white medication pill blister package(Reproductive Health Supplies Coalition, Unsplash) , Illustration by The HEADLINE

なぜ、日本でアフターピルの認可をめぐる議論が紛糾しているのか?(前編:ピル認可の歴史)

公開日 2020年12月17日 11:39,

更新日 2023年09月14日 17:58,

無料記事 / ジェンダー

2020年10月7日、日本政府は、性交後72時間以内の服用で妊娠の可能性を低下させる緊急避妊薬(アフターピル)について、医師の処方箋なしで購入できる方針を固めたと報じられた

この方針を受けて、内閣府男女共同参画局は11月11日、「第5次男女共同参画基本計画策定にあたっての基本的な考え方(答申)」を提示した。このうち、第7分野「生涯を通じた健康支援」では、

予期せぬ妊娠の可能性が生じた女性の求めに応じて、緊急避妊薬に関する専門の研修を受けた薬剤師が十分な説明の上で対面で服用させることを条件に、処方箋なしに緊急避妊薬を利用できるよう検討する。

と言及され、処方箋というハードルがなくなることで、今後のアフターピルへのアクセス改善が期待されている。

これまで、アフターピルへのアクセスの悪さを問題視する声は、産婦人科医やNPO法人などからあがっており、薬局販売の署名を募る動きなども起こっていた。

一方、日本産婦人科医会副会長の前田津紀夫や同会会長の木下勝之、日本産科婦人科学会理事長の木村正が、現時点でのアフターピルの処方箋なしでの薬局販売について、それぞれ強固な反対や、慎重な姿勢を示している。彼らは反対理由として、横流しなどの犯罪や性風俗での避妊なしの性交渉提供のような、悪用への懸念や、薬剤師や女性側の知識不足を挙げている。

しかし現状、アフターピルの扱いは産婦人科医の中でも見解が分かれている。

ではそもそも日本において、ピルの認可や避妊にまつわる法整備はどのような経緯をたどってきたのだろうか?またその際、どのような論点が提示されてきたのだろうか?前後編でお届けする。

ピルの認可をめぐる歴史的経緯

アフターピルの認可や避妊にまつわる法整備の経緯をみるにあたって、まずは経口避妊薬(ピル)、特に現在主流となっている、低用量ピルの認可の歴史を追っていく。

ピルとアフターピルは、いずれも医師による診断・処方箋が必要な処方箋医薬品であり、どちらも避妊の文脈で取り上げられる。認可をめぐる論点は異なっているが、アフターピルの現状を理解する上では有益だろう。

1999年、米国から30年遅れ認可

日本で現在主流となっている低用量ピルが法的に認可されたのは、1999年6月17日である。これは、1960年にアメリカのFDAがピルを認可してから35年以上を経てのことだ。

ただし1950年代から、月経困難症などの治療目的で、中・高用量ピルの使用はすでに認められていた。現在でも低用量ピルは、不正出血や月経異常、子宮内膜症、月経前症候群(PMS)などの症状緩和・改善、また治療目的や、月経周期の移動などアスリートなどのコンディショニングに用いられている。

しかし中・高用量ピルは、血栓症や心筋梗塞など循環器系への副作用が指摘されており、より副作用のリスクが低い低用量ピルとして改良されるには、1980年代を待たなければならなかった。

では、なぜ日本でのピル認可はこれほど遅れたのだろうか?

以下では、受胎調節よりも中絶が大きな役割をはたしていた1970年代以前、ピルへの注目が高まった1970年以降の歴史を概観していく。

1970年代以前:人工妊娠中絶とピル

戦後から1970年代まで、ピルの認可をめぐる動向は中絶との関係から読み解くことができる

当初は、人工妊娠中絶がピルの認可を阻む要因となっていた。1948年に発布された優生保護法が、1949年と1952年に改正され、日本では経済的な理由も含めた人工妊娠中絶が、世界に先駆けて合法化されていた。このため、1950〜60年代までは避妊法による受胎調節よりも中絶が一般的だった。

また同時期に、厚生省によって優生保護法に基づく家族計画運動が推進された結果、もともと性病予防具だったコンドームが、避妊法として先に普及していくことになった。

1960年代には、厚生省がピルの認可を躊躇するような状況も現れた。

1960年代初頭、世界的な薬害サリドマイド禍(サリドマイドを服用した母親が産んだ新生児に先天異常などが認められた問題)が起こり、厚生省は薬害を恐れて新薬認可全般を躊躇するようになっていた。

また、優生保護法による指定医となることで、中絶を収入源にしていた産婦人科医や助産師、出生率低下と将来的な労働力不足を恐れた家族計画団体、そしてすでに避妊具としての地位を確立したコンドーム製造会社などが、ピルの承認に反対していた。

1970年代以降:ピルへの注目

1970年代に入ると、ピルへの注目は一気に高まる。それまでの中・高用量ピルは副作用が指摘されていたが、1錠あたりのエストロゲン量を50μg未満とすることで、その懸念を払拭できる可能性が生まれてきたからだ。この低用量ピルへの改良によって、血栓症のリスクなどが払拭されはじめたことで、ピルは大きく普及することとなる。

また、アメリカで第二波フェミニズムが隆盛し、ピルや中絶合法化の議論や法整備が進んだ影響も大きい。

その結果として、欧米ではピルの服用者が急増する。1970年頃には全米各州で、続々と独身女性がピルを簡単に入手できる環境が整い始めた。1967年には、ピルがTIME誌の表紙を飾っているが、これはまさに、ピルが女性の教育・就職などに大きな役割を果たしたことの象徴であった。

国際的な流れを受け、日本でも「中絶論争」「ピル論争」と呼ばれる論争が、メディアやフェミニストのデモ、国会でおこなわれた。

特に「中ピ連(中絶禁止法に反対し、ピルの全面解禁を要求する女性解放連合)」はメディアでも数多く取り上げられ、世間的な注目を集めた。しかし中ピ連は、ピルに関する主張の内容よりも過激な活動イメージが先行した上、フェミニスト内でも評価が分かれることとなった。

「ピル論争」には、さまざまな利益団体が関与し、なかには厚生省と政治的な駆け引きをおこなう団体もあらわれた。しかし、「この政治過程のほとんどで、避妊をする当事者である女性達が不在だった」ことも指摘されている。

他方で、戦後一貫していた中絶の減少傾向や、1972年に治療用ピルが処方薬扱いとなったことで、新たな収入源として、ピルに肯定的な産婦人科団体も出てきた。

1980年代:エイズパニックとピル

1970年代の流れもあり、1980年代からピル認可に向けた機運は高まっていく。しかし、ここで日本でのピル認可を足止めしたのが、HIV/AIDSをめぐる問題である。

1980年代には、海外での低用量ピルの普及や健康被害がないことを受け、1986年以降、国内でも治験がおこなわれ、認可の機運が高まった。しかし、1987年1月17日に神戸市で初めてHIV/AIDS患者が確認されて以降のエイズパニックもあり、「ピルの使用がコンドームの使用を減少させ、性病の蔓延を招くのではないか」という見解から認可が延期されることとなった。

また、1989年に合計特殊出生率が1966年の丙午を下回った「1.57ショック」で、少子化対策と出生率上昇が優先されたことも、ピルの認可を先送りにする要因となった。

ここまでの歴史の中で、必ずしも政治的な要因だけが、ピル認可を妨げたわけではなかった。エイズパニックなど外的要因が否定派を後押ししたこと、中・高用量ピルのイメージからつづく副作用への懸念、そして女性の間で避妊やピルに関する知識が十分に浸透していなかったこと(もちろんそれは、行政や関連団体の否定的な姿勢に起因する)なども、日本のピル認可を遅らせる要因となった。

1990年代:ピル後進国としての日本への注目

30年以上にわたってピルの認可が進まなかった日本の薬事行政は、すでにピルが普及していた欧米から注目されることとなった。

1990年代、日本は低用量ピルを認可していない唯一の先進国とされていた。当時のニューヨークタイムズ紙では、バイアグラが約6ヶ月のスピード認可だった事実や、アメリカでは副作用から1988年以降販売が禁止された「危険な」高用量ピルのみが、日本で認可・販売されている状況が紹介されたほどである。

同時期、国際的にリプロダクティブ・ヘルス・ライツが提唱されたことも、ピル後進国への批判を高めた。1994年にカイロでおこなわれた国際人口開発会議では出生選択、受胎コントロールの情報と手段へのアクセス、最大限の性や生殖に関する健康の享受が提唱され、ピル認可に向けた運動を活発化させることとなった。

加えて、公衆衛生審議会によって、HIV蔓延との関連性が否定され、ピルの認可に向けた動きが前進した。

1990年代には、ピル認可に向けた国内の動きも各方面から起こってきた。製薬企業からは厚生省への承認申請がなされ、また衆議院には「低用量ピルに関する質問趣意書」が、1992年1994年と2回に渡って提出されるなど、政治的な働きかけもなされた。

そして、1999年2月の衆議院予算委員会での国会答弁を経て、ようやく低用量ピルが認可されることとなった。

ここまで、低用量ピルの認可の歴史を概観してきた。アフターピル以前に、低用量ピルの認可までに長い時間がかかっていること、その背景には厚生省の躊躇、中絶を収入とする産婦人科団体による反対など、いくつかの要因が存在していたことが分かる。

では、アフターピルの認可にはどのような論点があるのだろうか。(後編に続く)

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✍🏻 著者
法政大学ほか非常勤講師
早稲田大学文学部卒業後、一橋大学大学院修士課程にて修士号、同大学院博士後期課程で博士号(社会学)を取得。専門は社会調査・ジェンダー研究。
編集長 / 早稲田大学招聘講師
1989年東京都生まれ。2015年、起業した会社を東証一部上場企業に売却後、2020年に本誌立ち上げ。早稲田大学政治学研究科 修士課程修了(政治学)。日テレ系『DayDay.』火曜日コメンテーターの他、『スッキリ』(月曜日)、Abema TV『ABEMAヒルズ』、現代ビジネス、TBS系『サンデー・ジャポン』などでもニュース解説。関心領域は、メディアや政治思想、近代東アジアなど。
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