Peter Singer(Crawford Forum, CC BY 2.0), Sam Altman(TechCrunch, CC BY 2.0 DEED), William MacAskill (Sam Deere, CC BY-SA 4.0 DEED), Illustration by The HEADLINE

効果的利他主義とは何か?サム・アルトマン解任劇で注目の思想

公開日 2023年12月11日 17:21,

更新日 2024年01月17日 18:05,

無料記事 / 社会問題・人権 / AI

この記事のまとめ
💡効果的利他主義とは何か?サム・アルトマン解任劇で注目の思想

⏩ 源流は「寄付は義務」とする主張
⏩ 最も効率的に命を救える慈善団体をランキング化、1人5,000ドルで救えると主張
⏩ 将来世代を救うために AI の暴走を警戒

あなたは今、燃え盛る建物の中にいる。目の前には、逃げ遅れて助けを求める1人の見知らぬ子どもと、数億円の価値があるピカソの絵が(まだ無事な状態で)壁にかかっているとする。ピカソの絵はあなたの所有物なので、売却すれば数億円の値がつくことが分かっている。子どもかピカソの絵、どちらかしか助けられないとする場合、あなたはどちらを選択するだろうか?(*1)

このとき、ピカソの絵を救う、つまり子どもは助けないと答えるのが、効果的利他主義(Effective Altruism、以下 EA と表記)と呼ばれるアイデアを唱える人々だ。EA の旗手であるウィリアム・マッカスキル准教授(英・オックスフォード大学)は、はっきりとピカソの絵を助けると回答した

マッカスキル
ウィリアム・マッカスキル(2015年)(Sam Deere, CC BY-SA 4.0 DEED

EA は最近、対話型 AI「ChatGPT」を開発する OpenAI のサム・アルトマンCEO の解任劇において、その影響力を示したとされている。同CEO の解任に賛成した取締役会のメンバーに、EA の支持者がいたためだ。

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AI 開発の先頭をひた走る企業のリーダーを解任させたとあって、EA は強い逆風にさらされている。アルトマンCEO は、EA を「信じられないほど欠陥のある運動」としている。OpenAI に初期から投資をおこなう大手VC・Khosla Ventures のビノッド・コースラ氏も次のように述べて、EA とそれを「信仰」する OpenAI の取締役を非難した。

OpenAI の複数の取締役が信仰する「効果的利他主義」という宗教と、その誤った使い方は、世界が AI から大きな恩恵を受けるための歩みを後退させている可能性があります。

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後述するように、EA は元々、世界の極めて貧しい人々を助けるため、慈善団体にもたらされる寄付金のインパクトを調べ始めたことに端を発する。賛同者の中には、見知らぬ人に自分の腎臓を提供するための手術を受けた者までいる

効果的利他主義とは何なのだろうか。そして、なぜ貧困との戦いという領域から活動を始めた彼らが、AI の領域で論争を巻き起こすことになったのだろうか。

(*1)この仮想的な(専門的には思考実験と呼ばれる)状況は、ローズ・ハルマン工科大学の心理学者アラン・ジャーン准教授が考案したものに筆者が若干の変更を加えている。

効果的利他主義とは何か?

効果的利他主義(EA)とは、「効果的」と「利他主義」という2つの要素から構成されている。詳しくは後述するが、マッカスキルによれば、「効果的」というのは「手持ちの資源でできるかぎりのよいことを行なうという意味」で、「利他主義」というのは「ほかの人々の生活を向上させるという意味」だ。

効果的利他主義(EA)という名前は、2011年に生まれたとされている(*2)。元は「発展途上国の貧困と戦う慈善団体の費用対効果を調べはじめた」ところから始まり、マッカスキルやトビー・オードといった、英・オックスフォード大学の哲学者たちが定式化した。現在70以上の国々で、関連するコミュニティやグループが活動している。EA が取り組む領域としては、極度の貧困、工場式農場、気候変動、核戦争、AI の暴走などが代表例にあげられる。

EA の著名な支持者には、世界的なコミュニティサイト Reddit の共同創業者である故・アーロン・スワーツ氏や、Facebook の共同創業者であるダスティン・モスコヴィッツ氏、PayPal や OpenAI、Palantir の共同創業者であるピーター・ティール氏などがいる。

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言葉が生まれたのは2010年代だが、EA の思想的な源流は1970年代にまでさかのぼる。EA の支持者たちが、なぜ現在のような実践をおこなっているかを理解するためには、その源にある考えをおさえておく必要がある。

(*2)他の候補案には、合理的利他主義(Rational Altruism)、最適利他主義(Optimal Altruism)なども含まれていたという。

「寄付は義務で、しないことは不正だ」

EA の源流にあるのは、ピーター・シンガー教授(米・プリンストン大学)が1972年に執筆した論文「飢えと豊かさと道徳」(邦訳版)だ。前述した EA の旗手であるマッカスキルは、18歳の時(2005年頃)に初めてこの論文を読み、大きな影響を受けたという(*3)

論文の中でシンガーは、「我々は寄付すべきであり、そうしないことは不正なのだ」(太字は引用者による、以下同様)という大胆で挑発的な主張をしている(*4)


ピーター・シンガー(Mal Vickers, CC BY-SA 4.0 DEED

これは、多くの人の直観に反する主張だろう。多くの人は、自分が正当に稼いだお金であれば、その使い道について他人にとやかく言われたくないと思っている。寄付についても、やれば褒められるものだが、やらなくても非難される類のものではないと考えているはずだ。

しかし、シンガーはこの考えを否定する。シンガーの主張の要点は、助けを求める人が目の前にいるか(その人と私たちの間の物理的距離)は関係ない、そして、私たち(富裕国の人間)は自分にとって重大な犠牲を払うことなく、その人たちを助けることができる、というものだ。

これを分かりやすく説明するために、シンガーは2013年のカンファレンスの冒頭で、中国で2歳の少女がトラックに轢かれ、道端で血を流して倒れている映像を紹介した。重要なのは、少女の側を通行人が何もせず通り過ぎている場面だ(*5)。この状況に「私なら決して見逃さない。必ず助ける」と大半の人が思うだろう(実際、カンファレンス会場のほぼ全員がそう思うと挙手している)。


次にシンガーが示すのは、国連児童基金(UNICEF)が公表した報告書だ。それによると、2011年時点で5歳以下の子ども690万人が、貧困のせいで予防可能な病気を治療できず命を落としている。1日あたり1万9,000人のペースだ。その「ほんの一例」としてシンガーは、ガーナのある男性が語った話を引用する。(訳文は筆者による)

たとえば、今朝亡くなったこの少年について考えましょう。この少年は、はしかで亡くなりました。この子が病院に行けば治療できたことは誰もが知っています。しかし、両親が貧しかったために、少年はゆっくりと苦しみながら死にました。はしかによってではなく、貧困によって死んだのです。

ここでシンガーが言いたいことは、中国の少女を助けると挙手するなら、貧困によって、はしかの治療ができない少年も同じように助けるべき、というものだ。人種や宗教、文化などの違いは、助けられるはずの命を救うという意味で重要な違いにはならず、目の前にいるかどうかすら関係ないとシンガーは主張する。テクノロジーの進化によって、遠いところにいる人々にも援助をすることが容易になってきたため、物理的な距離はもはや障壁にならないからだ。

ただ、こうした論理があったとしても、シンガーの主張は依然として多くの人の直観に反するし(*6)、実際かなりの反論が差し向けられてきた。貧困について「自分自身の面倒は自分で見るべきだ」もしくは「その国の政府に任せておけばよい」とか「正当に獲得した財産の使い道を他人に決められはしない」などの反論だ。詳細は割愛するが、シンガーはこれらすべてに再反論している(これらの反論やシンガーの再反論が成功しているかは、ここでは問わない)。

いずれにせよ、シンガーの主張に大きな影響を受けたマッカスキルやオードは、寄付をすることが義務だと考えている。しかも、仕方なく寄付をしているのではなく、自ら進んで寄付をおこなっており、それを「犠牲」とは考えていないのだ。

こうしてシンガーの主張に触発された人々が、効果的利他主義のアイデアを育み始める。

(*3)ただ、マッカスキルはそれ以前から寄付に対して関心を持っていた。彼が15歳の時(2002年頃)、エイズによる死者の数を知り、将来小説家として成功し収入の半分を寄付しようと決意したという
(*4)EA のルーツとも言える論文だが、これ自体は直接的に EA を支持するものではないとシンガー自身が述べているという
(*5)シンガーは自身の著作では「池に溺れる子ども」の例を示すことで、寄付が義務だという主張をしようとしている。「もし私が浅い池のそばを歩いて通り過ぎようとしたときに、池で子どもが溺れているのを見かけたならば、私はその池に入ってその子を助けるべきである。これにより、私の服は泥だらけになるだろう。しかし、その子の死が非常に悪いことであると考えられるのに対して、これは取るに足らないことである」。
(*6)シンガーの主張が多くの人の直観に反する要因については、ジョシュア・グリーン著『モラル・トライブス』に詳しい。

理性と証拠に基づいた寄付

シンガーの影響を受けたことで、寄付をすることは半ば当然と考える EA の支持者たちにとって、考えるべき問題はもはや「我々は寄付をするべきか?」ということではない。彼らはむしろ、「どの慈善団体に寄付をするのがベストか?」という問題に焦点を当てている

EA の問題意識は、寄付をする人々が共感や同情に流され、寄付金の使い道や影響について関心を払っていないことから出発した

2006年、ヘッジファンドで働いていたホールデン・カーノフスキー(*7)とエリー・ハッセンフェルドは、有り余る収入を寄付しようとした際、寄付金がどんな成果をもたらすかというデータを調べた。ヘッジファンドで働く2人にとって、投資対象の基本情報について調べてから投資を決めるのは当然のことで、寄付先についても同様に決定しようとしたわけだ。

ところが、子どもの笑顔が載っているパンフレットは手に入っても、寄付金の成果に関わるデータを入手することはできなかった。これは埋めるべき空白だと思った2人は2007年、慈善団体の透明性と有効性を評価する GiveWell という非営利組織を立ち上げたのだ。

このように EA は、与え手が「心温まる」ような寄付ではなく、理性や科学的な証拠に基づいてなされる寄付の方に価値を見出す。前述したように、彼らには「手持ちの資源でできるかぎりのよいことを行なう」という目標があるため、寄付金の影響を分析することは不可欠なのだ。

では、先ほどから言及されている「よいこと」とは具体的に何を指しているのだろうか。

(*7)2017年から2021年まで OpenAI の取締役を務めていた。配偶者は、OpenAI のライバル企業である Anthropic の共同創業者であるダニエラ・アモデイ。

1人の命は5,000ドルで救える

ここで言う「よいこと」についてシンガーは、「苦しみが少なく幸福な世界の方が、苦しみが多く幸福の少ない世界よりもいい」と考えており、また「寿命が短いよりも長い方がいい」としている。

こうした考えに基づくことで、「同じ金額なら、途上国の極めて貧しい人を助ける方が、それ以外のほとんどのチャリティに寄付するよりも、はるかに苦しみを減らし、はるかに多くの命を救うことができる」という。

トビー・オードは、こうした「費用対効果」の重要性について、次のような単純な例を用いて説明している(筆者が訳文を一部改変した)

仮に、失明と闘うために自由に使える予算が4万ドル(約600万円)あるとしよう。取りうる1つの選択肢は、アメリカで盲目の人に盲導犬を提供し、障がいを克服する手助けをすることだ。この方法では、犬とその受け手の訓練が必要なため、約4万ドルの費用がかかる。

もう1つの選択肢は、アフリカでトラコーマ(失明に繋がる感染症)の影響を和らげるための手術に予算を使うことだ。これにかかる費用は、回復した患者1人あたり20ドル(約3,000円)未満である。他にも多くの選択肢があるが、ここでは簡単のために、この2つだけを考慮してみよう。

したがって、この全予算を、盲導犬を1頭提供して1人の人が失明による困難を克服する助けとして使う、もしくは2,000人(引用者註:4万 ÷ 20 = 2,000)以上の失明を治療するために使うことができる。もし、人間の道徳的価値が等しいと考えるなら、2つ目の選択肢の方が2,000倍以上優れていることになる。

オードが示す例を見ると、冒頭で触れた仮想的な状況において、マッカスキルが子どもではなくピカソの絵を助けると選択した理由が理解できるだろう。ピカソの絵を売って、それで得た数億円を寄付する方が多くの命を救える、とマッカスキルは主張したいのだ。

前述した GiveWell は、「証拠と分析に裏付けられた」インパクトの大きい慈善団体を「トップ・チャリティー」と名付けてリスト化している。現在のトップ・チャリティーは、マラリア予防の薬やネットの提供をおこなう団体など4つ(*8)で、平均して4,000ドルから5,500ドル(約60万円から約82万5,000円)で1人の命を救えると明記している。具体的には以下の通りだ。

  • Malaria Consortium:マラリアを予防する薬の提供をおこなう。1人の命を救うのに平均5,000ドルの費用対効果を見込んでいる。
  • Against Malaria Foundation:マラリアを媒介する蚊から身を守るためのネットを提供する。1人の命を救うのに平均5,500ドルの費用対効果を見込んでいる。
  • Helen Keller International:ビタミンA欠乏症(感染症に脆弱になり、死に至る病気)を予防するサプリメントを提供する。1人の命を救うのに平均4,000ドルの費用対効果を見込んでいる。
  • New Incentives:小児用ワクチンの定期的な接種を促すための現金給付をおこなう。1人の命を救うのに平均5,000ドルの費用対効果を見込んでいる。

このように、EA は、寄付金の使い道や影響について調べ始めた結果、最も効率的に命を救える団体をリスト化するに至った。

ただ、人の命を金額で表記する実践は、冷酷で心無い機械的なやり方に見えるため、抵抗感を覚える人も少なくないだろう。しかし、マッカスキルに言わせれば、そうしないことの方が悪い結果をもたらすことになるのだ。

(*8)元々「トップ・チャリティー」は9つあったが、2022年8月に「よりわかりやすいガイドを提供」する目的で基準が変更され、現在の4つに絞り込まれた。

私たちはトリアージをしなければならない

慈善団体の有効性を評価し、人の命がいくらで救えるかを示すという冷酷にも思える実践をなぜやる必要があるのだろうか。

マッカスキルは、1994年にアフリカのルワンダ虐殺の現場で治療にあたったジェームズ・オルビンスキー氏(のちに国際 NGO・国境なき医師団の代表を務め、1999年に同団体のノーベル賞受賞に貢献した人物)を引き合いに出す


ジェームズ・オルビンスキー(2009年)(TheSilentPhotographer, CC BY 3.0 DEED

死傷者が続々と運ばれてくるのを見て、彼(引用者註:オルビンスキー氏)は全員を助けられないと悟った。そして、難しい選択を迫られた。誰を救うか?誰を見殺しにするか?全員を助けることはできない。そこで、彼はトリアージを行い、治療の優先順位をつけた。患者を1、2、3に振り分けることはどうしても必要だった(引用者註:1は即治療、2は24時間以内に治療、3は治療不能)。もし彼がこの冷酷で計算高い行動を取らなければ、死者の数はいったいどれだけ膨らんでいただろう?もし彼が何も選択を行わなかったら?両手をあげて敗北宣言を出していたら?先着順で治療を行なっていたら?きっと最悪の選択になっていただろう。

世界をよりよい場所にしようと思うなら、私たちもオルビンスキーと同じような選択をしなければならない。それがこの世界の現実だ。

このように、災害医療などの現場で多数の傷病者が発生し、医療者側が全員の命を救うという原則を守れないほどひっ迫した場合、救命の順序を決めるための手段がトリアージだ。マッカスキルは、私たちも同様の状況に置かれており、「同じ葛藤に向きあい、難しい折り合いをつけるべく最善の努力をする」必要があると主張する。

慈善活動や寄付の場合、恩恵を受ける相手が私たちの目の前にいるわけではないので、オルビンスキーの身になって考えたときと比べると状況を軽くとらえてしまいがちだ。それでも、状況は同じぐらいリアルだ。世界では文字どおり数十億人が助けを求めている。その一人ひとりが助けに値するし、現実的な問題を抱えていて、私たちの行動ひとつでその生活を向上させることができる。だから、私たちは誰を助けるかを決めなければならない。それを決めないのは最悪の決断だからだ。

オルビンスキーと同じ葛藤に向きあい、難しい折り合いをつけるべく最善の努力をするのが効果的な利他主義の本質だ。世界をよりよい場所にする無数の方法のうち、最善なのはどれか?どの問題に今すぐ取り組み、どの問題を次の機会に先送りするべきなのか?ひとつの行動を別の行動よりも優先するのは、心理的にも現実的にも難しいが、不可能ではない。

では、実際に利他的な活動をするとなった場合、具体的な戦略や分野はどう選択されているのだろうか。現実世界にトリアージの考えを応用するのであれば、途上国の貧困より、がんや心疾患など老化の治療という問題への取り組みが優先されるようにも思える。アメリカ日本では、これらの病気が死因のトップを占めているため、数にだけ注目するなら優先的に対処する必要があると考えられるからだ。

しかし、EA は途上国の貧困の方が優先されると考えている。なぜなら、がんなどは原因の特定や完治が難しいケースが少なくないのに対し、EA が後押しするマラリアの予防は、すでに治療や予防方法が確立されており、簡単に命を救うことができるからだ。しかも、マラリアによる死者が年間62万人以上、感染者が年間2億4,000万人以上いるため、取り組みの “見返り” も大きい。

こうした考慮の仕方は、EA の中核的な要素の1つである期待値に基づいている。

鍵になる考えは期待値

マッカスキルは、寄付などの利他的な行動がもたらす影響を考えるために、期待値という考え方を導入する。期待値は、ある行動が成功する確率と、成功した場合の見返りの大きさを評価し、両者を掛け算することで求められる(*9)。マッカスキルは期待値を考慮すべき一例として次のケースをあげる。

私があなたに賭けを持ちかけたとする。コインを投げて表が出たら私があなたに2ドルを渡す。裏が出たらあなたが私に1ドルを渡す。あなたはこの賭けに乗るべきだろうか?期待値の考え方に従うなら、乗るべきだ。

(略)

起こりうる結果は表と裏の2通り。発生確率はどちらも50パーセントずつ。したがって、この賭けに応じた場合の金銭的な期待値は、(+2ドル × 50%)+(-1ドル × 50%)= 0.50ドルだ。一方、賭けを断った場合の金銭的な期待値はきっかり0だ。賭けに応じたほうが期待値は高くなるので、あなたは賭けに乗るべきだ。

つまり、途上国の貧困やマラリアの予防は人数にしても、その度合いにしても規模が大きく、しかも国内の貧困やがんなどの病気に比べて解決しやすい(成功する確率が高い)と EA は主張している。「現時点での費用対効果の推定によると、極端に貧しい人々に国内の人々と同じ便益をもたらすのは100倍も易しい」とマッカスキルは指摘する。

これは、各個人のキャリア選択にも適用できるとされている。すなわち、仕事を通して及ぼす直接的な影響を最大化しようとするのではなく、もっと多くの寄付をできるように稼ぎを増やす選択肢も検討されるべきだという。

多くの人にとって、自らの仕事を通じて直接「ほかの人々の生活を向上させる」ことは難しいし、その種の仕事に就くことも困難だ(確率が低い)(*10)。ただ、富裕国の人であれば、収入を増やしたり生活費を切り詰めたりすることができるため、「寄付するために稼ぐ」キャリアは立派な EA の活動とされるのだ。EA は、80,000 Hours という組織を通して、個人のキャリアを効果的にする活動をおこなっている(*11)

さらに、マッカスキルは期待値を考える重要性について、より投機的でリスクの高い活動も重視する。福島第一原発の事故を引き合いに出しつつ、次のように語る。

福島の安全対策技術者たちは安全性を評価して被害を防ごうとしたが、低確率ではあるが重大な出来事を無視したために失敗した。同じように、何かよいことをしようとするときには、成功の確率とその成功の度合いの両方に敏感にならなければならない。 つまり、成功は確実だがたいして見返りのない活動よりも、成功の確率は低いが成功した場合の見返りが大きな活動を優先すべきケースもあるのだ。

この期待値という考えを踏まえると、EA の支持者たちが冒頭で触れたような AI の領域へ注目する理由を理解することができる。

(*9)正確に言うと、マッカスキルはある活動が「見過ごされている度合い」も考慮すべきだという。すなわち、ある問題にすでに多くのお金や資源が投入されている場合、あなたが次に投入するお金にはほとんど効果がないかもしれない。
(*10)各人の特性も考慮するため、慈善団体での活動が最も効果的なキャリア選択になる人もいる。
(*11)80,000 Hours は2015年、大手アクセラレーター・Y Combinator(YC)のプログラムに参加した。当時の YC 社長は、サム・アルトマンだった。

長期主義への応用

EA の賛同者の中には、期待値を重視する考えを応用し、長期主義(Longtermism)というアイデアを支持する者もいる。

長期主義の定義は定まっていないが、基本的には未来に生きる人々も、現在生きている私たちと同様に道徳的に重要であるという考えを指す。2017年に長期主義という言葉を考案したマッカスキルは、それを「未来にプラスの影響を与えることが、現代の重要な道徳的優先事項であるという考え」と定義している。シンガーが指摘したように、助ける対象との空間的な距離が関係ないとすれば、時間的な距離も関係ないというわけだ。

彼らは期待値を重視するため、将来人類を滅亡させるような惨事の発生確率がたとえ低くても、それによって助けられる人類の数が膨大であれば、助けるに値するはずだと考える(*12)。ある推定によれば、地球が居住可能なうちに、12京5,000兆人の人々がこれから暮らすことになる(*13)ため、その生存確率を 0.0001% 引き上げるだけでも、現在の10億人を救うよりはるかに価値があると判断される(1兆人を助けられる可能性を 1% あげるだけでも計算結果は100億人となる)。

そして、将来人類を滅亡させるような惨事を引き起こす原因の1つとされているのが AI だ。オードは2020年の著作『断崖絶壁(未邦訳)の中で、気候変動は最悪のシナリオでも地球滅亡には至らず、むしろ人工的に作られた病原体や暴走する AI の方が危険だと語り、次のように警鐘を鳴らしている。

人類は毎年、開発したテクノロジーが人類を滅ぼさないようにすることよりも、アイスクリームに多くのお金を費やしていると自信を持って言えます。

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将来世代を助けるための具体的な方法の1つとして、価値観の改善があげられている。歴史上の活動家や思想家たちは、有色人種の権利や女性の参政権などを獲得したことで、長期にわたる道徳の向上をもたらした。それらと同様に、「私は今、世界の長期的な運命は部分的には私たちが生涯に行う選択に依存していると信じています」とマッカスキルは述べる

マッカスキルは2015年の著作で、この領域で活動する有望な組織の1つとして、オックスフォード大学傘下の「人類未来研究所」(Future of Humanity Institute)をあげている。同研究所は、文字通り人類の未来における問題やリスクに焦点をあてた研究を行っており、ニック・ボストロム教授(オックスフォード大学)が所長を務めている。ボストロムは、2014年の著書『スーパーインテリジェンス』の中で、人類の知能をはるかに凌駕する AI(スーパーインテリジェンス)はそう遠くない未来に登場し、人類を滅亡させる可能性があると警鐘を鳴らした人物だ。


ニック・ボストロム(Future of Humanity Institute, CC BY 4.0 DEED

マッカスキルが2022年に出版し、長期主義について紹介した著作『私たちが未来に負うもの(未邦訳)は、シリコンバレーでも影響力を持っている。EV 大手・Tesla のイーロン・マスクCEO も「読む価値がある。私の哲学ととてもよくマッチしている」とした。

このように、世界の貧しい人々を助けるためにどの慈善団体に寄付をするのがベストか、という疑問から出発した EA の取り組みは、暴走した AI による人類滅亡を危惧するアイデアに発展し、シリコンバレーにも浸透した。

ただ、すでに触れてきた大胆かつ挑発的で、多くの人の直観に反する主張には、これまで多くの批判が向けられてきた。その論争は今も続いているし、アルトマンCEO の解任劇によってさらに白熱している。次回の記事では、EA や長期主義がどのような観点から問題視されているかを概観する。

▼後編

なぜ効果的利他主義は注目され、そして批判されるのか?
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(*12)彼らは昨日今日、世界的な大惨事のリスクについて関心を持ち始めたわけではない。GiveWell は少なくとも2013年時点で、「世界規模の壊滅的なリスク」に言及し、パンデミックが「前例のない被害を引き起こす可能性」に触れている
(*13)この計算は、地球が居住可能な期間があと10億年、常時110億人が暮らし、平均寿命が88歳であるという仮定に基づいている。

いくつかの注釈

EA については、いくつかの注釈をしておく必要がある。

第1に、家族を優先することは悪いことではないということだ。EA は基本的に、人種や宗教などの違い、空間的な距離の遠近は、優先して助けるべき命の判断材料になりえないと考えているが、家族や愛する人に特別な感情を抱く点を無視しているわけではない。ただし、限度はあるともしている。すなわち、不必要なまでに誕生日パーティーを豪華にするくらいなら、貧しい人に寄付をしても、あなたの生活の重要な部分は何も犠牲にならないはずだ、とされている。

2つ目の注釈は、EA が単なる功利主義ではないという点だ。功利主義とは、大雑把に言えば、常に幸福の総和を最大にしなければならないという考えを指す。EA と功利主義は、人々の生活向上を目指す点で共通しているが、大きく異なる点もあるという。

たとえば、EA には「あなたにできる最大限のよいことをしなければならないという道徳的な義務はない。必要なのは人々を助けるためにあなたの時間や収入の相当な割合を捧げることだけだ」という。すなわちマッカスキルは、他人に自分のお金の使い道をとやかく言われたくない、という多くの人の直観を十分に理解している。

その他、”常に” 慈善活動を最優先に考える必要はない。EA は24時間365日、貧しい人たちのためにお金の計算や使い方を思案したりすることを求めておらず、私たちが聖人君子でないことを彼らは理解している。また、EA は、「よりよいことをするために人々の権利を侵害することは認めない」とされており、目的が手段を正当化するアイデアではないいう

したがって、「全般的に、効果的な利他主義は功利主義よりも幅広く普遍的な考え方」だと考えられているのだ(*14)

(*14)実際、北海道大学大学院の竹下昌志氏と清水颯氏は、功利主義のみならず、カント主義的な観点からも EA を正当化できると主張している

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✍🏻 著者
シニアリサーチャー
早稲田大学政治学研究科修士課程修了。関心領域は、政治哲学・西洋政治思想史・倫理学など。
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