男性の「生きづらさ」とは何か?

公開日 2021年11月24日 11:01,

更新日 2021年11月24日 23:08,

無料記事 / 社会問題・人権・環境

11月19日は、男性の健康やジェンダー問題について考える国際男性デーだ。

近年「女性」や「ジェンダー」に関する問題が、メディアなどで取り上げられる機会が増えたが、同時に「男性」や「男らしさ」に関する社会的課題に着目されることも増えてきた。

たとえば2020年の日本における自殺者は2万1,081人だが、そのうち1万4,055人は男性であり女性の約2倍となっている。また男性は、仕事において女性よりもストレスを感じる傾向が強く、ストレスを相談できる人も少ないという厚生労働省による調査もある。

一方、「最近は男性のほうが女性よりも生きづらくなってきている」と感じる人が、全ての世代で5割を超えるという電通総研の調査が話題となるなど、ジェンダーに関する問題を「男女の二項対立」的な枠組みで理解しようとする動きも見られる。

「男女の生きづらさはコインの裏表」と指摘されるように、両者は対立的に考えられるべきではなく、むしろ同根の問題である。しかし、それでも「女性」や「ジェンダー」の問題が取り上げられる度に、「男性」が抱える問題の辛さや深刻さがカウンターとして叫ばれる場面は少なくない。

では、男性は本当に「生きづらい」のだろうか?もしそうならば、女性の「生きづらさ」とはどのように関係しているのだろうか?

男性の「生きづらさ」

冒頭で述べたように、男性の高い自殺率はその「生きづらさ」を象徴するデータと見られている。これは日本に限らず世界的な傾向であり、男性10万人あたり15人以上が自殺する国は、世界全体の40%近くを占めるが、同数の女性が自殺する国はわずか1.5%にとどまる。

自殺の危険因子は様々であり一概に説明することは難しいが、周囲に助けを求めることが苦手で、社会からの孤立を感じやすい男性の一般的な傾向と関係していると指摘されることも多い。幼い頃から「強くあれ」と言われ、感情表現が推奨されず、メンタルヘルスの危機が生じてもセルフメディケーション(自身による手当て)を良しとする姿勢が、男性を死に追いやっているという見解だ。

こうした「生きづらさ」は、男性の日常の様々な局面に見られる。仕事と家庭、そして地域やコミュニティという3つの領域を見ていこう。

仕事における「生きづらさ」

男性の「生きづらさ」を象徴する存在として、多くの研究が挙げてきたのはサラリーマンだ。「職場や家庭におけるサラリーマンの威信は、会社人間化や労働への疎外という代償と引き替えに得られて」おり、「上昇可能性や既得権益 と引き替えに自由を奪われ、企業の経営目標への自己同一化を余儀なく」されたと言われる。

サラリーマンとしての男性が「生きづらさ」を抱えていることは、想像に難くないだろう。長時間労働やブラック企業、長引くデフレ不況、リストラなどのキーワードは平成以降の日本社会を象徴しており、いずれも絶望的な未来を示唆するようなものばかりだ。

実際、男性が自殺する主要な原因としては「経済・生活問題」がある。

パンデミック以前の2019年、自殺者総数は2万0,381人(うち男性は1万3,900人)だったが、原因別で見ると「健康問題」が最も多かった。その次に来るのが「経済・生活問題」で、「家庭問題」と「勤務問題」が続くが、このうち「経済・生活問題」と「勤務問題」を原因とする自殺は、男性の比率が著しく高くなっており、男女の差が顕著に出ている

「大黒柱」意識と性別役割分業

なぜ「会社人間化」や「企業への自己同一化」という「生きづらさ」を抱えてまで、男性はサラリーマンになるのだろうか?言うまでもそれは経済的な理由、つまり生活をしていくためだが、より男性へのプレッシャーとなっているのは家族への経済的責任、いわゆる「大黒柱」意識があると言われる。

終身雇用や年功序列の賃金制度という後ろ盾のもとで、「普通の男性」は一家の大黒柱として家計を支えることが期待されてきた。「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきである」という意識は男性の約半数である一方で、「男は妻子を養うべきだ」という意識は70%から80%を占めると言われる。

この「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきである」という意識を性別役割分業と呼ぶ。性別役割分業とは、男性が企業などで労働をおこない、女性が家事・子育てを担うというジェンダー規範にもとづいた意識だ。この性別役割分業によって、男性は家事労働を妻に任せることができ、仕事に専念することで男女の"平等な"出世競争に勝ち抜いて、社会経済的な立場を高めてきた。1999年に男女共同参画社会基本法が施行されて以降、法的な男女平等は達成されつつある。にもかかわらず、男性優位社会が維持されたことの背景には、こうした性別役割分業の意識が大きく影響していると言われる。

データを見る限り、典型的な性別役割分業の意識は少しずつ減りつつあるが、同時に未だに「男は稼ぐべき」という意識からは抜けきっていないことが示唆される。1997年以降、「共働き夫婦」は「男性雇用者+専業主婦」の世帯を上回っており、実際には「女性が働かず、家事をする世帯」は少数派となっている。現実社会の変化からも、人々の意識の変化からも、性別役割分業は解体されはじめているが、男性の「大黒柱」意識は強いままなのだ。(*1)

(*1)ここで言う「大黒柱」意識については、「男性稼ぎ手モデル」として議論の蓄積がある。たとえば舩橋恵子服部良子多賀太の議論を参照。

職場で求められる「男らしさ」

仕事における「生きづらさ」は、「大黒柱」意識に限らない。いまも「成功するビジネスパーソン」像は至るところで語られるが、それらは理想的な男性像とオーバーラップすることが多い。具体的に言えば、冷静沈着でありながらも大胆な決断ができ、軽薄にならずに快活なプレゼンテーションがおこなえ、心身共に健康であり、顧客や仲間を思いやりながらも、時には非情な決断すらも厭わない男性 ― のような存在だ。

こうした像を求められることで、男性の「生きづらさ」は増していく。たとえば働く男性は、上司から男らしさを求められることで、仕事への意欲が削がれるのみならず、上司との関係を悪化させ、職場での居心地が悪くなることを示した研究がある。それによれば、仕事や上司、職場に対するネガティブな感情を通じて精神的不健康が高まるだけでなく、上司から男らしさを求められることによって、直接的に精神的不健康が高まることが明らかになっている。

また仕事においては出世競争に加わることが求められるが、これもサラリーマンを苦しめている。大正大学の田中俊之准教授は、「『競争』こそが、男たちが生きる上での基本的な原理」だとした上で、多くの男性が「男たるもの経済的に『成功』を収め、『上昇』していくことが『幸せ』であるというイメージから、抜け出せないでいる」と指摘する。

関西大学の多賀太教授は、サラリーマンの競争意識を「仕事における卓越」と呼んだ上で「サラリーマン的働き方」の重要な特徴として挙げている。「あえて負担の重い仕事に挑んだり長時間労働を引き受けたりするという男性たちの労働への姿勢は、単に家族の扶養や多くの収入を得るという金銭的動機づけだけによって支えられているわけではないことがうかがえる」のだ。

家庭における「生きづらさ」

仕事と並んで、男性の「生きづらさ」を加速させているのは家庭に関するプレッシャーだ。

イクメンで大黒柱?

一昔前は、仕事に専念して家庭を顧みない男性像が当たり前だったが、2000年代に入ってからはイクメンという言葉が生まれ、最近では「男性版育休」と呼ばれる法改正がおこなわれるなど、男性も家事・子育てなどの役割を担うことが期待されている。というよりも「むしろ『育児をしない父親』であることはもはや許されない風潮にさえなっている」との指摘もある。

これは、性別役割分業において家事労働を一手に担わされてきた女性の負担を軽減する意味では前向きな変化だが、一方で仕事に関する男性の「生きづらさ」が解消されていない中では、さらなる負担を呼び起こす懸念もある。

田中准教授は、「子育てのために短時間で仕事をして生産性をあげる」イクメン像は「企業に都合のいいイクメン」とした上で「仕事の時間が制約されるなら成果物が少なくなるのは当たり前。〝出来る父親像〟は、普通の父親にとってプレッシャーになってしまう」と述べる

結婚してはじめて一人前?

そもそもこうした家庭的な男性像は、異性愛にもとづく結婚を前提としている。「男は稼いで家族を養ってこそ一人前」という社会的イメージは「大黒柱」幻想にも繋がっているが、「結婚もできないような男は半人前」だという社会的圧力でもある。

しかし50歳時の未婚割合を見ると、1970年は男性1.7%・女性3.3%だったものが、2015年には男性23.4%・女性14.1%にまで上昇している。つまり男性であれば4人に1人が結婚をしておらず、2040年には3人に1人が未婚になると予測されている状況だ。

この数字を見ると、もはや「一人前」言説が社会の実態を捉えていない幻想であることは明らかだ。一方で、「いずれ結婚するつもり」と答えた未婚者(18~34歳)の割合は、2015年の調査で男性85.7%・女性89.3%となっており、結婚意欲自体が大きく減退しているわけではないと見られる。(*2)つまり結婚意欲と実態としての婚姻者の間には乖離があり、こうした意識の差も男女の「生きづらさ」を形成していると予想できる。

多くの人が「一人前の大人として認められる」ことを結婚の価値として捉えているわけではないものの、結婚活動(いわゆる婚活)経験率との関連性が高いことを示す研究もあり、依然として「一人前」幻想は男女共に強いと見られる。

繰り返しとなるが、同性婚が日本で認められていない以上、結婚意欲のある同性愛者にとっては、いつまでも「一人前」になれない事実も押さえておくべきだろう。

(*2)とはいえ、設問として「強い結婚意欲」を聞いているわけではないので、少し不十分な判断材料と言えるだろう。

社会における「生きづらさ」

職場や家庭以外にも、人の居場所は存在する。たとえば地域社会や友人関係などのコミュニティだ。しかし、男性はそもそも人間関係が希薄と言われる。

2017年におこなわれた国際比較調査IPSSによる「社会的ネットワークと社会的資源」の日本版調査によれば、友人の数を「いない」と応えた人は、男性が33%にのぼっており、女性の21%を大きく上回る。

「平日に接している人数」は男女ともに大きく変わらなかったため、男性の場合は職場などで人と接しているものの、友人関係は希薄であることが想像できる。特に50代以上の中高年男性においては、悩みごとを相談できる友人の数によって生活満足度が変わることも示唆されている。

職場以外で希薄な人間関係

男性の人間関係が職場に偏っていることは、以前から指摘されてきた。たとえば田中准教授は、仕事への専念によって男性は家庭や地域への関わりを絶たれ、「平日の昼間に労働年齢にある男性がいつも家にいること、あるいは正社員としてではなく非正規雇用者として就労していることは、それだけで『社会問題』になってしまう可能性がある」と指摘する。

2010年の内閣府による調査によれば、50代までの男性は「仕事など」の悩みが大きいが、60代になるとその割合が減って「健康」や「家族」、「介護」を挙げる人が多くなる。これは性別役割分業によって家庭を顧みない男性の問題とも言えるが、それまで殆ど関心を持ってこなかった家庭などの悩みに急遽直面する様子を示唆している。人間関係が職場と家庭に限定された男性にとって、こうした悩みを相談する相手が限られ、適切な対処ができない様子は想像に難くない。

仕事場や家庭で多くの「ひずみ」 が生じたものの、それ以外の社会的ネットワークも存在せず、新たな価値観に対応できない男性たちが陥る状況については、大阪大学の伊藤公雄名誉教授は「剝奪感の男性化(masculinization of deprivation)」と呼ぶ。

実際は、労働の場、家庭などで多くの「ひずみ」が生じている。社会的な認知のないままでの「危機」の深化は、男性たちにとって「何だかわからない不満」や「意識化されない不安定」状況を作り出してきたといえる。従来の「既得権」として無自覚に思い込んでいたものが、失われつつあるとでもいう「感覚」だ。ここには,一種の「何か奪われつつある」というような自覚されない不安感さえ存在している。

オタクや非モテ

そして本記事では詳しく扱わないが、オタクや非モテのような言説も男性の「生きづらさ」と関連づけられて語られる。立命館大学の西井開氏は「非モテ」を

からかいや緩い排除を通じて未達の感覚や疎外感を抱き、孤立化した男性が、メディアや世間の風潮などの影響を受けながら女性に執着するようになり、その行為の罪悪感と拒否された挫折からさらなる自己否定を深めていく一連のプロセス

定義する。

性別を理由として女性が標的となった男性による殺人事件「フェミサイド」や、女性との恋愛関係や性的関係を結ぶことができずに、女性への憎悪を募らせたインセル(不本意の禁欲主義者)などの問題も、男性の「生きづらさ」と併せて分析されることが多い。

「生きづらさ」を生み出す「男性性」とは何か

ここまで、男性の「生きづらさ」について見てきた。男性の「生きづらさ」をもたらす要因としては、「男性性」あるいは「男らしさ」に注目されることが多い

以下では、まず「男らしさ」や「男性性」について見た上で、女性の「生きづらさ」との関係を見ていこう。

「男らしさ」とは何か?

「男性性」とは、男性の理想とされるあり方のことを指しており、いわゆる「男らしさ」に近しい概念だ。(*3)たとえば「男が弱音を吐くべきではない」や「男らしい人」「男子らしい体型」という語は、男性の理想的とされるあり方を指している。

では具体的に「男らしさ」とは何を指すのだろうか?たとえばグレイソン・ペリーは著書『男らしさの終焉』の中で、1976年の研究を引きながら、伝統的な男性性に関する構成要素を4つ挙げている。

  • 意気地なしはダメ
  • 大物感(上に見られたい欲求、成功、ステータス)
  • 動じない強さ(たくましさ、自信、自立心)
  • ぶちのめせ(暴力性、攻撃性、大胆さ)

また著書の最後では「男らしさ」と決別するために、以下の権利が認められると語られている。

  • 傷ついていい権利
  • 弱くなる権利
  • 間違える権利
  • 直感で動く権利
  • わからないと言える権利
  • 気まぐれでいい権利
  • 柔軟でいる権利
  • これらを恥ずかしがらない権利

つまりペリーによれば、これらの反対側にある行為・態度(たとえば「男は傷つかない」や「男はわからないと言わない」)が「男らしさ」を体現している。

(*3)厳密には「男らしさ」と「男性性」は同一ではない。男性学において理論的パラダイムの転換とともに「男性役割」(male sex role)から「男性性」(masculinity)という語が用いられることになった経緯について、日本語文献としては多賀太「男性学・男性性研究の視点と方法 : ジェンダーポリティクスと理論的射程の拡張」(国際ジェンダー学会誌、2019年)を参照。本記事では、わかりやすさのために「男らしさ」を基本として用いつつ、研究の文脈で適宜「男性性」を用いている。

変化する「男らしさ」

ところが、ペリーの定義する「男らしさ」に全て同意する人は少ないのではないだろうか?

実際、「男らしさ」は変化したり、複数存在する(*4)と考えられている。たとえば下記のような指摘がある。

日本では寡黙な男性が「男らしい」と評価された時代もあった。現在では、プレゼンテーションや営業といった場面を典型として、コミュニケーション能力の高さが「男らしさ」として称揚されるになって

また昭和女子大学の渡邊寛助教は、伝統的な男性役割から新しい男性役割の変化を以下のように整理した。

  伝統的な男性役割 新しい男性役割
家庭の領域 社会的地位の高さ 家庭への参加
心身の強さの領域 精神的・肉体的な強さ
女性的言動の回避
強さからの解放
望ましい人間
のあり方の領域
作動性の高さ 共同性の高さ
女性への振る舞い方
の領域
女性への優位性 女性への気遣い


こうした「男らしさ」の変化は、多くの人もイメージしやすいだろう。「寡黙で仕事一筋な父親像」から「イクメン」、「草食系男子」から「ジェンダーレス男子」(*5)まで、理想的な男性像あるいは男性を表象する言葉は、次々と変化してきた。

本誌「なぜソフトボーイカルチャーが台頭したのか」でも紹介した、「ジェンダー規範を意図的に覆」し、服やアクセサリー、ヘアスタイルなどを通して、自分のソフトで優しい側面を外見的にも表現している男性スターであるソフトボーイも、欧米圏での「男らしさ」が揺らいでいる証左かもしれない。(*6)

(*4)R.W.コンネルは「男性性の複数性」(不可算名詞「masculinity」ではなく複数形の「masculinities」)と呼び、男性学における重要な洞察となっている。
(*5)いずれの表象(言葉)にも「オネエ系」のような揶揄や「<普通>から外れた人」のようなニュアンスがあるため、慎重に用いるべきだろう。
(*6)ただしこれは意図的な倒錯であるため、「男らしさ」そのものが変化したとは言い難いだろう。

「男らしさ」の階層性

「男らしさ」は複数あるだけでなく、階層性(序列)を持つことでも知られる。これを表す概念が、本誌「トキシック・マスキュリニティ(有害な男性性)とは何か?」でも紹介した、シドニー大学のR.W.コンネル教授による「ヘゲモニックな男性性」だ。(*7)

「ヘゲモニックな男性性」とは男性としての最も名誉あるあり方であり、他の男性性よりも文化的に優位にある男性性のことを指す。コンネル教授は、この概念を用いて男性と女性というジェンダーにおける男性の優位性を示すだけでなく、男性の中にある階層性によって、その男性優位社会がますます強化されているプロセスを示した。

たとえば西洋社会においては、白人・異性愛者・中流階級の男性が階層の上位(支配的)になりやすく、黒人などの有色人種や同性愛者、労働者階級などの男性は階層の下位(従属的)になりやすい。従属的な男性も「ヘゲモニックな男性性」を称賛するばかりか、女性もまた「ヘゲモニックな男性性」を理想的なものとして語ることで、その「男らしさ」はますます優位な地位に押し上げられる。

つまり「男らしさ」は時代や地域によって変化するだけでなく、同じ空間でも複数のあり方が競合しながら存在しているのだ。

(*7)R.W. コンネルの男性性理論については川口遼「R.W. コンネルの男性性理論の批判的検討 ―ジェンダー構造の多元性に配慮した男性性のヘゲモニー闘争の分析へ―」一橋社会科学、第6巻、2014年なども参照

「男らしさ」が「生きづらさ」を生み出す

ここまで変化しつつ、複数ある「男らしさ」について見てきたが、改めてこの「男らしさ」像が男性の「生きづらさ」を招いていることを確認しよう。

たとえば「大黒柱」幻想でいえば、男性は年収や社会的地位などに代表される「ヘゲモニックな男性性」を目指していく。出世競争という名の競争に疲弊していくばかりか、今度は「イクメン」が新たな理想像として提示されることで、新たな戦いを強いられるー。

結婚をする人が減っていることは分かっていても「一人前」になれない意識は拭きれず、新たな理想像になった「家庭的な男性像」の入り口にすら立てない自分に失望する。なんでもかんでも「セクハラ」や「パワハラ」と言われ、職場以外の人間関係も希薄で「何か奪われつつある」感覚になるー。

ここまで延々と男性の「生きづらさ」を見てきた。ではこれほど「生きづらい」のであれば、冒頭の調査で示されたように「最近は男性のほうが女性よりも生きづらくなってきている」のだろうか?

男性と女性の「生きづらさ」

男性の「生きづらさ」については、米国において1970年代からメンズリブ運動が盛り上がり、日本でも同時期にマンリブ運動が起こるなど、50年近い運動と研究の歴史がある。

日本では、1996年に伊藤名誉教授による著書『男性学入門』が出版されるなど、1990年代にかけて社会的関心が高まっていき、2000年代の「運動の停滞」とも言える時期を経て、2010年代に再び「イクメン」やフェミニズム的価値観の浸透などを経て、男性のあり方への注目が増していく。(*8)

こうした運動や研究は、当初から男性の「生きづらさ」について考えてきたと言うよりも、女性学あるいはフェミニズムのインパクトを受けて、男性のあり方を問い直すものとして生まれてきた。東京大学の上野千鶴子名誉教授が

男性学とは、その女性学の視点を通過したあとに、女性の目に映る男性の自画像をつうじての、男性自身の自己省察の記録

述べるように、あくまでもフェミニズムによる問題提起への応答として、男性や「男性性」についての検討がはじまったのだ。(*9)

(*8)男性学についての日本の潮流については、多賀太「男性学 ・男性研究の諸潮流」(『日本ジェンダー研究』、2002年、日本ジェンダー学会)や多賀「日本における男性学の成立と展開」(『現代思想2019年2月号』2019年、青土社)などを参照。
(*9)そのため学問的には「女性学(Women's Studies)」の対比として捉えられかねない、「男性学(Menʼs Studies)」ではなく「男性学・男性性研究(Men & Masculinities Studies)」や「The Study of Men」が用いられることが多い。

男性について考える3つの方向性

現在、男性や「男性性」については南カリフォルニア大学のマイケル・メスナー教授が指摘する、以下3つの方向性から考えられることが多い。

  1. 男性の制度化された特権
  2. 狭い概念としての男性性がもたらすコスト
  3. 男性間の差異と不平等

1つ目の「男性の制度化された特権」とは、フェミニズムによって批判された男性優位社会に対する反省であり、2つ目の「狭い概念としての男性性がもたらすコスト」とは、ここまで見てきたような「男らしさ」による「生きづらさ」の問題だ。そして3つ目の「男性間の差異と不平等」とは、「ヘゲモニックな男性性」でも見たような、男性内部にある階層性や違いへの着目だ。

この3つの方向性は、「最近は男性のほうが女性よりも生きづらくなってきている」のか?という問題への答えを示唆している。つまり、

男性の「生きづらさ」は確かに存在する。しかしそれは、男性優位社会がもたらす女性の「生きづらさ」や、男性内部の違いや階層性と併せて考える必要がある。

という答えだ。

男性の「生きづらさ」を考えるということは、フェミニズムに対抗して男性の「生きづらさ」を強調することでも、逆にその加害性のみを指摘することでもない。むしろそれは、一見矛盾するように見える男性の「特権」と「コスト」に目を向けつつ、単純化された男性像も問い直していくものなのだ。

では、この3つの方向性を見ていくことで、男性の「生きづらさ」の位置づけについて、より深く考えていこう。

1. 男性の制度化された特権

フェミニズムが提起した重要な問題の1つに、家父長制の問題がある。家父長制とは狭い意味では、男性である家父長が絶大な権力を持って家族を統率する形態だが、より広い意味では年長男性が指導的立場に置かれた社会構造を指す。

家父長制的な社会は、特定の属性にある男性にとって有利な構造を温存していると言われる。この場合の「特定の属性」とは、たとえば西洋社会においては白人・ヘテロセクシャル(異性愛者)・シスジェンダー(性自認と生物学的な性が一致)な男性のことを指す。

こうした男性はすでに指導的立場に就いている可能性が高いため、人々の「理想的なリーダー像」に合致して、再び似たような男性が指導的立場に選出される。また彼らは、家事労働を妻である女性に任せることができるため、男女の"平等な"出世競争に勝ち抜き、社会経済的な立場をますます高めることが出来る。つまりこうした男性は、法的な男女平等が達成された社会においても、様々な構造的要因によって「特権」あるいは「恩恵」を享受しているのだ。

こうした批判がフェミニズムによって投げかけられたことは、大きなインパクトを持っていた。この方向性においては、「男らしさ」が社会や女性にとって有害なものとして捉えられ、男性自身が加害性を持つ「男らしさ」をどのように脱ぎ捨てるか?が問題となっていく。

2. 狭い概念としての男性性がもたらすコスト

しかしここまで見てきたように、男性の「特権」や「男らしさ」は有害性を持ちつつも、男性自身を傷つけている。この視点が、メスナー教授が「男性性がもたらすコスト」と呼ぶ方向性だ。

この論点が生まれたことで、「男性のジェンダー平等へ向けた変化が、単に女性の地位向上という「他者」の利益のための特権放棄のみを意味するものではなく自分自身にも直接的な有益性をもたらすことを男性たちに気づかせ、彼らに変化のための新たな動機づけを与えた」と言われる

ただし、この2つ目の方向性については特に慎重に語られる必要がある。多賀教授は、以下のように警鐘を鳴らす

この視点から写し出される男性たちが被る様々な抑圧や害は、マクロな社会レベルで男性が女性の犠牲によって利益を得る体制を維持するために個々の男性たちが払うことを求められている代償、すなわち支配に伴うコストなのであって、決して女性優位の社会や男性差別の結果として生じているものではない点を押さえておくことが重要である

実際、日本や米国、ヨーロッパなどでは男性の「生きづらさ」を男性差別の結果として捉え、「男性の権利」を訴える動きも存在し、「男性の権利運動(Men's rights movement)」と呼ばれる。

この運動の参加者は、自らを「真の男女平等論者」と位置付けた上で、夫婦の財産分与や子供の養育権、徴兵制、社会的セーフティーネットなどによって、むしろ男性は差別されていると主張する。男性を「ミサンドリー社会の抑圧された犠牲者」と見なして、フェミニズムを攻撃する動きは1970年代後半から確認されているが、最近はマノスフィア(Manosphere)と呼ばれるオンライン・コミュニティーとして活況を呈している。(*10)

こうした動きが、男性や「男性性」について考える1つ目の方向性を都合よく無視した立場であることは、言うまでもないだろう。

(*10)国際男性デーが、マノスフィアを連帯させる危険な日となっているという主張も見られる。

3. 男性間の差異と不平等

このように男性や「男性性」には、特権とコストという相反する側面がある。しかしこのように男性を語るときに注目するべきは、その男性像は一律ではないという事実だ。これが3つ目の方向性である、男性間の差異と不平等だ。

「ヘゲモニックな男性性」でも触れたように、男性性の中にも階層性(序列)は存在する。人種や社会階層(たとえば正規雇用か非正規雇用かなど)、そしてヘテロセクシャルかホモセクシャルか、シスジェンダーかトランスジェンダーかなどによって、それぞれの男性が享受する「特権」や「生きづらさ」は異なっている。年齢や住んでいる地域によっても問題は異なるだろう。

本誌記事「インターセクショナリティとは何か?」で述べたように、人種、階級、ジェンダーなどの社会的カテゴリーは相互に関連しており、差別や不利益の仕組みをもたらしている。つまり白人のシス男性が得ている特権と、黒人のトランス男性が得ている特権は異なるし、同じ人種や性自認であったとしても、社会階層や所得、学歴などによっても違いが存在するのだ。

以上のように、男性や「男性性」については3つの方向性から考える必要がある。このように考えると、「最近は男性のほうが女性よりも生きづらくなってきている」という問いそのものが適切ではなく、両者の「生きづらさ」はゼロサム関係にはなく、むしろ同時に考えるべき問題であることが分かるだろう。(*11)

(*11)ただし東京経済大学の澁谷知美准教授は、日本の男性学が「男性の特権にまつわるコストを『生きづらさ』と呼び,男性の『被害者性』を強調しながら,特権を放棄するための考察を怠っている」と強く批判する。また、男性学を受けてフェミニズムは「男性間の差異や複数性にもかかわらず見出せる、男性に共通した、女性に対する優越性を描きだすこと」の必要性や、「男性にとって重荷であるはずの「男らしさの鎧」を男性がなぜ脱がないか」を明らかにする重要性などを主張する。

「生きづらさ」の帰結と対処法

では最後に、こうした男性の「生きづらさ」はどのような帰結をもたらしているのだろうか?

メスナー教授は、男性が「浅い人間関係、不健康、短命」という多大なコストを払っていると指摘する。このうち不健康や短命については、たとえば「男らしさ」の規範が、男性に過度な飲酒や喫煙(とそれに伴う疾病)をもたらしている可能性が指摘されている。多くの社会で、飲酒は「男らしさ」の文化的象徴になっており、メディアでの描写はこのイメージを強化しているという。(*12)

実際、日本では生活習慣病のリスクを高める量の飲酒している者(2017年)は、男性が14.7%で女性が8.6%だった。アルコール性肝疾患による死者は、男性が4,539人となっており女性(622人)の7倍以上となっている。また喫煙でも、2019年における男性の喫煙率は27.1%なのに対して、女性は7.6%に留まっている。

また「男らしい」規範に適合することは、うつ病など様々な男性の健康リスクを増加させることが明らかになっている。つまり、前述した高い自殺率以外にも、男性の「生きづらさ」による精神的・身体的負荷は非常に大きいものと言える。

(*12)ただし年齢や教育が、飲酒とジェンダー規範を考える上での重要な変数となっていることを示唆する研究もあり、単純な因果関係では捉えきれない部分も強い。

どうすれば良いのか?

こうした「生きづらさ」に直面する男性はどうすれば良いのだろうか?

まず最も大きなポイントは、ジェンダー不平等の是正が挙げられる。ここまで見てきたように、男性の「生きづらさ」は家父長制や男性優位社会と密接な関係にあり、女性を苦しめるジェンダー不平等と表裏一体となっている。つまり社会におけるジェンダー不平等の問題に取り組むことは、男性側の「生きやすさ」にも繋がっていくはずだ。

次に「男性性」そのものを見直していくことだ。この文脈においては「ケアリング・マスキュリニティ(ケアする男性性、Caring Masculinities)」という考え方に注目が集まっている。これは、介護や子育てなどをおこなっていく上で重要とされる、共感や関係性、相互依存などを重視した新たな「男性性」のことで、新たな理想像を広めることで、男性の「生きづらさ」を解消する可能性があるかもしれない。

とはいえ、社会がそう簡単に変わらないことを考えると、ミクロ的な対処法も考える必要があるだろう。ここからは私見となるが、1つアイデアを挙げるならば男性同士の語りの場に参加することだろう。家庭や職場で「生きづらさ」を感じている男性にとっては、新たな社会的ネットワークを獲得していく必要がある。それはもちろん趣味のコミュニティでも良いし、本記事で挙げたような問題などを語り合う場でも良い。男性コミュニティは、ともすればボーイズクラブや男子校カルチャーと批判される空間にもなり得るが、男性の「生きづらさ」について吐露するような空間が一定の意義を持つこともあるだろう。

また本記事では、主にヘテロセクシャル(異性愛者)でシスジェンダー(性自認と生物学的な性が一致)の男性を想定して議論を見てきたが、そうではない性的マイノリティーが抱える問題について学ぶことも、自身の問題を相対化する上では重要だろう。誰かを陥れることで自身の苦しみを訴えて「男性のほうが女性よりも生きづらい」などの水掛け論に陥らず、ただ自身の「生きづらさ」と向き合うためには、その「生きづらさ」の所在について正しいデータと認識にもとづいて理解することが重要だろう。

(*)​​本記事については、法政大学ほか非常勤講師の徳安慧一氏(社会調査・ジェンダー研究)よりアドバイスおよびコメントを頂いた。ただし本記事の内容について、全ての責任は執筆者の石田健に帰する。

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1989年東京都生まれ。2015年、起業した会社を東証一部上場企業に売却後、2020年に本誌立ち上げ。早稲田大学政治学研究科 修士課程修了(政治学)。Abema TV『ABEMAヒルズ』、日テレ系『スッキリ』、現代ビジネス、TBS系『サンデー・ジャポン』などでもニュース解説をおこなう。関心領域は、メディアや政治思想、近代東アジア、テクノロジー時代の倫理と政治など。
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