわち、日本では「原爆外交説」(引用車註:アルペロビッツが提唱したトルーマン大統領が、対ソ連外交のために原爆を利用したという立場)が圧倒的な「主流」であり、アメリカにおいては「修正主義」であったこの解釈が、日本では事実上「正統主義」の地位を占めてきたのである。

当然のことながら、本記事では降伏の主因について結論を出すことはできない。しかし赤木完爾教授らが述べるように、重要なことは「この論争を通じて、終戦史研究の内実は飛躍的に向上した」ことだ。有り体に言ってしまえば、「原爆投下」説を誤った "神話" としてのみ捉え、米国の核意識を "神話" を前提とした荒唐無稽な理解とみなす態度は、こうした優れた論争の価値を見落とすことに繋がってしまう。

もちろん、2015年に原爆投下が「正当化される」と考えた全ての米国人が、こうした論争を踏まえていたわけではないが、同国における核意識を終戦直後のプロパガンダの産物や、無知・無理解としてのみ理解することは不十分だろう。

(*8)本記事では概観のみの紹介となったが、赤木完爾・滝田遼介「終戦史研究の現在―《原爆投下》・《ソ連参戦》論争とその後」『法学研究』89:9(慶應義塾大学法学研究会, 2016年)を参照。
(*9)邦訳書としては、佐藤栄一・山本武彦・黒柳米司・広瀬順晧・伊藤一彦訳『原爆と第二次世界大戦の終結』(南窓社, 1974年)がある。
(*10)主著に Weapons for victory : the Hiroshima decision fifty years later, Columbia: University of Missouri Press, 1995.
(*11)中沢志保は、バートン・バーンスタインを「政府の公式解釈にもアルペロヴィッツの修正主義的解釈にも批判的な」第3のグループとして分類する。
(*12)たとえば「原爆投下の衝撃と降伏の決定」細谷千博ほか編 『太平洋戦争の終結』(1997年, 柏書房)。
(*13)邦訳書に『暗闘 ― スターリン、トルーマンと日本降伏』(みすず書房、2023年)がある。

日米両国の核意識を乗り越える

ここまで、いくつかの議論から米国における核意識が一枚岩ではないことを確認してきた。加えて、その核意識の根本にある "神話" もまた、必ずしも神話として片付けられないことも確認した。日米両国の核意識は、必ずしも単純化された二項対立でないことは明らかだ。では、こうした複雑な両国の核意識をどのように乗り越えれば良いのだろうか?

犠牲者か加害者か

米国において、原爆投下直後にそれが「正当化される」と考えていた人は8割以上にのぼっていたが、現在は半数近くまで下落している。しかしながら、この割合がゼロになる可能性は、限りなく低いだろう。その理由の大半は、日本が原爆の "被害者" であると同時に、太平洋戦争における "加害者" であるという両義性から生じている。

日本が "加害者" であることは、原爆投下に関する議論をより難しくしている。たとえば2000年の LA Times 紙に掲載された記事は、以下のように述べてヒロシマやドレスデン爆撃を正当化する。

なぜ一部の米国人は、13万5,000人のドイツ人を殺したドレスデンの不当な爆撃についてではなく、12万人の日本人(一部の推定ではもっと多い)を即死させた広島と長崎への正当な爆撃に対して、罪悪感を感じているのだろうか?(略)

すべての戦争は地獄だが、我々の大義は正義だった。我々は、米国とその同盟国がヒロヒトとヒトラーの残忍な帝国から、何億人もの人々を解放したことを誇りに思うべきだ。

ドレスデン爆撃は、第二次世界大戦終盤に米英によってドイツ東部・ドレスデンにおこなわれた無差別爆撃だ。戦略的意味が少ない攻撃であったと言われ、その非人道性が批判されることも多い。この記事では、非人道的な攻撃が日本とドイツを対象としていることから「誇りに思うべき」と位置づけられている。

ドレスデンとヒロシマを描くことの難しさは、ロンドン大学東洋アフリカ学院のグリセルディス・キルシュ講師によっても指摘される。キルシュ講師は、ドレスデンとヒロシマそれぞれを描いたドラマ作品を比較して、「いずれのドラマでも、戦争を始めた国が加害者ではなく被害者の立場をとっていることは重要だ」と述べつつ、

いずれの作品も、ドレスデンと広島は罪のない都市であったという神話をかなりの程度代弁しているが、戦争責任の問題は省かれており、それによって既存の神話を永続させ、さらには新たな神話を作り出す手助けをしている。

という。核意識の違いは、もちろん歴史教育や文化的表象、メディアによる報道など、様々な要素によって構成されているが、最も大きな前提として、日本が太平洋戦争における "加害者" として戦争責任を問われる立場にあるという事実を忘れることは出来ない。

犠牲者意識ナショナリズム

ヒロシマやドレスデンを強調することで、自らを被害者として強調することは、漢陽大学のイム・ジヒョン(林志弦)教授によって犠牲者意識ナショナリズムとして定式化された。イム教授は、日本とドイツが早くから犠牲者意識ナショナリズムを正当化してきたこと以下のように語る。

戦争を脱歴史化し、犠牲の歴史的な文脈を消してしまった瞬間、歴史の加害者は被害者へと位置を替え、犠牲者意識ナショナリズムを正当化する。戦後ドイツと日本の犠牲者意識ナショナリズムは、英米空軍の空襲と原爆、東プロイセンからの避難民とアジア各地からの引き揚げ、ソ連への捕虜抑留という3つの記憶を軸に浮沈を繰り返しながら集団的アイデンティティを構築してきた。

その上で、被害の記憶を形成する上でヒロシマが寄与した役割を以下のように述べる。

「唯一の被爆国」という特色は、加害の歴史を被害の記憶に転じさせやすいものだった。唯一の被爆国という事実は、アジア諸国に対する日本の戦争犯罪と加害行為に目を向けさせない「目隠し記憶」ともなった。(略)

日本の反戦運動に、誰が戦争を起こしたのかという主体と責任の問題が抜け落ちていることにも似ている。戦争を起こした主体がないから責任もなく、問題はいつも「絶対悪」である戦争に還元される。脱歴史的な絶対平和主義では戦争や原爆だけが問題にされ、日本の戦争責任や米国の原爆投下の責任は問わないことが前提となっている。

前述した「ソ連参戦」説を唱える長谷川毅名誉教授も、異なる確度から被害者と加害者の構造を問い直す。長谷川名誉教授は「市民が住む都市への原爆投下は戦争犯罪」として、「米国で『原爆は必要悪』という神話を信じる人たちは、政策決定と、きのこ雲の下の残酷な現実が結び付いていない」と批判しつつも、トルーマン大統領が一般市民の無差別殺害という結末に至る原爆投下を決断した背景には「第二次世界大戦において一般市民に対する戦略爆撃が受け入れられたという背景」があったと述べる

そのうえで、原爆投下に至った米国と被害者となった広島市民という関係性ではなく、日本が原爆投下の "被害者" であると同時に、その "加害者" でもあるという視点を提示する。

同盟国ドイツの降伏や沖縄戦終結、ポツダム宣言という節目を逃さなければ、原爆被害も北方領土問題もなかったのです。日本の戦争責任として、原爆を問うべきです。

人類共通の過ち

被害者と加害者の重層性に注目することは、大きな意義を持つ。しかしながら、その論理はあまりにも複雑であり、多くの市民の合意を得づらいという難点がある。そこで日米両国の核意識を乗り越えるために、しばしば(イム教授が批判するような)大きな概念が使われる。それが「人類共通の過ち」としてのヒロシマだ。

広島市の原爆死没者慰霊碑には、「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」という碑文が記され、「一個人や一国の行為を指すものではなく、人類全体が犯した戦争や核兵器使用を指して」いると説明される。原爆投下の正当性ではなく、「人類共通の過ち」に還元することで、論争が避けられることが示唆される。

政治レベルでも、ヒロシマ・ナガサキの正当性ではなく、人類共通の過ちとして問題化することで、核意識の違いを乗り越えようとする動きは進んできた。その代表的な出来事は、2015年に現職の米大統領としては初めて、オバマ大統領(当時)が広島を訪問したことだろう。

オバマ氏は、広島を訪れる理由を「それほど遠くない過去に解き放たれた、恐ろしい力についてじっくりと考えるため」だと語る。その上で

空に立ち上るキノコ雲の映像の中に、私たちは、人間が抱える根本的な矛盾を非常にはっきりと思い起こすことができます。すなわち、人間の種として特徴付ける、まさにその火花、つまり私たちの思想、想像力、言語、道具を作る能力、人間を自然から引き離し、自分の思いどおりに自然を変える能力が、比類ない破壊をもたらす力を私たちに与えたのです。

と警鐘を鳴らし、最後に広島と長崎が「核戦争の夜明けではなく、私たち自身が倫理的に目覚めることの始まりとして」知られる必要があるという未来へのメッセージを掲げた。オバマ氏は正当性の論争を避けるため、事前に予告した通り、被爆者や原爆投下に対する謝罪をしなかった。(*14)

一方、米国内では現職大統領の広島訪問が、多くの議論を巻き起こした。NYT 紙は、オバマ氏が広島を訪問することで、「日本と米国の相反する記憶の地雷原をくぐり抜けざるを得なくなる」と評した。ほとんど全ての米国人は、奴隷制とジム・クロウ法が重大な道徳的誤りであることを認識しているが、ヒロシマ・ナガサキを同様のものと捉えていないため、オバマ大統領が謝罪をすることは政治的に困難だったと考えられている。そうした難しい状況であるにもかかわらず、オバマ大統領は広島訪問を選択した。

ブルネル大学のマシュー・セリグマン氏は、次のように述べて、ヒロシマ・ナガサキを人類全体の過ちとして描き出す。

広島と長崎への原爆投下が特別なのは、死者の数や破壊の程度のためではなく、その象徴性のためです。彼らは、他の恐怖にはできない方法で、私たちが避けたい未来を代弁するようになりました。

ヒロシマ・ナガサキを「人類共通の過ち」として定式化することは、犠牲者ナショナリズムを強化する懸念がある。しかし、国家間の核意識や記憶の違いを乗り越えるための有用な概念であることは間違いないだろう。

(*14)ただし、そもそも被爆者の78.3%は、米国に謝罪を「求めない」と回答している。

バーベンハイマー批判の先に

本記事では、様々な確度から日米における核意識の違いについて見てきた。

日本人は「唯一の被爆国」として、バーベンハイマーというネットミームを批判することが出来る。しかし、もしその時に「日本人は原爆の悲劇を十分に学んでおり、米国人はその悲劇に無知・無理解である」といった単純な二項対立を、僅かながらにも念頭に置くならば、そこで立ち止まる必要がある。また「唯一の被爆国」というテーゼが持つ危うさについても、自覚的であることが求められる。

日本人が原爆の悲劇について理解しているならば、なぜ「被爆の記憶」は「原子力の夢」へと転換してしまったのか?本当に米国人の核意識は、一枚岩なのか?私たちが前提としている "神話" は、本当に神話なのか?そして、核のタブーが生まれ、一時は「核の忘却」が語られたにもかかわらず、なぜ核兵器は復権しつつあるのか?

バーベンハイマー批判の先に、残された議題は少なくないだろう。

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✍🏻 著者
編集長 / 早稲田大学招聘講師
1989年東京都生まれ。2015年、起業した会社を東証一部上場企業に売却後、2020年に本誌立ち上げ。早稲田大学政治学研究科 修士課程修了(政治学)。日テレ系『DayDay.』火曜日コメンテーターの他、『スッキリ』(月曜日)、Abema TV『ABEMAヒルズ』、現代ビジネス、TBS系『サンデー・ジャポン』などでもニュース解説。関心領域は、メディアや政治思想、近代東アジアなど。
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