Tokyo Japan Streets(Timo Volz, Unsplash) , Illustration by The HEADLINE

日本でガラパゴス化する「専門知」(1)―新型コロナウイルス対策の例― [1]

公開日 2020年05月01日 12:14,

更新日 2023年09月15日 12:21,

無料記事 / 社会

日本では学問がなぜかガラパゴス化する。筆者は専門である社会科学において、常々そう感じていたが、今回新型コロナウイルスの猛威にあって、自然科学においても同種の現象が見られるのを目の当たりにした。本稿では、こうした問題の根底にある背景を日本の専門家のガラパゴス化という観点から考えたい。

学問のガラパゴス化自体は必ずしも問題ではないかもしれないが、それが政策として取り入れられると人々の社会生活に著しい影響を及ぼす可能性があり、こうした問題を見逃すことができない。

今回は、自然科学分野における現在進行中の大問題であるコロナウイルスに対するPCR検査の実施と、いわゆるクラスター対策を取り上げ、次回は、社会科学分野におけるアベノミクス導入の過程を取り上げる。

検査拡大への批判

日本では、感染者数が1万人を超え、死者も500人に達する勢いである(2020年4月29日現在)。このように新型コロナウイルの脅威の中で、世界では起こりようがない独自のPCR論争なるものが日本で繰り広げられているといわれる。

当初、感染症学者からも臨床医からも多く見られた意見に「検査を拡充しすぎると、感染者が病院に殺到し、医療崩壊が起こる」というものがあった。たしかに、日本は病床数の割にICU数が人口に対して少なく、急激に感染者が増えると対応できなくなる可能性は十分に存在している(Nobuaki Shime (2016) “Clinical and Investigative Critical Care Medicine in Japan” Intensive Care Medicine Vol.42: 453-455)。

しかし、当然のことながら、ICUに軽症者を入れるわけはない。また、いずれにせよ感染者が増え、蔓延期に至ると、野放しにした感染者経由で、感染者が把握できないまま病院内に入り込み、多数の院内感染の連鎖を引き起こしている実態がある。

こうした日本の状況に対して、海外から日本の検査数の少なさを指摘する声は以前から多い。たとえば、世界的に利用されている新型コロナウイルスの感染者数データを作成しているジョンズ・ホプキンス大学のジェニファー・ナゾは、「検査拡大に努めるべきだ」とし、韓国のように検査を拡大するように主張している[2] [3]

こうした状況にあってもなお、日本感染症学会や日本環境感染学会は、「PCR 検査の原則適応は、『入院治療の必要な肺炎患者で、ウイルス性肺炎を強く疑う症例』とする。軽症例には基本的にPCR 検査を推奨しない」という姿勢を貫いている[4]。こうした背景には、積極的疫学調査と呼ばれる日本独特の感染症対策手法が存在するという指摘がある[5] [6]。これは、いわゆるクラスター対策の手法といえるが、この手法は他国の検査一辺倒とは異なるため、感染拡大の初期においては独自の情報を提供することがある。それゆえ、WHOも、この手法に一定の評価をしている[7]

たしかに、ベイズ統計学の初歩で例として引き合いに出されることが多いように、検査には偽陽性や偽陰性の問題がつきまとうため、あまりに予想される陽性者が少ない場合に、検査精度が高くないと、著しい診断の誤りが生じてしまう可能性はある[8]。クルーズ船のコロナウイルス感染者を100人以上受け入れた自衛隊中央病院の田村格は、この問題に触れて、「これらの経験から、PCR検査の感度はさほど高くないのではないかと考えられた。明確な検討はできていないまでも、感覚的には70%程度の感度ではないかと思われた」と記している[9]。この数字が事実だとしたら、相当不確定の度合いは高いと考えられ、実際の感染者数が少ない場合は、誤った判定が行われる可能性がかなり大きくなる[10]

したがって、必ずしも闇雲にPCR検査を実施すれば良いというわけではないだろう。また、新型コロナウイルスを指定感染症に指定したことにより、陽性者の強制入院措置が原則的に必要となり、偽陽性が多い場合、これが医療現場に与える影響は多大になると考えられる[11]。そして、感染者数が少ない段階で何も積極的な対策をとらないのではなく、クラスターを探し出すという行為が有益な可能性はある。

検査増大の主張

しかしながら、こうした対策が感染防止に失敗した場合、市中の感染者数が増えたと考えられる時点で速やかに検査を増やしていかなければ、院内感染の多発が避けられないはずである。それは、医療崩壊の引き金にもなりかねない。こうした主張は、臨床現場でも聞かれるようになっている。

京都府立医科大学附属病院と京都大学医学部附属病院は、「院内感染を防ぐ水際対策として、無症候の患者に対する新型コロナウイルスのPCR検査を保険適用(ないし公費で施行可能)」を主張し、他機関にも賛同を呼びかけている[12]。クラスターが発生した国立病院機構大分医療センター(大分市)では、緊急入院する患者全員にCTと、必要があればPCR検査を行うとしており、やはり他の病院にもPCR検査の実施を呼びかけているという[13]。医師を対象としたアンケート調査でも、84%の医師が症状・肺炎像だけで「全員検査すべき」と答えているという[14]

こうした中で政府の政策を特に激烈に批判しているのは、山梨大学である。島田眞路学長をはじめとするメンバーは、「PCR検査体制を増強していた世界の潮流を尻目に、PCR検査を地方衛生研究所・保健所にほぼ独占させ続けた結果、PCR検査上限を世界水準からかけ離れた低値にとどまり続けさせることとなり、途上国レベルのPCR実施件数という大失態を招来したのである」といった主張や、「PCR 検査の不十分な体制は日本の恥」といった主張を繰り返している[15]

それもそのはず、現場の医師にとっては、偽陰性率があまりにも高ければ問題だが、仮に偽陽性が高く多く出たとして、過剰な対策が必要になるとしても、こうした手段以外に院内感染や医療崩壊を防ぐ手立てが現在のところ考えられないからである。また、指定感染症の運用も、最初こそ厳格に適用されていたようにも思われるが、実際に病床数が即座に枯渇したため、陽性者であってもホテルの借り上げによる宿泊療養や自宅療養が急速に増え、原則を守れなくなった[16]。そのため、軽症者を陽性と判断しても、直接的に医療現場へと過剰な負担がかかるとは考え難くなった。

このような事態にあれば、速やかにPCR検査数が増やされてしかるべきであるように思われるが、現在のところ、そうなっていない。こうした結果、PCR検査前の感染者の死亡や、死後の陽性者の判明といった事例が多数生じた危機的自体に進行している。

このような危機的な状況が継続中の日本に対して、検査や管理を徹底した韓国や台湾においては、すでに感染は収束の気配を見せており、新規の感染者数は激減している[17]。ここで筆者が言いたいのは、日本のクラスター対策が最初から無駄だったということではない。それは結果論であり、クラスター対策によって、より良い結果がもたらされた可能性はあったかもしれない。また、人口密度の違いなどもあるだろう。

ガラパゴス的政策が/を生み出した呪縛

しかし、なぜ日本ではこうした独自のガラパゴス的対策が取られ、仮にそれがうまくいかなかった場合の選択肢が水面下で準備されていないかという根本的な疑問がある。韓国や台湾の現在までの封じ込めの成功は、MERSやSARSの教訓を活かしたものだという指摘があるが[18]、それをいうのであれば、日本全体としての準備が相対的に疎かになるとしても、SARSのときにも拡大防止の任務にあたったという専門家会議で陣頭指揮を執っている尾身茂や押谷仁といった人々が、なぜ日本独自と思われる対策を指揮したのかという謎がある[19]

この謎には、ここでは直接答えられないが、その負の影響を考慮する必要はあるだろう。押谷は、NHKの番組で以下のように答えている。

実はこのウイルスでは、80%の人は誰にも感染させていません。つまりすべての感染者を見つけなければいけない、というわけではないんです。クラスターさえ見つけられていれば、ある程度制御ができる。むしろすべての人がPCR検査を受けることになると、医療機関に多くの人が殺到して、そこで感染が広がってしまうという懸念があって、PCR検査を抑えていることが日本が踏みとどまっている大きな理由なんだ、というふうに考えられます。[20]

「クラスターさえ見つけられていれば、ある程度制御ができる」という考えが日本独自のもののように思われるが、ここで中枢にいる専門家が、医療機関内でのPCR検査しか考えおらず、その悪影響しか視界入っていないのは、大いに疑問がある。もし、日本の法的、人的、設備的問題などで理想的な対策がすぐにはできないのなら、クラスター対策で時間稼ぎをしている間に、その他の準備を数カ月間で整えるというのが筋ではないだろうか。そういう可能性にもまったく触れておらず、クラスター対策でしのぎ切れると意味しているとしか読めない。

しかし、この論調は、4月に入って大きく変化する[21]

感染者が急増している状況の中で、PCR検査が増えていかないというのは明らかに大きな問題です。行政もさまざまな形で取り組みを進めていることは承知していますが、十分なスピード感と実効性のある形での『検査センター』の立ち上げが進んでいないということが、今の状況を生んでいると理解しています。しかしいくつかの地域では、自治体・医師会・病院などが連携をして、検査や患者の受け入れ態勢が急速に整備されている状況です。そのような地域では事態は好転していくと、私は信じています。[22]

あたかも日本独自のクラスター対策で制御可能かのように主張していた発言からは大きく後退し、PCR検査数の少なさを強調している。後出しを承知でいえば、指定感染症による強制入院措置も早晩破綻するのは明らかであったし、世界各国がPCR検査を大幅に実施している状況を見れば、仮に偽陽性などの問題があるとしても、病院外での検査の実施による医療崩壊回避策も十分可能であったように思われる。しかし、医療機関内での検査を自明視し、その影響による医療崩壊の可能性を示唆していたのは押谷である。わずかな運用方針の転換や法改正で可能だと思われる変化に思い至らず、なぜか現状を見て思考停止してしまい、検査をすると医療崩壊するという呪縛から逃れられない意見が非常に多く見られるが、かくいう対策の中心人物の認識自体が、このようなものだったのである。

「現実」主義の陥穽

ここで思い出されるのは、日本を代表する政治学者である丸山眞男の著名な言葉である。丸山は「『現実』主義の陥穽」という論文において、「いいかえれば現実とはこの国では端的に既成事実と等置されます。現実的たれということは、既成事実に屈服せよということにほかなりません」と指摘していた。これは、1952年という戦後直後に書かれた文章の中に含まれる一節であり、念頭にあった「現実」は、軍国主義下の日本の話であるが、2020年においても、この言葉がそのまま当てはまるような現実が展開されているのである。

すなわち、おそらく日本では何らかの理由によりクラスター対策に注力せざるを得ない「現実的な制約」があり、それを所与とした範囲内での対策のみを当初は行おうとしていたのだろう。そして、その「現実的」な認識には多くの賛同者がいた。しかし、感染経路不明者が急増し、院内感染も多発するという新たな「現実」が、それまで彼らが見ていた「現実」が幻想だったと明らかにしたのである。その過程において、ガラパゴス的な日本の専門知は、クラスター対策が成功しなかった際の対処法の考案を遅らせる結果となってしまったと言わざるを得ないであろう。


[1] 出典URLの最終閲覧日はすべて2020年4月29日である。

[2] 尾形聡彦「『日本のPCR検査少ない』米専門家が指摘 手本は韓国」朝日新聞、2020年3月14日付(https://www.asahi.com/articles/ASN3G6JR3N3GUHBI01R.html)。

[3] 日本以外にも独特の政策を取っている欧米の国にスウェーデンが挙げられるが、日本よりもICU数が少ないとされるスウェーデンですら、日本よりも遥かに多くのPCR検査を実施しているという(木村正人「新型コロナで都市封鎖しないスウェーデンに、感染爆発の警告」NEWSWEEK日本版、2020年4月3日付(https://www.newsweekjapan.jp/kimura/2020/04/post-75_1.php)。

[4] 日本感染症学会・日本環境感染学会「新型コロナウイルス感染症に対する臨床対応の考え方」2020 年 4 月 2 日付(http://www.kansensho.or.jp/uploads/files/topics/2019ncov/covid19_rinsho_200402.pdf)。

[5] 松浦新「森見ない厚労省『積極的疫学調査』」FACT online、2020年4月7日付(https://facta.co.jp/article/202004048.html)。

[6] 風間直樹・辻麻梨子「PCR検査『全然受けられない人』を続出させる闇」東洋経済ONLINE、2020年4月29日付(https://toyokeizai.net/articles/-/347451?page=3)。

[7] 吉武祐「WHO『日本、経路不明が増えた』 追跡評価しつつ懸念」朝日新聞、2020年4月11日付(https://www.asahi.com/articles/ASN4C35CLN4CUHBI007.html)。

[8] 統計WEB「ベイズの定理の使い方」(https://bellcurve.jp/statistics/course/6448.html)。

[9] 「新型コロナウイルス感染症(COVID-19)について」自衛隊中央病院(https://www.mod.go.jp/gsdf/chosp/page/report.html)。

[10] ここでは詳しく触れないが、たとえば、馬場園明「新型コロナ、PCR検査拡大は慎重に 誤判定がもたらす危険性」日本経済研究センター(https://www.jcer.or.jp/blog/babazonoakira20200415.html)を参照。他方で、明らかにもっと精度が高いという指摘もある木村正人「『人造ウイルスが米国から来たとは科学的に考えにくい』新型コロナの免疫とワクチンの話をしよう(下)」(https://news.yahoo.co.jp/byline/kimuramasato/20200329-00170179/)。

[11] 浅香正博「新型コロナウイルス感染症:指定感染症であることによる混乱の可能性」2020年3月10日付(https://www.jmedj.co.jp/journal/paper/detail.php?id=14225)。

[12] 京都大学医学部付属病院「新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のPCR検査に関する共同声明」2020年4月15日付(https://www.kuhp.kyoto-u.ac.jp/press/20200415.html)。

[13] 「『迫る医療崩壊を肌で感じた』クラスター発生の病院、入院時のPCR検査の必要性訴える」読売新聞、2020年4月28日付(https://www.yomiuri.co.jp/national/20200428-OYT1T50116/)。

[14] 宇津木菜緒「4473人に聞いた『新型コロナウイルス感染症に対する検査の実施基準』」日経メディカル、2020年4月13日付(https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/report/t344/202004/565117.html)。

[15] 島田眞路・荒神裕之「山梨大学における新型コロナウイルス感染症(COVID-19)との闘い(第 5 報)PCR 検査体制強化に今こそ大学が蜂起を!」(https://www.yamanashi.ac.jp/wp-content/uploads/2020/03/6bf1e59badd192ea0597a659e94a9d59.pdf)。

[16] 厚生労働省「『新型コロナウイルス感染症の軽症者等の宿泊療養マニュアル』の送付について」2020年4月2日付(https://www.mhlw.go.jp/content/000601816.pdf)。

[17] NHK「韓国 1日当たりの新規感染者数1桁台に 新型コロナウイルス」2020年4月19日付(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200419/k10012395251000.html)。「台湾、経済活動の正常化検討 15日連続で『本土感染』ゼロ」日本経済新聞、2020年4月27日付(https://www.nikkei.com/article/DGXMZO58539760X20C20A4EAF000/)。

[18]「MERSの教訓=韓国疾病管理本部・前リスクコミュニケーション担当官 朴起秀氏」毎日新聞、2020年4月14日付(https://mainichi.jp/articles/20200414/ddm/005/070/028000c)。「台湾駐日代表『SARS教訓に』 迅速・周到に先手」日本経済新聞、2020年4月18日付(https://www.nikkei.com/article/DGKKZO58225270X10C20A4FF8000)。

[19] World Health Organization. Regional Office for the Western Pacific. (‎2006)‎. SARS: how a global epidemic was stopped. Manila : WHO Regional Office for the Western Pacific(https://apps.who.int/iris/handle/10665/207501).

[20]「専門家に聞く“新型コロナウイルス”との闘い方と対策」NスぺPlus、2020年3月27日付(https://www.nhk.or.jp/special/plus/articles/20200326/index.html)。

[21]「押谷仁のギブアップ宣言 - 対策に失敗して愚痴と言い訳を始めた作戦参謀」世に倦む日々(https://critic20.exblog.jp/31027139/)。

[22] 「新型コロナウイルス感染拡大阻止 最前線からの報告」NスぺPlus、2020年4月15日付(https://www.nhk.or.jp/special/plus/articles/20200414/index.html)。

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✍🏻 著者
弘前大学助教
早稲田大学高等研究所のち現職。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了。専門は比較政治経済学、計量政治経済史。 論文に「日本における「ねじれ」た金融緩和選好を説明する:イデオロギーと政策選好の関係に情報環境が与える影響の実験的検証」『選挙研究』(近刊 共著)、『松方財政期における土地関連税不納と自殺」『社会経済史学』、「政治体制と栄養不足」『比較政治研究』、「貧困の政治経済学」(博士論文)、その他多数。 コロナ問題に関しては“COVID-19 and Government Responses”(SocArxiv)、“Socioeconomic Inequality and COVID-19 Prevalence across Municipalities in Catalonia, Spain” (SocArxiv 共著)、「COVID-19 死亡率の要因国際比較分析」(WIAS Discussion Paper 共著)がある。
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